夕闇イデア

□U
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昼食をすぐに食べ終えた凛桜は、トイレの場所を聞いた。

「廊下を出てすぐよ」
「お借りしまーす」

消化される前に胃の中のものを出さなければいけない。
まだ食べている彼らを残し、さっさと済ませようと席を立った。
廊下に出てトイレに入り、鍵をかける。

「う〜〜〜……きもちわる……」

げほ、と咳き込みながら嘔吐き、こっそり持っていたペットボトルの水を含む。
口の中をすすぎ、すぐに吐き出した。
それと同時にリビングから誰かが出てくる気配がし、すぐにレバーを引いて流した。
ポケットにペットボトルを突っ込み、凛桜は念入りに手を洗って廊下へ出た。

「……安室さん」
「大丈夫ですか?顔色が優れませんが。食が細いと言っていたことと何か関係が?」

リビングに戻ろうとした凛桜を待ち構えるように、安室が立っていた。

「…まあ、そんなところかな」
「何か病気でも?」
「体質だよ。健康面には問題ないから大丈夫」

本気で心配そうな表情に戸惑う。
彼は凛桜のことを探ろうとしている割に、敵視している面がまるでない。凛桜には、それがちぐはぐに見えてならなかった。

「ですが、嘔吐したのでは?」
「…………」
「図星ですか。琴音さんに言って部屋を借りて休みましょう」

なぜバレたのか。
凛桜が顔を引き攣らせているうちに、安室はさっさとリビングへ行ってしまった。
そしてすぐに戻ってきた彼は階段の方へ凛桜を促し、にこりと笑った。

「2階の部屋を使っていいそうですよ。行きましょう」
「……なんで分かったの」
「食べている時、たまに軽くむせていたようなので。無理をしているとすぐに分かりましたよ」

ブランクがあるからか、「美味しそうに見せかけながら食べる」という基本的なことをできていなかったようだ。
凛桜が帰ったら練習だな、と思っているうちに背を押されていつの間にか2階に来ていた。

「それに、先程蘭さんが朝も顔色が悪かったと言っていましたよ」
「それは私が夜型だからだと思うけど……」
「また寝ていないようですね。隈が消えていませんよ。不眠症ですか?」

指摘され、肩が揺れる。
ヤモリが死んだ夜から、凛桜は今まで以上に眠れていなかった。

「……不眠症だよ。ずっとね」
「病院には?」
「行ってない。……ねえ、どこまでついてくる気?」

部屋に入り、じとりと安室を見上げる。
彼に話をする気がないのは明白である。暗に出ていけと伝えたが、それはあっさりと無視された。

「あなたが寝たら出ていきます」
「人がいると余計眠れないんだけど」
「では、クーラーが効きだしたら退散しましょう」

何が悲しくて怪しい男に看病されなければならないのか。
凛桜は軽く嘆息し、ベッドに腰掛けてスリッパと靴下を脱いだ。

「私に話があるんじゃなかったの?」
「病人にする話でもないので」
「……そう」

『クーラーが効きだしたら』と安室は言ったが、彼はリモコンを持ったままそれを使う気配はない。
何か聞きたいことでもあるのかと見上げれば、青い目と目が合った。

「汗、かかないんですね」
「汗?」
「この気温でテニスなんてすればすぐに汗をかくと思いますが……何か他にスポーツでもしているんですか?」
「特に何も」

正直に答えた。
筋肉のつき方を見れば、嘘を言ってもすぐにばれる。
テニスウェアは足も腕も露出しているので特に分かりやすい。

「汗をかかない体質なのか、それとも――あの程度では汗をかかないのか。どちらです?」
「当ててみせて。探偵なんでしょ?」

凛桜は特に身体は鍛えていない。基本的な体術は身につけたが、基本的には赫子で応戦してきたので使う機会は少なかった。
だから、安室の目には奇異に映るはずだ。
目立った筋肉のついていない少女の腕から、ラケットに穴をあけるほどの力が出ているなどありえない、と。
案の定、彼は難しい顔をして考え込んだ。
凛桜はその手からリモコンを奪い取り、エアコンをつけた。寝不足の頭でいつまでも暑い部屋にいるのは危険だった。

(……それより、隣の部屋から漂ってくるこのにおい―――)

確か、隣にはコナンが寝ているはずだ。
まさか彼じゃないだろうなと耳をすませると、微かに寝息が聞こえてきた。
ということは、出血量から判断するに死んでいるのはあの石栗という太った男だ。

「……凛桜さん?ぼーっとしてどうしました?」

安室が顔を覗き込んでくる。
反射的にびくっと凛桜の肩が跳ねた。

「なんでもない」
「具合、悪いんじゃないですか?熱は……」

凛桜は伸びてくる手を避け、布団に潜り込んだ。

「冷房」
「え?」
「効いてきたから、出ていって。それとも何?私と寝たいとか?」

からかうように言うと、安室は目を丸くさせた。

「そんな冗談も言えるんですね」
「冗談くらい言うけど?」
「僕には冷たいので……」
「ポアロのコーヒー、奢ってくれるまで冷たくしてあげる」
「コーヒーだけでいいんですか?」
「コーヒーがいいの」

悪戯っぽく笑い、手をひらひら振った。

「じゃあね、おやすみ〜」
「本当に食えない人ですね……」
「はは、褒め言葉」
「ちゃんと寝てくださいね」

カーテンを閉め、部屋の電気も消した安室が扉へ向かう。

「おやすみなさい、凛桜さん」

返事のように振られた手が、扉の向こうで揺れた。




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