夕闇イデア

□W
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凛桜は荷物を掴み、窓枠から飛び降りた。
もちろん、下に誰もいないことは確認済みである。
音もなく地面に降り立ち、何事もなかったかのように彼女は一夜限りの借宿を立ち去った。
何回かしたように大通りまで出ると、凛桜は本屋とコンビニを探した。
昨日のように周りを見渡していると、声をかけられた。

「あっ!凛桜ちゃん!」
「……誰?」
「ええっ!?」

眉根を寄せて振り返った先で、声の主は大げさに反り返った。
チャラそうな見た目と、やはり軽薄そうな口調。そして、自分の名前を知っている数少ない人物。

「あー、昨日の」
「そう!昨日の!」
「誰だっけ」
「ええええ」

天を仰ぎ、ナンパ男はずいっと凛桜に詰め寄った。
その勢いのまま名を名乗るが、彼女には覚える気がない。
彼の勢いも虚しく、一瞬で忘れ去った。

「そうだ、このへんに本屋かコンビニある?」

マイペースを全く崩さない少女にめげずに絡む男は、この問いに食いついた。

「信号を渡った先にコンビニがあるよ!」
「ありがとー」

ひらりと手を振ってすたすたと歩き去ろうとする彼女を追い、彼のナンパは続く。

「服、変えたんだね。昨日のも似合ってたけど今日のもいいなぁ」
「……変じゃない?」
「ん?何が?」
「いや、何でもない。男の君に聞くことじゃなかった」

運悪く(彼にとっては運良く)赤信号で足止めを食らい、凛桜はどうしても着いてくる彼を見遣った。

「後ろ姿だけで、よく私だってわかったね」
「髪が特徴的だからね。癖も長さも背格好も覚えてたし、すぐ分かったよ」
「きも〜」

辛辣な言葉が飛んだが、男はこれしきのことではへこたれなかった。
昨日よりもいくらか饒舌な彼女に浮かれていたのである。
信号が変わり、人の群れに合わせて二人も歩き出す。

(信号も、横断歩道も、道も、行き交う車も)

全部似ている。
ここはやはり東京なのだと、実感する。
ただ、少し世界が違うだけ。
ほんの少し形を変えているだけだ。
やはり、喰種の気配は全くないが。

「コンビニに行って、どうするの?」

渡った先で右に曲がり、少し歩いた先にコンビニがあった。
青を基準とした外装のそれに少し眉を上げ、自動ドアを通る。

「バイト情報誌を探しに」

すぐに見つけたそれをいくつか手に取り、すぐにコンビニを出た。
歩きながらページをめくっていると、なおも着いてくる男が横から覗き込んでくる。
さすがに鬱陶しく感じて睨みつけた。

「邪魔」
「うっ、心に刺さる……。どういうところがいいの?俺、バイトなら結構経験あるから紹介しようか」

変なところで役に立つ男だ、と凛桜はなかなか失礼な感想を持った。
少し思順し、口を開く。

「履歴書不要で髪色自由、飲食以外」
「飲食以外?」
「料理できないから」
「じゃあホールとかだったら?」
「まあ、それなら」
「俺、凛桜ちゃんの制服姿見たいなぁ。あ、いい所発見。履歴書不要、髪色自由、米花町4丁目のカフェ。ホール募集」

凛桜が見ていない1冊をめくり、提示してくる。
便利な男が隣にいることで面倒になり、凛桜は自分が持っていた情報誌を閉じた。
条件さえ満たしていれば特に不満はないのだ。
後から見ても分かるようにページに折り目を付けて、男の持っている情報誌も鞄に仕舞った。

「いろいろありがとう」
「いえいえ。代わりと言っちゃああれだけど、連絡先交換しない?」
「それは嫌」

さっさと戻ろうと足を早めた少女を見てようやく諦めたのか、男が止まった。

「じゃあ、また会えたらどこか出かけようよ」
「会えたらね」

塩対応!とまた大きく嘆く声を背に、目的地を目指す。
途中少し迷いながらだが、なんとか工藤邸に辿り着いた。

「戻ったよー」
「ああ、おかえり」

迷子防止と監視用に一応付けられていたコナンの発信機を外し、机に置く。
耳慣れない「おかえり」の一言に、くすぐったくなってふいっと顔を背けた。

「そういえば、君が出掛けたすぐ後に子供たちが訪ねて来ましたよ」
「え?」
「一緒に遊ぶと言っていましたが」
「ああ、言ったね。どこにいるって?」
「公園に。……部屋、どこを使います?」

凛桜の少ない荷物を見て、沖矢は2階を指しながらそう言った。

「私はどこでもいいけど。君が監視しやすい場所でいいんじゃない?」

あっけらかんと言った彼女に、監視されている自覚が本当にあるのかと問いたくなったが、沖矢は言わなかった。
自分の監視など、痛くも痒くもないのだろう。
牢にいたというくらいなのだからそれも当然かもしれない。

「では向かいの部屋にしましょう」
「ねぇ、家の中くらい、声変えるのやめたら?」
「……そうだな」
「うん、やっぱりそっちの方がいいな」

変声機のスイッチを切ると、凛桜はそう笑った。

「沖矢昴さんは雰囲気が胡散臭いからね」

一言余計なものが付け加えられたが。



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