夕闇イデア
□V
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「……で?私に何の用かな」
応接室に通され、腰掛けた直後の台詞である。
背もたれに寄りかかり、頬杖をついた彼女は警戒をあらわにした。
「単刀直入に尋ねましょう。あなたは何者ですか?」
沖矢が向かいに座り、コーヒーを出すも彼女はそれに一瞥もせず、触れもしない。
質問に唇の端を上げ、少女はくすくす笑った。
「随分哲学的な問いだね。私が何者か?さあね、私も知りたいくらいだな」
「真面目に答えてください」
淡々と言う沖矢を真正面から見返し、凛桜は冷たく言い放つ。
「素顔も見せられないような人間に、自分の正体なんて教えるわけないでしょ」
「!」
さすがに驚いた。
僅かに動揺を見せた沖矢に、彼女はにやりと笑った。
「取り引きをしよう、沖矢昴。もしかしてこの名前も偽物かな?君のことを教えてくれたら、私もそれに応じた情報をあげる」
「……素顔でないと、なぜ分かったんです?」
今までばれたことはなかった。
毎週チェックのために帰宅する工藤有希子の変装術は完璧だし、失敗などしているはずもない。
「鼻が良いもんでね。君の顔全体から変なにおいがしたから、マスクか何かかぶってるんじゃないかと思っただけ」
比喩などではなく、本当に嗅覚のみで判断した、と彼女は言う。
取れ、と視線で促した少女に息を吐き、素顔を晒した。
「――へぇ。結構薄いんだね」
「……見破られるとはな」
首元のスイッチも切ると凛桜は眉を跳ね上げた。
「声も変えられるの?徹底してるね」
「ああ。事情があってな」
「それで、私の何が知りたいって?」
身を乗り出し、興味津々の彼女に慎重に言葉を選びながら質問をした。
「君は、裏社会の人間か?」
「いや?前にいた場所ではそうだったけど、こっちでは何の繋がりもないよ」
あっさりと否定したことに安堵する。が、“前にいた場所”という言葉が気になった。
「どこから来た?」
「次は私からの質問。君の本名と職業は?」
「……赤井秀一。FBI捜査官だ」
「ハァ?FBI?何してんのさこんなとこで」
素っ頓狂な声を上げた彼女に、やはり裏社会にはいなかったのだと確信する。
“赤井秀一”は、裏社会全体でも有名だ。
それを知らないとなると、ひとつの大きな疑問が残る。
彼女は本当に、“どこ”から来たのか。
「私はね、昨日こっちに来たんだよ」
「ホー。どうやって来た?」
「分からない」
簡潔な返答に、今度は赤井が眉を上げた。
「いや、本当に分かんないんだよ。馴染みの喫茶店のドアを開けて、店の中に入ったと思ったらさ、知らない路地に出たんだ。信じられる?私まだ信じられない」
興奮気味の少女を押し止め、赤井は処理が追いつかない頭をなんとか働かせた。
一瞬、妄想癖でもあるのかという考えがよぎったが、即座に否定した。
明らかに裏社会の気配を漂わせているのに、自分の顔と名前を目にしても何の反応もない。
その矛盾した事実から見てみると、彼女の言っていることはしっくりくる。
つまりは、別の場所――こことは違う東京、違う街から来たということ。
「あ、そういえば」
いそいそと財布を取り出し、小さな機械が机に置かれる。
見た目からして発信機のようだ。
だが――、
「……見たことがない型だな」
「へぇ。じゃあ向こうでつけられたんだ。それあげるよ」
社名らしきものが書かれていたのでスマホで検索してみるが、そんな会社はヒットしない。
個人で作られたという線もあるかもしれないが、わざわざこんな名前は書かないだろう。
「つまり君は、どこか別の世界から来たと?」
「ま、そうなるね。私のいた東京は米花町なんて地名はなかったし」
肩をすくめた彼女は、特に気にした様子もない。
悲観も楽観もしていない。
ただ現実を受け入れて、好きなように生きているように見えた。
にわかに信じ難い、というよりも常識をはるかに逸している「別の世界から来た」という言葉。理解が追いついていないが、とりあえずは保留にしておこう。
「赤井秀一さんは、なんで変装してるの?」
質問は彼女の番だ。
明るい茶色の目が面白そうな話題を見つけた子供のように輝いている。
「とある組織に潜入していたんだが、組織側にそれがバレてね」
「へぇ。よく殺されなかったね」
感心したように目を丸くした少女に、例の組織の詳細を話す。
密輸や暗殺、薬の開発などをしており、未だ全貌は謎に包まれている組織のことを。
身を隠すようになったまでの経緯を掻い摘んで聞かせると、少女は眉を寄せて難しい顔をした。
「結構大きな組織だね。世界各地に活動拠点があるのか……」
「俺やCIAの他にも諜報員はいたようだが、未だに衰えることなく続いている」
「ふぅん。じゃあその組織はこの街にもいるんだ?」
「恐らく、だが。一人知っている顔がいる。彼もノック……組織に潜入している側ではないかと睨んでいる」
潜入されまくってて穴だらけじゃん、と少女が呆れた。
だが、それだけ組織が巨大であるということであると分かっているらしい。
その証拠に、険しい顔が崩れていない。
「裏社会で生きたいとは思わないのか」
「別に。私は人殺しがしたいわけじゃないからね。戸籍はないし、とある組織にも追われてたから裏社会にいただけだよ」
「追われていた?」
「そ。……うーん、これはどうしようかな」
調子よく喋っていた口が閉じられた。
うろうろと泳ぐ目は迷っているようにも、躊躇っているようにも見える。
3分ほど続いた沈黙が破られたのは、玄関の扉が開く音だった。
軽い足音が近づき、応接室に血相を変えたコナンが顔を覗かせた。
「赤井さん!」
何を考えているんだ、とでも言いたげな声音である。
その必死な顔に、凛桜が笑った。
「心配せずとも、誰にも言わないよ。小さな探偵クン」
「テメー……」
「君のことも知りたいな。君みたいな小さな子が、どうしてFBIの事情を知ってるの?」
「それは、」
妖しく笑む白い少女を警戒し、コナンは睨む。
「……まあ、赤井秀一さんの重要なことを知ってしまったし、私のことも教えないと不公平か」
ふっと視線を外し、凛桜は物憂げにコーヒーカップを眺める。
座りなよ、とコナンに声をかけて赤井に向き直った。
「……私はね、人間じゃないんだ」
今までとは一変し、彼女は暗い影を落とす。
表情も目も、白い髪でさえどこかくすんで見えた。
「向こうからこっちに来て、まず確かめたのは“同胞がいるかどうか”。あちこち歩いてみたけど、気配も匂いも、奴らの姿もなかった」
嬉しかった、と彼女は零した。
「念のために図書館に行って、新聞を探して。私たちの記事がないかどうか、確かめた。……そしたらひとつも、なかった」
もしかして、とコナンが目を見開く。
それにひとつ頷き、彼女はうっそりと笑った。
「私は、喰種。人を喰らい、人の上に立つもの。食物連鎖の本当の頂点」
言い終えた時には、人の形をした少女の目は変わっていた。
赤く、紅く、赫く。
炎が燃え広がるように、赫眼が現れた。
異形の目に、赤井の手がさすがに拳銃に伸びた。
だが、凛桜の言葉にその動きが止まる。
「無駄だよ。銃も刃物も、喰種には効かない」
「……その目はなんだ?」
「赫眼。私たちはヒトの内にあるRc細胞を取り込んで生きてる。その細胞の影響で、目がこんなになるの」
しゃべり疲れたのか、少女がコーヒーに口をつけた。
「コーヒーは飲めるのか」
「人の食べ物は喰種にとって毒。けど、唯一口にできるのがコーヒー。空腹は満たせないけどね」
空腹、の言葉に赤井とコナンは改めて気を引き締めた。
目の前の少女は、人間を喰らうと言った。
今ここで彼女が仕掛けても、人間である彼らには太刀打ちできない、とも。
「あはは、そんなに警戒しなくても君たちは食べないよ。1週間前に喰事したばかりだし」
「……1週間前?」
コナンがぽかんと口を開けた。
そんな彼を普通の目で見下ろし、彼女は邪気たっぷりに言葉を吐いた。
「一ヶ月に一人」
「え……?」
「喰種はそれで充分。安心して。無差別殺人なんてしないし、喰べる時は君の目にも耳にも届かないところでやる。……約束する」
真摯な顔で言い切った彼女を、赤井は両断した。
「――信じられんな」
「…………」
「お前が快楽殺人者ではない証拠がどこにある?」
「証拠?そんなものになんの意味がある?君に私は殺せない。せいぜい監視する程度のことしかできない人間が、何を偉そうなことを言ってるのかな」
少女は殺気も敵意も見せていない。
自分が優位であると確信し、それを疑っていないためだ。
銃も刃物も効かない――この言葉に、嘘はない。
「こっちが譲歩してやってるの。お分かり?互いに秘密を握ってるんだから、仲良くしようよ」
赤井秀一さん、と少女は嗤う。
一方的なのは不公平だと謳ったその口で。彼女なりの優しさだったあの言葉は、既に意味を成していない。
「喰種の筋力は人間の4〜7倍。君の目の前にいるのは正真正銘の、……化け物なんだよ」
吐息のような最後の一言は、あまりに重かった。
そこまで聞いたところで、コナンは思わず口を挟んでいた。
「凛桜さんは、人間が好きなんだね」
「――――――!」
「見ず知らずの子供に流されてここまで付いてきたし、銃を出そうとした赤井さんのことを一度も殺そうとしていない。それどころか、傷つけまいとしてる」
完全に予想外だったのだろう。
瞠目し、強ばった表情でコナンを凝視している。
「優しい喰種なんだね」
ひゅ、と少女の喉が鳴る。
恐らくは自覚していなかった本心を突かれ、動揺している。
何かを我慢するように顔をしかめ、目を閉じた。
「……ほんと、とんだ伏兵がいたものだね」
「否定しないんだ?」
「……私が今まで殺した人間の数を聞いても、同じことが言えるの?」
「本当はイヤなんでしょ?人間を殺すこと」
少年の口調は断定的で、眼鏡越しのその強い瞳は凛桜を暴いていく。
それから逃げるように首を振り、諦めたように笑った。
「そうだね。白鳩以外は喰種しか喰べてなかったし」
「ハト?」
凛桜の表情が、一層暗くなった。
「正式名称はCommission of Counter Ghoul――喰種対策局。人間社会では、喰種に生きる権利はない。喰種を殺すための、国家組織のこと」
「お前を追っていたという組織がそれか」
「8年前……ヘマをしてね。捕まったんだ。私はすぐに殺されなかった。当時から裏社会と根強く繋がっていたし、複数の喰種組織とも関わりがあったから。情報を引き出してから殺すつもりだったんだろうね」
「8、年前……?それってまだ10歳とかそのあたりじゃ」
「うん、当たり。10歳だった」
そんな小さな頃から、とコナンは呟いたが裏社会ではざらにあることだ。
幼い頃から諜報や暗殺を教え込み、育てる。喰種であればいざという時に切り捨てることもでき、戦闘力は十分。使い方さえ間違えなければ、さぞかし便利な道具だったことだろう。
「私が入れられたのはコクリアという監獄。……そこはね、地獄だった」
凛桜の言葉に、憎悪が宿った。
「私は、私を壊した白鳩を許さない」
「まさか、その髪……」
全ての色が抜け落ちたような、真っ白な髪。
常に隠すように握られていた手の爪はやけに黒い。
「ああ、これ?奴らに拷問された跡。未だに消えない……本当に忌々しい」
嫌悪するように髪と爪を見て、彼女は吐き捨てるように言った。
拷問による精神的ストレスと身体への負担に、耐えられなかった、と。
再生するのをいいことに、何回も爪を剥がされた。何回も指を落とされた。
辱められ、凌辱され、今や痛みさえもほとんど感じない。
……頭が、おかしくなってしまった。
拷問と、喰種を食べすぎた代償で、凛桜の精神は既に崩壊している。
幻聴が聞こえる。幻覚が見える。
今でも、あの惨劇を夢に見る。
「……私を壊した奴が、まだ私を壊そうとする」
ぽつりと。
落ちた囁きが、やけに耳に残った。
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