夕闇イデア

□T
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たまに訪れる喫茶店の扉を開けた、と思ったらそこには見知らぬ路地が広がっていた。
……なんて経験があるだろうか。
普通の人はないだろう。否、人でなくともそんな体験をした者は確率として低いだろう。

今まさにその状況に陥っている少女が1人。

ぽかんと呆けた顔で数秒の間立ち尽くした後、彼女は勢いよく背後を振り返った。
そこには進行方向と同じ路地があるだけで、扉も、自分が通ってきたはずの階段もない。

「…………困ったなぁ?」

腰に手をあて、首を傾げる。
ぐるりと周りを見渡してみても、やはり見覚えなどない。

「ま、考えても分からないんじゃ仕方ないか」

あっさりとそう判断し、少女――凛桜は路地を歩き始めた。
若干薄暗く、人通りはない。
あまり気は進まないが、大通りに出た方が情報が集められるだろう。
そう判断した凛桜の目に電柱が留まった。
電柱には、住所が書かれてある。
それを見れば大体の位置が掴めるはずである。

「東都――米花市?米花町?」

どこだよ、と思わず漏らす。
凛桜の知る東京は、1区から23区までに区切られた場所である。
米花などという地名は聴いたことがない。
眉を寄せたが、彼女は考え込むということはしなかった。
再び歩き始め、気配の多い方向へと向かったのであった。


***


大通りに出ると、そこは人間で溢れ返っていた。
人間だけが、と言った方が正しいだろうか。
立ち止まり、また周りを見渡す。
凛桜の格好を見てか、きょろきょろしているのを不審に思ってか、通行人がちらちらと少女の方を見ては通り過ぎていく。
凛桜は普段通りの服装をしていた。
いわばこれが私服であり、普段着である。
彼女にとってはその普段着――チャイナ服が、通行人にはどうにも奇異に映るらしい。
興味本位からか、三人の男たちがへらへらと笑いながら寄ってきた。

「お姉さん、可愛い服着てるね。うわ、背中がら空きじゃん。もしかしてセクシー系の人?」

セクシー系の人とはなんだろう、と凛桜は柄にもなく真面目に考え込んだ。
『アレ』を出すためには背中――正確には腰部分は露出させていた方が都合が良いだけで、他の意味は特に無い。
出す度に服を破いていては、あまりにも面倒というだけである。
凛桜が黙っているのをいいことに、三人は締まりのない顔で口々に彼女に詰め寄っていった。

「キレーな白髪だね。脱色大変だったでしょ」
「なんであんな裏路地から出てきたの?」
「これからどっか行くの?俺たち案内するよ」

ナンパである。
それぞれが勝手なことをしゃべるので鬱陶しい。が、好都合とばかりに凛桜はにこにこ笑って「どっか行くの?」と聞いてきた男に問い返した。

「図書館に行きたいんだけど、場所わかる?」

やっと口を開いた少女に喜色満面の笑みを浮かべ、男は全力で頷いた。

「ああ、案内は君だけでいいよ。三人もいらない」

いまそんなにお腹空いてないから、と心の中で付け足す。
よっしゃ!と拳を握った彼に、他の二人は残念そうにしながらもあっさりと諦めた。
もっと絡まれることを覚悟していたのに拍子抜けである。
男と連れ立って歩き出した直後に、そのことを聞いてみる。

「そういう決まりなんだよ。ナンパして、もし指名されたら一緒に行くのはそいつだけ。女のコが特に何も言わなかったら全員で遊ぶ、ってね」

軽薄そうに見えてそのあたりの取り決めはしっかりしているらしい。
いや、やっていることは明らかに硬派なことではないのだが。
しかし今の様子を見るに、どうも案内だけで済みそうである。
違う場所に連れていかれることを期待していたのだが、彼にその気はまるでない。

(……本当にここって東京?)

見渡す限り同胞の気配はないし、あの忌々しい白鳩の姿も全くない。
いるのはパトロール中の警察くらいである。
あまりにも、あの泥沼のような混沌と喧騒とは程遠い。

「お姉さん、いくつ?俺、21」
「18だよ」
「若いね〜。大人びてるから一緒くらいかと思ったよ」

男は適当なことを言っている。

「どこから来たの?このあたり初めてなんでしょ?」
「東の方だよ」

凛桜も超適当な返事をした。
まず方角が分かっていないために東がどちらなのかさっぱりだが、男はそれで納得したらしい。
今度は凛桜から質問をした。

「図書館は遠いの?」
「近いよ。1キロもないから大丈夫!」
「そっか」

そうして話しているうちに、本当に図書館まで案内されていた。
「着いたよ」と相変わらずへらへら笑う男は、じゃあね、凛桜ちゃんと言って立ち去った。

――拍子抜けである。

腑抜けか、と思わず言いかけたほどだ。
図書館に行きたかったのは事実だが、本当に案内されるとは。

「……いい餌だったのになあ」

残念、と呟き、凛桜は図書館へ入っていった。




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