夕闇イデア

□IV
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コナンが着いた場所は、昼間の繁華街だった。
周りからすれば少年が突然姿を現したように見えたはずだが、行き交う人々は誰も彼のことを見ていなかった。
そのことを疑問に思う前に、彼は視線の位置に違和感を覚えた。

――高い。

大人を見上げなければならない幼児のそれではなく、これは元の体そのものだ。
手を見てみても、しっかりとした十代後半の男の手だった。
ショーウィンドウに駆け寄り、そこに映る姿を見ようと覗き込んだ。

「……コナンじゃ、なくなってる」

思わず漏れた一言も、低い。
工藤新一に戻った少年は、湧き上がる喜びに口元を緩めた。
その時、視界の隅で白色が引っかかった。
ほぼ反射的に、彼はそちらを振り返る。
人目を避けるようにしてひとつ外れた道へ消えていく白髪の後ろ姿があった。
考える暇もなく、その方向へ足を向けていた。

「凛桜さん……!」

人間では聞き取れない距離。
だが彼女の耳はそれを拾うことができる。
目を離せばいつの間にかフラフラとどこかへ行ってしまうような少女だ。
今ここで引き留めておかなくては、という思いが先行した。
走って凛桜の消えた道へと向かう。
彼女は道の端で佇んで、待っていた。

「……君は?」

柔らかい茶色の目が怪訝に瞬く。
知らない相手を見る目に、新一は一瞬たじろいだ。
だが、凛桜はすぐさま眉を寄せて首を傾げた。

「……もっと小さくなかったかな?」

新一を頭から足まで眺め、顔をじろじろと見る。

「……覚えてる?」
「いや?そんな気がするだけだよ。君、名前は?」
「この姿は工藤新一。小さい方は江戸川コナン。探偵さ」
「ふぅん」

あまり深く考えることはしないのか、凛桜はあっさり頷いて新一を手招きした。

「寝泊まりしてる喫茶店があるから、そこに行こう。君のことは何て呼べばいいのかな?」
「凛桜さんはコナンくんって言ってたけど、今の俺は新一だからなぁ……」
「じゃあ、新一くんだね」

半歩前を歩く凛桜を見る。
いつもは見上げていた少女を逆に見下ろしている感覚がくすぐったい。
彼女も同じことを思っているのか、新一を見上げてやはり妙な顔をしていた。

「忘れて、いるんだよな。凛桜さん」
「うん。ただ、そうだね。なんとなく分かるよ。君が知ってる人かもしれないってこと」

立ち止まり、新一を待っていた彼女はそれまで警戒していた。
見知らぬ人物から名を呼ばれ、不審に思っていた。
彼女は覚えていないが、知っている。
本当に忘れているのならば、凛桜は今でも新一を警戒したままだっただろう。
一歩間違えると殺されていたかもしれない。

「……私はね、新一くん。弟を見捨てたんだ」

静かな道に、静かな少女の声が通った。
少し肌寒い空気の中、凛桜は手の爪を見ていた。

「見捨てたって……、凛桜さんは弟を庇ったんじゃ……」
「庇ったよ。囮になって、そのまま私は逃げた。弟の無事を見に帰らなかった。あの子を置いていったんだよ」

凛桜の声はあくまでも静かだった。
哀しみも後悔も恨みもない、ただ真っ白な声。
着いた喫茶店の扉を開けて、2人は中に入った。

「いらっしゃ……なんだ、アンタか。おかえり」
「ただいま。お客さんもいるよ」

店員に声をかけ、凛桜は勝手知ったる顔で奥の方へ新一を連れて行った。
他に客は1人だけだった。
その客も顔見知りなのか、凛桜を見てひらひらと手を振った。

「新一くん、コーヒー飲める?」

頷くと、凛桜は先程の店員に「トーカ、コーヒーふたつ」と呼びかけた。
コーヒーが運ばれてくるまで、2人は沈黙していた。
凛桜はまた、自分の爪をじっと見ていた。
ごく普通の、薄ピンク色の爪を。
二人が出会った時、彼女のそれは真っ黒だった。
まるで毎日剥がされ、再生し、また剥がされたかのような色をしていた。
……実際、そうだったのだろう。
毎日満足に眠れないほどの悪夢から徐々に解放されるにつれて、爪もきれいになっていった。
拷問の夢を見ながら、苦しみながら、自分を傷つけていた。

「……君が私を過去から救ってくれたのかな」
「どうかな。俺も一役買ってたかもしれないけど、多分少年探偵団の奴らの影響が大きいと思う」

コーヒーを持ってきた店員がちらりと新一を見た。
若い、綺麗な女性だ。
少し驚いた顔をして、彼女はすぐに目を逸らした。
凛桜が親しげにしているところからして、十中八九喰種だ。
さりげなく店内の様子を見渡すと、もう1人の客とも目が合った。
――眼鏡をかけた、茶髪の青年。
凛桜が僅かに身体を逸らし、じろりと青年の方を睨んだ。
見るなとでも言いたげな視線に、青年の肩がすくめられる。
彼もまた喰種なのか。
凛桜もそうだが、外見は本当に人間と何ら変わらない。
人間と同じように、同じ社会で生きている。
奇妙な感覚だった。
ヒトの雑踏に紛れ込んだ喰種を見つけることは至難の業だろう。
確かに彼らはそこにいる。
だが、いることを証明することは容易ではない。
たとえ、探偵でも。
新一がこの場にいる喰種を喰種であると判別できたのは、凛桜がいるからだ。
彼女がいなければ、分からなかっただろう。
彼らがもし殺人を犯していても、それを暴くことは叶わない。
人殺しは悪であり、許されないことだ。
だが、喰種のそれを裁くことは人間(新一)にはできない。
探偵の仕事は犯人を暴くことで、裁くことではない。
それでも、もし。
この喰種のいる世界で生まれ、育ったなら。
自分は喰種を悪だと見なし、その行いを許せただろうか。


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