夕闇イデア

□V
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立ち止まったまま動かない凛桜を、背後からひっそりと伺う影があった。
影は思考する少女をじっと観察している。
時折落ちる呟きは聞き取れないが、彼女が何か悩んでいることは影にも分かった。

「……なにか忘れてる気が、する」

小さく言い、凛桜は震える指を髪に差し込んだ。
頭を押さえ、呻く。
彼女は大切な、大事なはずの何かをどこかへ落としてきてしまったかのような喪失感に襲われていた。
ずきずき痛むこめかみに、凛桜ははっとした。
記憶のない3年間のことを考えるといつも、この痛みがやってきた。
オークションは、それに関係するなにかがあったのではないだろうか。
思い返せば、あの会場にいた時の記憶は継ぎ接ぎだらけで前後が一致しない。

「思い出せ……どこで……。どこから、曖昧に……」

背後の怪しい気配などすっかり忘れて、凛桜は考える。
今この瞬間を逃せばまた忘れてしまうような、そんな危機感があった。
息が荒くなる。
チカチカと視界がまだらに点滅し、ぐらりと揺れた。
頭を殴られたような激しい痛みに、堪らず膝をついた。

「――大丈夫ですか!?」

肩を掴まれる。
力強いその手に、凛桜は顔を上げた。

「―――――――」

その人の髪と顔を見て、瞠目する。
どこかで、これと同じことがあったような――。
既視感に困惑を覚えた。
体調を心配するその人の姿を知っている気がして、手を伸ばしていた。

(……あれ。前にも、こんなこと………。そう、オークションの時に……)

鋭い目の、懐かしい誰か。
朧げに何かを思い出しかけたが、その誰かはすぐに消えてしまった。
肩を掴む人が、鋭いとは少し言い難い目をしていたからだった。
強い目だが、垂れ気味なのだ。

「凛桜さん、意識ははっきりしていますか?僕のこと分かります?」
「……どこの誰かは知らないけど、私のことを知ってる人ってことは分かったよ」

不思議と警戒する気にならない。
色素の薄い髪と褐色の肌が特徴的な男だった。
整った顔立ちをしている優男だが、凛桜を支える腕はしっかり鍛えられている。
立ち上がろうとすればすかさず手を貸してくる。

「君は、誰?」
「凛桜さん、記憶が……」
「ないよ。だから、教えて」

これが2度目なのだとしたら。
ここで、消えていく記憶を留めなければならない。

「この上にバーがあるから、そこで話そう」

ビルの階段を指し、凛桜はちらりと後方を見た。

「……その前に、ずーっと私をつけてるそこの君。何か用かな?」

電柱の陰から誰かが姿を現した。
暗闇で顔は分からないが、なぜか震えていることは認識できた。
――喰種の子供だった。
凛桜がゆっくり近付くと、子供はビクッと肩を跳ねさせて電柱に隠れてしまった。

「大丈夫、なにもしないよ。どうしたの?」

1メートルほどの距離まで行くと、凛桜はしゃがみこんで子供の視線に合わせた。

「ぁ……、あの……っ、こ、殺し屋さん……?」

凛桜の優しい声に恐る恐る、子供が尋ねる。
聞かれた当人はきょとんとしている。

「……まあ、そう……かな?」
「ひッ……!」
「怯えないでよー、君が聞いてきたんじゃん……」

仰け反った子供に呆れ半分に言う。

「私に誰かを殺してほしいの?」
「……!!」

子供ははっとして何度も頷く。
縋るように電柱に添えられた小さな手がぎゅっと固く握り締められた。

「おとうさんとおかあさんを殺した、白鳩を」

殺してください、と強い声で子供が言う。

「………………」

凛桜は悲しそうに子供を見た。
この年で既に憎悪を知ってしまった子供にかける言葉が見つからなくて、何度も口を開いては閉じた。
そうして結局出てきたのはありふれた、子供の期待を裏切る言葉だった。

「……ごめんね」
「え……」
「強くなりなさい。復讐のためじゃなくて、大切なものを守れるように。私は確かに裏社会の殺し屋だし、白鳩も大嫌いで殺してきたけどね」

立ち上がり、子供の頭に手を伸ばす。
大切に育てられてきたのだろう。
身なりがきちんとしている上に、撫ぜる手を嫌がらない。

「私のようにならないで」

憎しみに溺れ、永遠に終わらない復讐劇など背負わせてはならない。
呆然としている子供に背を向け、男の方へ足を向けた。

「……いいんですか?」
「うん?」
「いえ……、あなたなら気軽に了承するかと」
「あはは、しないよ」

階段を上り、男を振り返る。

「私の正体、知ってるんだよね?」
「はい」
「中にいるのも喰種だけど、いい?」
「構いませんよ」

返答を聞き、凛桜は扉を開いた。
店の名は『Helter Skelter』。
喰種が経営するバーである。


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