夕闇イデア

□T
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董香が簡潔に語り終えると、凛桜は笑いだしたいような泣きたいような顔をしていた。
未だ現実味はなく、頭はふわふわしている。
だが、その話の内容はやけに鮮明に想像でき、それが現実であると悟ってしまった。
空白の3年。
胸を浸す、言いもしれぬ虚無感に凛桜は唇を噛んだ。
その虚無感が謎の3年によるものなのか、それとも董香の話によるものなのか、判別がつかない。
目の前の董香は20になっているというのに、自分はまだ18のまま。
董香の言う3年前のある日を境に、記憶が途絶えている。

「……それで、今もまた喫茶店してるの?」

エプロンをつけている董香と漂ってくる珈琲の香りに、なぜだか懐かしさを感じる。
凛桜の感覚では、ついこの間あんていくを訪れたばかりだというのに。
夢でも雛実に「久しぶり」と言って困惑させた。

「四方さんとね。今から開店するけど、飲む?」

董香の提案に頷き、凛桜は立ち上がった。
身体が悲鳴を上げたが、今度はよろめかなかった。
負った覚えのないこの傷のことを考えると、なぜか頭も痛んだ。

「ひっどい傷だったよ。珍しいね、あんたがそんなヘマするなんて」
「うーん……。ヘマした覚えもないんだけどなぁ」

扉の向こうへ出ると、そこはもう店の中だった。
カウンターの中で四方が珈琲を入れている。
彼の前に座り、頬杖をつく。
靄がかかったような頭が不思議だった。

「……記憶がないのか」
「うん、さっぱり」

カップに入れられた珈琲を受け取り、口をつける。
広がった味と香りに、笑みを零した。

「……あんていくの味だ」
「美味しいでしょ」
「うん」
「四方さん、接客は苦手だけど淹れるのは上手いから」

容赦のない董香の言葉に苦笑いする。
雰囲気は柔らかくなったが、ずけずけとものを言うところは変わっていない。
それを指摘すると、董香は片眉を上げた。

「あんたも随分柔らかくなったと思うけど」
「ええ?」
「変なチャイナ服も着てないし」

そういえば、と自分の格好を見下ろす。
全く見覚えのないTシャツとズボンに首を傾げた。

「なにこれ?私の服は?」
「知るか」

どうなってるんだ、とぼやく凛桜をよそに董香はくるくると動き回っている。

「元気になったら手伝ってもらうから」
「いいけど、給料出るの?」
「あんたの手当代差っ引いてからね」
「うへぇ」

軽やかな音を立て、店の扉が開いた。
今日一番目の客が来たらしい。

「いらっしゃいませ」

途端に董香がにこやかになった。
凛桜から遠い席に案内するのを横目で見る。

「……私が属してた組、今どうなってるかわかる?」

声を潜めて四方に問いかけた。
彼は芳村に一番近い場所にいた。
芳村から凛桜についての詳しい情報は流れているだろう。

「分裂した。抗争があったそうだ」
「そっか。じゃあ、見に行かない方がいいな」
「戻らないのか」
「裏社会に?……うん、なんでかな。全然戻りたいって思わない。ずっとそこで育ってきてたのにね」

3年の間、自分はどこで何をしていたのだろう。

「……お前、弟がいるだろう」
「弟……?いた、けど」

――“いた”?
するりと出た言葉に瞠目する。
凛桜は弟の生死を確認していない。
だが、あたかも知っているかのような自分の発言にぞっと身を震わせた。

「それが、どうしたの」
「……お前が消えた直後、白鳩の死体と共に死んでるのが見つかった」
「―――――」

驚きはなかった。
ただ胸を支配する虚無感が、水かさを増して溢れ返りそうになっただけだった。
知りたくなかったけれど、知っていた。
そんな矛盾した言葉が頭に浮かぶ。

「……そ、う」

やっとの事で口にしたその返事は情けないほど震えていて、無意識に俯いていた。
何も考えたくなくて、珈琲を一気に飲み干した。
もう一度寝たら、またどこかへ行くのだろうか。
現実から逃げたくて立ち上がった。

「……部屋借りる」
「ああ」

引き返し、先程の部屋に通じる扉を開けた。
ソファに転がり、ぎゅっと目を瞑った。

(――現実から逃げる?)

何が現実なのか、分からないのに。

全て悪い夢だったと誰か言ってほしい。
ずきずきと、傷より痛い気がする頭を抱えて凛桜は眠った。



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