夕闇イデア

□T
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「……顔を上げてください、凛桜さん」

向かい合ったまま、2人は微動だにしなかった。

「何も聞きませんから。そんな顔をさせたかったわけじゃないんです」

凛桜は殺気を滲ませた時とは別人のような、どこか怯えた表情をしていた。
存在まで薄くなっているように見え、安室が一歩近付く。

「……18年生きてきて、毎日が楽しいと思える日が来るなんて思ってなかった」

喰種だと明かして嫌悪を向けられることが怖くなった。
それは、凛桜が人間と近付きすぎてしまったから。

「人間なんて大嫌いだったはずなのに」

思わず落とした一言に、安室が目を丸くする。
凛桜の振る舞いを見る限りでは、そんな素振りは全くなかった。

「友達も親もみんな殺された、というのは――敵対している人間に、ということですか」
「そうだよ」
「そしてそれは、世間的には正義側の組織だった」
「うん」
「そんな国に覚えはありませんが、約束ですので聞かないでおきます」

ようやく凛桜が安室と目を合わせた。
感情が複雑に入り乱れたような瞳をして、彼女は肩をすくめる。

「さすがだね。まあ、安心してよ。私は敵じゃない。日常さえ壊されなければ、誰も殺さない」
「あなたは、自分で殺したと言いましたが。あの研究者たちや武装集団は、どこへ行ったんですか。焼け跡からは死体は一切出てこなかったそうですが」
「それなら消えたって言ったよ。その件についても、私は嘘をついてない」
「では、どうやって殺したんです?50人もの人間を、怪我ひとつ負わずに」
「それも秘密だから、答えられないなぁ」

ソファに腰を下ろし、凛桜はすっかり冷たくなってしまったコーヒーに口をつけた。
だが、飲み込んですぐに咳き込み、安室を睨み上げた。

「――なに入れてんの!?」
「砂糖ですが?」
「いらんつったでしょ!」
「コーヒーは飲めるのに砂糖は駄目なんですか」
「コーヒーと水以外だめ。あと何かの薬も入れたでしょ」
「ええ、睡眠薬を。素性を聞き出した後はしばらく眠ってもらおうと思っていたんですが」

果たして喰種に睡眠薬が効くのか、凛桜は首を傾げた。
見た目は人間と同じだが、中身が違う。
成分にもよるのではないだろうか。

「ところで、私を拘束する理由はなくなったんじゃない?帰ってもいい?」

凛桜が仕返しとばかりに安室のコーヒーを勝手に飲み干した。
そちらには何も入っていなかったので、ほっと息をついた。

「いえ、ここにしばらくここにいてもらいます。ないとは思いますが、あなたに邪魔をされては困りますから」
「はぁ……?」
「僕が正義側だと思ったこと、誰にも言っていませんよね?」
「言ってないよ。証拠なんて何もない、ただの勘だからね」
「それは良かった」

少し安心した様子で言い、安室はマグカップを持ってキッチンへ行った。
シンクにマグカップを置き、水につける。
ちらりと壁の時計を見て、何か支度を始めた。

「どっか行くの」
「探偵の方の仕事がありまして。すみませんが留守番お願いします」
「拉致った相手に言う事じゃないなぁ。まあいいけど」
「一応言っておきますが、逃げようとしても無駄ですよ。既に手を回してあります」

我が物顔でソファで寛いでいる凛桜はひらりと手を振った。
自分の身のことは特に興味もなさそうな顔である。

「家のものは勝手に使ってもいいですよ」
「ものが少ないくせによく言う」
「こんなこともあろうかと、着替えも用意してあります。その辺に入ってますから、自由にして下さい」
「用意周到すぎ」

呆れた、と言って凛桜は笑った。監禁、拘束されたという意識が低いようで、緊張感も全くない。

「いってらっしゃい」

玄関に向かう安室の背に声がかかった。
何気ない言葉に瞠目して、彼は振り返る。
クッションを腕に抱いて、悪戯っ子のような目をした凛桜がいた。

「……はい」

短い返事をして、安室は出て行った。
残された凛桜は微かに笑って目を伏せた。

「ちょっとは助けになれたかな?」

弱味も殺気も見せてしまったことはもう頭にない。
刹那的に生きてきたので、凛桜は感情を引きずらない。
未だに情緒が不安定なところも見られるが、それでも以前に比べれば良くなっている。
共食いをしていないせいだろうか。
それとも、

「……ふふ」

誰もいない、物も少ない部屋に凛桜の声が響く。

「必ず守ろう、君たちを。私の宝物。大切な人たち」

カチ、とひとつ。
時計の針が音を立てた。



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