夕闇イデア

□W
2ページ/5ページ

「いくら楽しんでいると言っても、ずっと1人でこの広い屋敷にいては参っていたかもしれないな」
「そうは見えないけど?」

凛桜が茶化すと、沖矢はふと微笑んだ。
珍しい表情に、少し驚く。

「今は、1人ではないからな。気付いていないだろうが、お前に結構助けられているんだ」
「それはよかった」

思わずへにゃりと頬を緩める。

(私は、ここで与えられてばかりだと思ってた)

それは有希子やコナン、赤井から。
喰種なんて奪うばかりで、何もできないと諦めていた。
この世界で探偵団の子供たちと出会って、たくさんの好意と言葉をもらって、ここにいてもいいのだと思えた。
泥のようなあの東京しか知らなかった。
あちらにも、こんな小さな幸せはあったのだろうか。
凛桜が知り得なかっただけで、あちこちに。

「私にも誰かのために何かできることがあって、良かった」
「ああ。会った時と比べて空気が柔らかくなったな、凛桜」
「そんなに?考え方は変わったなって思ってたけど」
「段違いだ」
「そっかぁ」

ほんの数時間前に、50人もの人間を殺し尽くした時とは大違いの雰囲気である。
緩みきった表情と言動を見て、誰が彼女を人を喰らう怪物だと思うだろうか。

「そういえば、喰種が半年前にここにいたらしいよ」

ふと思い出してそう伝えると、沖矢は眉をひそめた。

「なに?」
「半年前にも同じことがあったって傭兵の人が言ってた。その時は制圧できたらしいから、その喰種は研究所に連れ去られたんだと思う」
「……お前の他にもこちらにいる可能性があるのは、その研究者以外にもいるということか」
「あー、それ聞いとけばよかった。でも喰種なら分かるから大丈夫だよ。捕食事件でも起こそうものなら私が見つけ出して食べてやる」

腐っても喰種、いくら空気や考え方が変わろうとも思考は物騒な方向へ行く。沖矢は呆れたが、ふと気になって問いかけた。

「そういえば、喰種も食べると言っていたな」
「めっちゃくちゃ不味いし、しない方がいいけどね」
「しない方がいい?」

沖矢は首を傾げる。
凛桜の言い方は、精神論やモラルといったものとはまた違うもののようだった。

「共食いは体内のRc細胞濃度が上がるから、他の喰種とは比べ物にならないくらい強くなれるんだけどね。精神が不安定になりやすい」
「知っていて、やっていたのか?」
「共食いなんてごく一部の喰種しかやらないよ。強くなるらしいっていう噂程度のものだった」

だが凛桜とヤモリは、それを信じた。共食いをすればするほど、赫子が強くなっていった。
凛桜は人間を食べたくない思いから。ヤモリはただ純粋に、強くなりたいという願いから。
気付いた頃には、CCGに定められたレートはSを超えていた。
そして凛桜もヤモリも、赫者になりかけていた。

『覚りし者』と掛け、赫者。
通常の赫子とは別に、体を覆うような特殊な赫子を持つ喰種のことを指す。
あんな姿は絶対に見せられないなと凛桜は自嘲した。
赫子に飲み込まれ、理性などほとんど残っていない状態の自分など。

「……火、消えそうだね」

黒い煙をいくつも上げて、倉庫は見るも無残な姿で鎮火しつつあった。
ニュースキャスターが真面目な顔で原稿を読んでいる。

『こちらの倉庫は薬品製造会社のもので、関係者の話によると燃えやすい性質のものも多かったとのことです。警察は事故によるものとして捜査を進めています……』

「事故で発火する薬品なんてある?」
「聞いたことがない。……報道規制がかかったか。調べられては困るものもごまんとあっただろうからな」
「こわ〜い組織だねぇ」

凛桜は飄々と言った。
CCGという大きな国家組織を相手に死闘を繰り広げていた彼女にとって、情報操作は日常茶飯事だ。
もちろん、するのもされるのも。

「慣れたもんだな」
「私達はどんな情報を流されても、反論できないからね。だったらこっちからもいろんな情報を流して撹乱させたらいい」

そのあたりは裏社会で鍛えられたものだ。
SNSが普及している現代では、デマなどすぐに拡散できる。
声を上げて立ち上がることさえできないなら、裏で細工するしかない。
そしてそれは、当初凛桜が思っていたよりも効果的だった。

「……あ、噂をすれば安室さん」

机に置いていた凛桜の携帯が震えた。画面をつけてみると、メールが入っていた。

「明日と明後日はポアロのシフトを15時まで入れています……?」
「何の約束だ?」
「コーヒー奢ってくれるって言ってたのと、息抜きかな?」
「息抜き?」
「トリプルフェイスで頑張ってるから、労ってあげようと思って。ちょっとしたボランティアだよ」

もちろん情報をくれてやるつもりはない、と凛桜は不敵に笑って胸を張った。

「息抜き?何をするんだ?」
「……さあ?何もしないんじゃない?どの自分にもならないっていうのが一番でしょ」

“どの自分にもならない”
自分を偽って周囲を欺くことをしなくていい、誰にならなくてもいい。

「的を得た表現だな」
「てことで明日行ってくるね。2時過ぎくらいでいいかな……」
「組織の目に気をつけろよ。お前は目立つ」
「はぁい」

そして、凛桜はポアロに行くことになったのである。


.
次へ
前へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ