夕闇イデア

□T
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パコン、と音がテニスコートに響いた。サーブを打った男と向かい合う形で立っているコナンの横をボールが通り過ぎた。
それを遠目に見ながら、凛桜はラケットを持って歩いていた。
案の定、力の加減ができずにガットを破壊したのである。
きれいに円状の穴が空いてしまった箇所を見つめ、うーんと考え込む。
多少、凛桜の力が強くても問題ない程度に相手をしてくれる人物がいれば話は早いのだが。
そこまで考えた時、背後で不穏な空気を察知して振り返った。

「―――コナンくん!」
「危ない!」

ラケットがひとつ、彼めがけて飛んで行った。
咄嗟に踵を返して走るが、間に合わない。
努力も虚しく、コナンの頭にそれは激突した。

「コ、コナン君!?」

地面に倒れたコナンを見て、蘭が悲鳴を上げる。
駆け寄って少年を揺さぶる彼女の肩を、安室が掴んだ。

「蘭さん、離れて!」
「揺らしちゃだめだよ。頭に直撃してたから」

ちら、とラケットが飛んできた方向を見る。慌てた様子で、女がこちらに走り寄ってきた。

「ごめんなさい!大丈夫ですか!?」

まだ若い。二十歳そこそこといったところだろうか。

「気を失っていますね。安静にできる所に運ばないと」
「では私の別荘に!」

狼狽した様子で女が言った。
凛桜はその様子を見て静かに視線を外した。
彼女は確かにあの時、意識的にラケットを投げた。殺意は感じなかったが、それと似たもの。

(……また事件かな?)

案内され、コナンを運ぶ安室のあとを全員でついて行く。
動転している蘭には園子がついている。

「凛桜さん」
「なに?」

若干の距離をとって横に並んだ凛桜に、安室が話しかけた。

「後で話があります」
「奇遇だね、私もだよ」

くすくす笑えば、安室の眉が寄った。
未だに冷ややかな態度を崩さない凛桜を訝しんだのか、予想外の返事だったのか。

「安室さんも探偵なんでしょ?」
「ええ」
「さっきのラケット。私はあの人がわざと投げたように思えたんだけど」
「だから声が聞こえる前に振り向いたんですか?」

さすがに鋭い。
咄嗟に体が動いた凛桜をしっかり見ていたらしい。

「手が滑ったようには見えなかったからね」
「……なるほど」

もちろん凛桜はその瞬間を見てはいなかったが、安室もそこまでは把握できないだろう。
彼は直前までテニスをしていたし、ずっと凛桜を注視する暇はなかったはずだ。

「ところで、随分力が強いんですね」
「…………加減が分からなくて」

穴のあいたラケットを指され、凛桜はそっぽを向いた。
自分が離れていなければコナンを庇えただろうに、と思ったがその場合も彼女の別荘に行くことになっただろう。
子供を気絶させるほどの力が篭もっていたなら、傷がついていなければおかしい。
むしろその場にいない方が良かったのか、と考えを改めた。

(イヤ、だめでしょ。打ち所が悪かったら死ぬんだから)

「僕でよければ1から教えますよ」
「私じゃなくて園子ちゃんにって話じゃなかった?」
「穴があくほどラケットを酷使させる人を放っておくわけにはいきませんよ」
「……ソウダネ」

そっぽを向いたまま、凛桜はだらだらと冷や汗をかいた。
相当筋力を持っているということを悟られている。
相手をしてくれた小五郎の悲鳴を何度聞いたことだろうか。何キロ出してるんだ、野球じゃないんだぞと終いには怒られた。

別荘に到着し、ソファにコナンが寝かされる。
安室が処置に取り掛かったため、凛桜は彼から離れた。
既に誰かが連絡していたのか、しばらくして医者がやって来た。その時にはコナンは意識を取り戻していたが。

「意識もしっかりしているようですし、ただの脳震盪でしょう」

大事がないようで良かった、と凛桜はほっとする。
小五郎も「大した事なくてよかったな!」と言うが、その口元は笑っている。

「ここどこ?園子姉ちゃんの別荘じゃないよね?」

まだぼーっとしているのか、半目のコナンが周りを見渡しながら言った。
黒い頭に巻かれた包帯が目立って痛々しい。

「うちの別荘よ。ごめんねボウヤ。汗で手が滑っちゃって……」
「だから言ったのよ」

申し訳なさそうに手を合わせて謝る女の名は桃園琴音。
その後で呆れた様子で苦言を呈するのは梅島真知。

「グリップテープをちゃんと巻いておきなさいって。あんた汗っかきだから……」

さらにその背後の扉から、体格のいい男が入ってくる。
どこか人を食ったような雰囲気の男だ。

「けど残念だなぁ。俺の携帯の電池が切れてなかったら、その衝撃映像をムービーで撮ってネットにアップしてたのに」

男は石栗三朗。
どうやら、体型と一緒で図太い神経を持っているようである。
当然、もう一人いた男――高梨昇がそれを咎めた。

「子供が怪我したっていうのに何言ってんだお前!」
「冗談だよ!俺はこの重い空気を和ませようと……」
「その冗談が元で瓜生は死んだかもしれないんだぞ!?」

穏やかではない空気に、凛桜は片眉をはね上げた。
高梨は険しい顔で石栗に詰め寄っている。

「怒るなよ……。その瓜生の誕生日を祝う為にこうやって久々にサークルのみんなで集まったんだろ?」
「そうね、喧嘩はやめましょ」
「瓜生君も悲しむわ」

女性二人がそう言うと、高梨はようやく気を落ち着かせたようだった。
それを見て、すかさず石栗が口を開く。

「じゃあ少年も無事だった事だし、皆さん俺らと団体戦やりません?男女四人ずつで、なんならミックスダブルスでも……」

そして彼はなぜか凛桜の方を向き、にやにやと笑った。

「そちらの白髪の子は、まだ慣れないようだから除外してね。殺人サーブ打ってただろ?見てたよ」
「は?」

馬鹿にされたと受け取った凛桜の口からドスの効いた声が出たが、石栗はそれに全く気付いた様子はない。

「ま、まぁまぁ。力があるってことですよ。コントロールさえ身につければ相当強くなりますよ」

凛桜の機嫌が真っ逆さまに急降下したのを見て、安室が慌ててなだめた。
好青年らしく、彼は場の空気を察するのが上手い。
だが、いくらなだめたところで元々低かった石栗の評価がさらに下がっただけであった。

「やるのはいいけど休憩してからにしない?」
「そうね。午前中でかなり汗かいちゃったし……」
「腹も減ったしな」

あ、と凛桜は気付いた。
失念していたが、彼らの前では食事を取らなければ怪しまれる。

(うーん……。考えてなかった)

人の家で吐き出すのは気が引けるが、そうも言ってられない状況である。
そうこうしているうちに、凛桜たちもここで食べることになっていた。

「凛桜さん、私達が作ってる間にラケット直して貰ってきたら?」
「じゃあ、ついでにあなた達のラケットのグリップテープも巻き直してあげましょうか?」
「え?」

キッチンに向かっていた梅島が振り返った。
テニスショップの店長の娘なのだと言った彼女にラケットを預け、凛桜はコナンのところに戻った。
女性といえど四人もいればキッチンは満員だ。休んでいて、と言われたので素直に甘えることにしたのである。
ついでに「食が細いので量は半分にしてくれ」と言うのも忘れなかった。



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