夕闇イデア

□X
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有希子は話を変え、凛桜が知らない人物の名前を出した。
板倉卓。
女優には馴染みのCGクリエイターであり、シャロン・ヴィンヤードとは犬猿の仲だったという。
シャロンが何かのソフトを板倉に発注した、と有希子は語る。
ソフトと組織――幼児化に何か関係があるのか、と彼女が言った直後。
盗聴器は、不穏な音をも拾った。

『有希子、そこまでよ』

――拳銃だ。

『手を引きなさい!あなたのふざけた作戦ならもう読めているんだから!』

凛桜は眉に皺を寄せた。
有希子は人間だ。
銃などで撃たれれば、すぐに傷ついてしまう生き物だ。

(そもそも私、こういった神経削る作戦なんてやったことない!)

基本、肉弾戦である。
突撃、殺戮、逃避。この三拍子で事足りる。
駆け引きや推理など無縁だった。
作戦などない普段ならば今すぐにでも助けに行くのに、と歯噛みしたところで気付く。
仲間を助けに行く“普段”など、凛桜にはなかった、と。
随分と平和ボケした頭になった、と目を閉じた。
これではヤモリも苦笑するわけだ。

(……ヤモリさん)

大切なひと。
失いたくなかったひと。
考えないようにしていたことが、次々と浮かんでは消える。

おまえは逃げられない。そのうち廃棄処分となる運命だ

ああ、奴の声まで聞こえてきた。
視界が揺れ、床の模様が見えなる。

「ヤモリ、さ……」

ヤモリ?奴なら無様に死んだだろう?

「うるさい……」

これは幻覚だ。
これは幻聴だ。
ああ、でも―――

「ここは、どこだっけ……」

頭の中がぐちゃぐちゃになり、何も考えられなくなる。
血で汚れた白い床が現れる。
凛桜は薬で力を奪われ、硬い台に縛り付けられている。
それを見下ろす男の顔は、あちこちが削がれて欠けている。
あの傷は、凛桜がつけたものだっただろうか。
妙に冴えた目を凝らし、凛桜は男を睨みつけた。

「………………ちがうな」

何が違う?

「お前はもう必要ないってことだよ。さあ、今度こそ殺してあげる。私ちょうど、お腹がすいているの」

……………………

ブツン、と何かが切れたような感覚に襲われた後、男はふっと消えた。
周りを見ても、なんともない。
ただの列車の個室だった。

手の中で携帯が震えている。
はっとして画面を開いた。

『キッドがそっちに向かった』

コナンから、短いメールが届いていた。
足音と悲鳴で騒がしい廊下に目を向け、きゅっと唇を噛んだ。
ぱちんと頬を叩き、気を保つ。
神経を尖らせていたはずが、いつの間にか幻に惑わされている。
イヤホンの向こうでは、まだ話が続いていた。
すぐに立ち上がり、鍵を解除する。
マスクを破り取り、軽く頭を振った。

「開いてる、入っていいよ」

気配にそう言うと、すぐさま扉が開かれた。
走ってきたらしい中年の女が、慌ただしく部屋に入ってくる。

「はい、ウィッグ。あとこれ服」

変装を解き、素顔を露わにした少年が凛桜をしげしげと見つめる。

「早く」
「――ここで着替えろってか、名探偵!?」
「あれ、それが素?世の女の子をみーんな虜にするキザなキッドサマの。時間もないし、ここで着替えてよ。私はここからまだ出られないからね」

凛桜がそう言って後ろを向くと、キッドは重いため息をついた。
時間が無いのは彼も分かっているようで、ごそごそ着替え始めた音が聞こえる。
だが、口はずっと動いていた。

「お姉さん、何者?」
「なんだと思う?」
「名探偵のミステリアスな助手?」
「ふは、違うなぁ。計画の手伝いはこれが初めてだよ。コナンくんは何か言ってた?」

布ずれの音が消えたので、振り返る。
キッドは物凄い速さで自らに変装を施していた。

「いや、女の人が待ってるとしか。俺はお姉さんのこと知らないけど、お姉さんは俺のこと知ってるから不公平だ」
「それもそうだね。君がいなければ私がその役をやる予定だったから、会えて嬉しいよ。……私は凛桜」

あっという間に、少年の姿は宮野志保に変わっていた。

「そういえば素顔、見ちゃったけど大丈夫?」
「見せたのは俺だから、凛桜さんは気にしなくていいぜ。ただ、まあ……警察に言わないでくれると非常に助かるな」

扉まで見送ろうと立ち上がり、彼を見上げる。
研ぎ澄ませていた感覚に、ひとつの気配が引っかかった。

「そんなことはしないよ。……組織の人が来たよ。気をつけて行ってらっしゃい」

そっと背を押し出し、手を振る。
彼が振り返るよりも先に扉を閉めた。
そして自分は気配を消し、部屋を片付け始めた。
キッドが走り去った後、少ししてから安室の気配が廊下を通り過ぎた。
イヤホンから、女の声が聞こえてくる。

『ここでクエスチョン!彼女ならこの状況でどこへ行くと思う?』
『そりゃあ、前の車両に逃げるんじゃ……』
『いや、その逆……彼女なら恐らく、火元の8号車の方へ向かうはず』



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