夕闇イデア

□W
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「何か飲みます?」
「コーヒー」
「コーヒーばかりだと胃を壊しますよ」

リビングに通されてソファで待っているように言われたので、凛桜は遠慮なく部屋を見渡していた。
物が少なく、生活感はほぼない。
暮らすための部屋というより、寝るための部屋といった印象だった。

「インスタントしかありませんが、いいですか?」
「うん、いいよ」

少ししてマグカップを2つ持ってきた安室が凛桜の横に座る。
ローテーブルにそれを置いた彼のその手が、凛桜の肩を押した。

「………………」

されるがままソファに倒された凛桜の額に、銃口が押し付けられる。

「無防備ですね。のこのこと男の部屋に入って来るなんて」
「ここ、安室さんの部屋?」

状況に反し、呑気なことを言った凛桜だったが安室は僅かに眉を動かしただけだった。
小柄な凛桜の体に乗り上げ、彼女を見下ろすその青い目は冷たい。

「そうですよ。滅多に帰りませんが」
「へえ。通りで物が少ないと思った」

銃を突きつけられても全く動じない姿は、昨日と全く同じ。

「何度でも聞きましょう。あなたは何者ですか?」

左手が凛桜の首に伸び、僅かに力が込められる。

「何度でも言うよ。君には教えられない」

飄々とした空気を消し、真面目な顔で凛桜も言った。
そして片手を伸ばし、むんずと安室の頬を引っ張った。

「……あなた、自分の立場分かってます?」
「やだなぁ、分かってるよ。こんなに無抵抗な私はめちゃくちゃ珍しいのに」

ムッとむくれた少女にさらに強く銃を押し付け、安室は言う。

「手段を選ばないという選択肢もあるんですよ」
「へぇ、たとえば?」

凛桜は薄く笑った。
頬から手を離し、さっきまで引っ張っていた場所をするりと撫でる。
羽根でも触れたかと思うくらいの軽さで。

「たとえば、拷問――とか?」
「お望みなら、しましょうか?」

少女の目が凍てついた。
安室が思わずぎくりと動きを止めたほどの変わりようだった。

「いいねぇ、拷問。いいんじゃない?それができるなら、ね」

濃厚な殺気を滲ませ、蛇が毒牙を覗かせたようだった。
有利な立場のはずの安室が、たじろぐ。

「君こそ、無防備だね。昨日人間を50人も殺した輩を家に招くなんて」

くすくす、くすくす。
凛桜が笑う。
銃口と左手が彼女から少し離れた。
そして次の瞬間には、2人の形勢は逆転していた。
安室の銃を持った右手首は凛桜の左手に掴まれ、首を右手で抑えられる。
腹に乗られ、呆然としている安室を見下ろした。

「ほらね、意味なかったでしょ」

安室は抵抗した。
だが、細身のはずの少女はびくともしない上に、それほど力を入れているようにも見えない。

「な―――」
「私、こんなことしに来たんじゃないんだけどなぁ。……あ、痛かったら言ってね。知っての通り、力加減下手くそだから」

眉を下げてそう言う姿は、もういつも通りだった。
殺気の塊のようだった雰囲気は霧散し、影も形もない。

「私、自分のことについて安室さんに嘘ついたことないよ。言えないことは言えないって言ってるでしょ」

凛桜は困り顔で言う。
その様子は本当に困り果てているように見えて、安室も当惑する。

「私はこれ以上、言えない。あなたに踏み込んできてほしくない。それって、おかしいことかな」

“君に関係ないことだ。それ以上踏み込んでこないで”
凛桜は最初にそう忠告した。
安室は何度も踏み込もうとした。

「……いいえ。ですが、こちらとしてもそうは言っていられない立場ですので」
「……ので?」
「監禁させて頂きます」

凛桜の目が点になった。

「それと。言い忘れていましたが僕の組織の方には妙な宗教団体が暴走した挙句、倉庫に火をつけて逃走したと伝えておきました。“白髪の若い女”というのはただの妄言だったのだろうとも」
「ちょ……、監禁ってあの」
「ご家族に連絡が必要でしたらどうぞ。ああ、もちろんバイト先にも」
「……私に押し倒されながら言われても…………」

勝ち誇ったような表情をされても困る。
ぱっと手を離し、身を引こうとした凛桜の腰を安室が掴んだ。

「わあ」
「気の抜ける声ですね、本当に……」

体制を崩され、凛桜が安室の上に倒れ込む。

「凛桜さん、言いましたよね」
「何をさ」
「息抜きに付き合うって」
「言ったね。というかそのつもりで来たんだけどなぁ」
「では、しばらくこのままで」

がっしり腰を固定され、背にも手が回される。
完全な密着状態である。
そしてそのまま目を閉じた安室を見て、凛桜は唖然とした。

「えっ……いま寝るの……」
「しばらくまともに寝てないんです。凛桜さんも寝ていいですよ」

ぽんぽんと軽く背を叩かれ、観念した凛桜は力を抜いた。
右頬を胸につけると安室の心臓の音が大きく聞こえた。

「…………生きてる」

小さく呟いた。
一定の間隔で波打つそれに安心して、凛桜も瞼を下ろした。



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