夕闇イデア

□U
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それまで静かだった画面の向こうが途端に騒がしくなった。
怒号や何かが割れる音が倉庫にも伝わってくる。

『―――死んでいます!』
『な――――』

男が絶句した。

『報告します!全ての被検体の拘束が解け、意識レベルも上がってきています!』
『すぐに眠らせろ!!絶対に逃がすな!』
『被検体No.8、逃走しました!No.4、No.9もです!No.11がこちらに向かってきています!』

随分な騒ぎである。
どうやら能力者が死に、それと共に他の被検体にかけていた何らかの術も解けたらしい。
凄まじい形相で男は怒鳴りながら各方面に指示を出していく。
どうやら彼は理想が高く、それに見合うだけの有能さはあるが、周りがそれに付いていけていない。

『全ての被検体が逃走中!繰り返します、全ての被検体が逃走中です!』

混乱に陥った様子を見て、凛桜は倉庫の研究者に目を向けた。
全員が呆然としていたが、少女が見ていることに気付きガタガタ震え出した。

「向こうに戻っても、ここにいても君たちは殺されるだけ。恨むなら、自分の弱さを恨みなよ」

太い二本の赫子が、凛桜の細い腰から生えた。
それは大きくしなり、残った人間全て、余すことなく襲いかかった。

「この世のすべての不利益は、当人の能力不足。ってね」

悲鳴を上げる暇もなく。
研究者たちは胴と頭を切断され、絶命した。


画面はまだ生きていた。
煩わしかった男の声はいつの間にかなくなり、他の声もなくなった。
がさがさと何かを探すような音だけが倉庫に響いた。

「誰かいるの?」

凛桜は声をかけた。
音が止まり、誰かの顔が画面に映りこんだ。

『……なんだこれ?あんた誰?』
「こんにちは。君は捕われてたひと?私は捕らわれかけてたひと」
『へー。説明してほしいんだけど、ここどこ?目が覚めたら拘束されてたから、暴れてたんだけどうっかり全員殺しちゃってさ』
「残念ながら、そこがどこなのかは私にも分からない。けど、ひとつだけ言えるのは、君が今までいた世界とは別の世界だということ」

誰かは形容しがたい表情を浮かべた。

『……まあ、確かに見たことも無い字だな、こりゃ』

資料のような紙を持ち上げ、その人は笑った。
凛桜も見たことのない記号の羅列がそこに並んでいる。

「そこにいた人たちは、私達を兵器にしようとしていた。けど、手違いというか、勘違いかな。それで私達を転移させた能力者が死んで、今こうなってるってわけ」
『なんかよく分からないけど、まあいいや。来れたなら帰れるだろ』

あっけらかんと言った誰かは、凛桜を見てにっと笑った。

「頼みがあるんだけど。その施設、壊滅させてくれないかな」
『いいよ。やっとく。他に捕まってた奴らも暴れてるみたいだし、すぐ終わるよ』
「ありがとう」

凛桜もにこりと笑い返した。
通信も限界が近いのか、スクリーンの端から焦げ付いたような黒が徐々に侵食していっている。
世界と世界を繋いでいるところを見ると、これも死んだ能力者の能力のひとつなのだろう。
画面に手を振り、別れを告げる。

「じゃあね。頑張って」
『あんたもな』

誰かも凛桜に手を振り返した。
ブツンと大きな音を立て、画面が消失した。
それと同時に、床に転がっていた死体もひとつ残らず全て消え去った。

「……死んだら元いた所に戻るのか」

研究者たちも傭兵も、あの青年も、違う世界の住民だった。
能力者が死んだ以上、死ぬ以外では凛桜はもう帰れない。
白髪を揺らし、喰種は微笑んだ。
ずっとつけていたマスクを取り、床に投げる。
そして、足で踏み潰して粉々にした。

「もう必要ないね。あんまり使わなかったけど、今までありがとう」

目元だけを覆うように作られた、繊細なベネチアンマスク。
作ってくれた男は似合うよと言っていたが、仕立て屋の知人はチャイナ服には似合わないと怒っていた。
正直、凛桜もチャイナ服とベネチアンマスクの組み合わせは変だと思ったのであまりつけなかったのである。
本当の決別を果たし、少女は顔を上げた。
およそ50人分の血が床に溜まっている。
いくら返り血を浴びていないと言っても、あれを踏めば靴は無事では済まないだろう。
少し考え――、凛桜は倉庫を探ることにした。



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