夕闇イデア

□V
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沈黙が場を支配した。
誰も口を開かず、それぞれの思考に浸っていた。
少女は、今後どうしようかと。
男は、少女の処遇を。
また少年は、少女の過去とこれからを。
静寂を破ったのは、少年だった。

「凛桜さんは、どうしたい?」

およそ小学生とは思えぬほどの知性と意思を感じさせる声。
大人を相手にする感覚で、凛桜は答えていた。

「……どうにも。行く宛はないし、全国津々浦々放浪でもしようかな」
「じゃあ、ここに住んだら?赤井さんに監視されるのが嫌じゃなければだけど……」
「………………ここ、君の家なの?」

首を傾げると、コナンは目に見えて慌てた。
どうやら、彼には秘密が多いらしい。

「し、親戚の家だよ!新一兄ちゃんとはよく似てるって言われるんだ」
「へえ。匂いが似てるけどなんか他のものも混じってるよね。今は家族と住んでないって感じかな?」

つい意地悪でそう言うと、彼はどもりながらも頷いた。

「う、うん。知り合いのおじさんちに住んでるよ」
「ふぅん」

喰種の感覚器官をなめないで頂きたい。
特に凛桜のそれは並の人間の比ではない。

「……家、か」
「嫌?」

ぐるりと見渡し、眺める。
大きな家だ。疎い凛桜でも、家具にも上等なものを使っているのが分かる。

「嫌というか、住んだことがないから……」

いまいちピンとこないというのが本音だった。
昨日は家が欲しい戸籍が欲しいと嘆いたが、いざ目の前にすると困惑が先に立ち塞がった。

「住んでみたいとは思ってた、けど」

歯切れの悪い彼女に何かを察したのか、コナンは笑顔でゴリ押しした。

「じゃあ住んじゃおうよ!ね、赤井さん」
「発信機を付ける手間が省けたな」
「君たちの中では決定事項なの?」

赤井と組まれては勝ち目はない。
空気でそれを察し、彼女は首を傾げながらも頷いたのであった。

「じゃあ、有希子おばさんに許可もらってくるね」

携帯を取り出し、少年は部屋を出ていった。
取り残された二人はちらりと視線を交わす。

「……いいの?私は得体の知れない生物だよ」
「相手に敵意があるかどうかくらいは見たら分かるさ。それに、野放しにするより手元に置いている方がいいだろう」
「……変な人」

ぽそりと呟いた。
向こうで喰種だと発覚すれば、すぐさまCCGに始末される運命だ。
喰種は皆それを警戒して、できる限り人間に紛れようとしているのに。
まさか自ら正体を明かし、あまつさえ人間と同居することになるとは。
今までは考えられない行為だったが、人間と恋に落ちた喰種は少ないが一定数いる。
彼らもこんな気持ちだったのかと納得した。
なぜだか少し、救われた気がした。

「そういえば、その服はどうした」
「昨日買った」
「……金はどこから?」
「サラリーマンの財布から〜」

えへ、と可愛らしく舌を出してみたが、男の眉間の皺はひとつも取れなかった。
笑うとも思わなかったが。
代わりに彼は、ひとつため息を吐いた。

「他に盗ったものは?」
「保険証」
「返してこい」
「売ったらお金になるのにー!」

嘆いた凛桜だったが、住む場所が決まった事で保険証への執着は既になくなっていた。
風呂も寝る場所も困らないので、金銭はほぼ必要ない。
バイトでもしてみるかと思案していると、コナンが返ってきた。

「いいってさ。今度の週末、紹介してって言ってたよ」
「家主さん?」
「うん」
「私のことはなんて言ったの?」
「事情があって普通の社会では生きられない女の子がいるから住まわせてもいいかって」

間違ってはいないが複雑な心境になる説明である。
微妙な顔をした凛桜だが、コナンに礼を言った。

「ありがとう。なんか、嬉しい」

ここ数ヶ月は狂気に呑まれることが多かった彼女から、久しぶりに本心からの笑みが零れていた。
重荷が下りたような表情に、コナンも彼女に笑い返していた。


「着替え置いてきたから取ってくる。……ついでに交番にも寄ってくる」

後半は赤井に睨まれて付け足したものである。
コナンは博士の家に戻り、赤井は変装をするのに時間がかかるという理由で家に残った。
玄関まで見送られ、凛桜は工藤邸を後にした。
白髪を揺らして来た道を辿る。

「……そういえば図書館に行こうと思ってたんだっけ」

巡り巡ってとんでもないことになったが、思わぬ収穫である。
いくら精神が破錠しかけている凛桜でも、勢いの良すぎる展開についていけていない。
頭の整理をしながら廃ビルに戻り、少ない荷物を纏め始めた。
鮮やかな模様の服を撫で、紙袋に入れる。

「……しばらく着ないかな」

赫子を出すような事態など滅多に遭遇しないだろう。
赫子も封印しようと思い、立ち上がる。

「SSレートの喰種が一匹減ったね。君たちの誰かが息をできる日はいくらか伸びた」

憎き白鳩。
喰種の赫子を武器に作り替え、それを使って喰種を殺す彼ら。
いつか全滅させてやる、と叫んだ日が懐かしい。

「……ヤモリさんは元気かな」

窓枠に腰掛け、足を外にぶらぶらと揺らす。
恐ろしいほど澄んだ青空が、淀んだ裏路地を照らしている。
太陽を見上げ、空気を吸い込んだ。
どこに行っても、空の色は同じ。

「……――――」

息を吐くように、その言葉を口にした。
かつての自分では決して言えなかった、それを。

……死なないでね

初めて音にして言った。願いは、届くだろうか。
空の色を覚えて、目を閉じた。

「さようなら、私が生きた世界」

ひとつの決別を果たし、少女は去った。



(こんにちは、新たな世界)
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