短編

□歌声
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 青春学園中等部に勤めている私は、音楽を担当する教員で、今春大学を出たばかりの新任。けれど大学卒業前に決まっていた訳ではなく、大学院に残っていて夏が過ぎてから決まった職場だった。本当は今年度の残りの日々も大学院で過ごしたかったのだけれど、前任の音楽教師が産休に入るという理由で、時期外れな新任として勤め始めた。その所為か、生徒達には直ぐ顔を覚えられたらしい。
 そんな私、只今大変困っています。
 年頃の生徒達の中には恥じらいからか歌なんて披露したがらない生徒もいる訳で、歌の小テストをする今日が私にとって最大の難関のようです。クラス全員の前で1人ずつのテスト――と言っても、生徒達にはプリントの課題を与えて待ち時間はそれに集中してもらうようにした。嫌々受ける生徒もいるけれど、大抵はキチンと歌ってくれる。しかし、1年2組のとある男子生徒は、何故か断固として歌おうとしない。結局彼が口を開かないうちに授業時間が終わってしまったので、放課後に1人で残ってもらう事にした。

「何が嫌なのかしら……」
「どうかしました?」
 職員室に戻って自分のデスクに腰掛けながら授業を思い返していれば、大きなため息と疑問が口から零れた。その呟きに反応を示してきたのは、向かい側のデスクに座っている教師で、偶然にもたった今私を困らせている生徒の担任だった。
「少々困った生徒が居まして――」
 教師の中では担任が生徒について1番知っている筈。そんな考えから解決策を聞き出せないかと思い、今回の件を簡単に説明してみれば苦笑いされる。
「あーそれは災難だったな。……でも変だな、あいつは確か歌が上手い筈だが」
「そうなんですか?」
 予想外な返答で思わずデスクに身を乗り出した。合唱しか聴いた事が無かった私は、今回初めて生徒1人1人の歌声を聴いたので、まだ全員の歌唱力を把握しきれていない。授業中いつも興味無さげで眠たそうに窓の外を見ていたりする彼は、歌唱力云々の以前に問題もあるし歌が不得意か嫌いなのかと思っていたけれど、前者ではないとすればテストを拒むほど嫌いという事になる。
「ああ。テストで歌わないなんて事も今まで無かった筈だし、成績も悪くなかった」
「え? それじゃあ……私だから歌いたくない、という事でしょうか?」
 聞こえてきた言葉で私の疑問は晴れずに余計深まってしまい、私をこんなにも悩ませる彼は私の事が嫌いなのだろうかという考えに至る。学園に勤める1人の教員として、生徒に嫌われるのは色々と不都合が生じるし、今後どう接すれば良いのか、悩みは少し違う方向へと進み始めた。
「そう落ち込むな。何か他の理由があったんじゃないか? 気にすることはない」
「はい。放課後、頑張ります」
 慰めの言葉を掛けられ、負けていられないと自分でも心の中で言い聞かせ気合いを入れた。しかし良い解決策は見出だせないまま、早くも放課後を迎えてしまう。

 音楽室でピアノを弾いて気を紛らせていれば、私の奏でる音色に混ざって扉の開閉音が聞こえた。手を止めて入り口の方を見れば授業中と全く違う雰囲気の彼の姿があり、彼が向けてくる揺るぎない眼差しに驚きつつも平然を装って笑顔を向ける。
「来たわね」
「部活あるし、さっさと始めて」
 肩からテニスバッグを降ろした彼は、私の作り笑顔をも歪める言葉を吐いた。外で部活を行うテニス部に所属している彼、日の短くなってきている今の時期は夏に比べて部活の時間も減ってしまうのだろうから、早く部活に行きたい気持ちも解る。しかし今のこの状況を作ったのは彼自身だ。
「だったら授業の時に歌ってくれれば良かったじゃない」
「いいから早く」
 僅かに苛立ちを感じつつもそれを隠して言葉を漏らせば、説教など聞きたくないと言わんばかりに急かされた。この傲慢で天の邪鬼な生徒に、私は弄ばれたというのだろうか。そんな考えが頭を過るなか鍵盤に指を添え、一呼吸おいてから課題の曲を弾き始める。
 次の瞬間、授業中は拒んでいたのが嘘の様に、躊躇い無く歌い始めた彼の歌声に思わず聞き惚れた。テストは1番だけの筈が、聴き入っているうちに鍵盤を叩く指を止められずに弾き続けてしまい、何故か彼も合わせて最後まで歌ってくれた。
 ずっと聴いていたいと思ってしまうほど素敵で心地好い――そんな歌声の持ち主は、歌い終われば挨拶もせずにテニスバッグを背負って部活に向かおうとする。
「ちょっと! なんで皆の前では歌ってくれなかったの? 今までは歌のテストも普通に受けていたらしいじゃない」
「別に」
 慌てて呼び止めれば振り向いてくれたものの、面倒臭そうにしかめた表情を見せた。私が続けた言葉には小さなため息を吐き、どうでもいいと言いたげな様子。
「折角素敵な歌声しているのに……」
「あんたが聴いてくれればそれで良い」
「私だけが聴くには勿体無いわよ。貴方の歌声なら、コンクールでも賞を狙えるくらいよ?」
 小さく本音を漏らせば、表情を和らげた彼に意味深な言葉を告げられた。けれど弄ばれた事を思い出し、これ以上彼の術中に嵌まってなるものかと冷静を装う。
「俺は、あんたにしか聴かせたくないって言ってんの」
「えっ……?」
 更にはっきりと告げてきた彼はいつになく真剣な眼差しで、何処まで本気なのか理解出来ずに困惑した。思考がついていけずに疑問符を浮かべて言葉に詰まると、それを悟られたのか彼が再び口を開く。
「1人で歌うなら、あんたの為だけに歌いたい」
 大きな目で真っ直ぐに見詰められ、その瞳に吸い込まれる様に目を合わせたまま、金縛りにでも遭ったかの如く動けなくなってしまう。それでも忙しなく働く心臓が彼に心まで囚われたと訴えている。


‐Fin‐

‐2013/7/26‐
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