短編

□最後の冬
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 深々と降り積もる雪が真っ白な世界を作り上げ、植物も動物も姿を眩ませる季節。活発な行動が見られるのは、湖や川を拠点に時折飛んでいる白鳥くらいなものだ。そんな冬の雪国で空を仰げば、脳裏に浮かぶのは雪が積もる事さえ珍しい土地での厳しい寒気の日。特別なイベントがあった訳ではないけれど、私の胸には鮮明に焼き付いていて、何年経とうと決して忘れないと思う。

 雲一つない空がどんどん気温を下げていく深夜の外気は、コートを着ていようと容赦無く体温を奪っていき、頬に刺さる冷たい風が追い討ちをかけた。凍てつく寒さと澄んだ空気は、時が止まったかと錯覚させる程の静寂を生み、人気の無い場所で聞こえるのは張り詰めた空気と風の音のみ。悴む手を擦り合わせ、手袋をしてくれば良かったと後悔も頭を過った。隣に佇むリョーマもコートのポケットから手を出そうとせず、僅かながら肩を竦めて寒さに耐えているらしい。
「寒いねー」
「何当たり前な事言ってんの。あんたが見たいって言うから来たんじゃん」
 気を紛らそうと沈黙を破れば、呆れた眼差しが向けられる。当然の様に白く広がる自分達の息が、視界を霞ませては刹那に消えた。
「そうだけど、予想以上の寒さなんだもん」
 街から離れて街灯も無い丘から、リョーマと肩を並べて夜空を見上げる。流星群が見える訳でもなく普段と何ら変わりない星達だけれど、都会で暮らす自分達は滅多に見ることの出来ない景色。例え特別な物が無くても、リョーマと一緒に見ることが出来れば素敵な一時になるに違いない。そう考えて提案したのは私だった――日本で過ごす最後の思い出にと。
「向こう行ったらもっと寒いじゃん」
「あー確かに、ニューヨークはね。でも、ロスならここまでじゃないでしょ?」
「まあ」
 リョーマの言葉が指すのはアメリカの事で、直に私が移り住む国でもある。留学先はニューヨークだから、当分はその近辺に住む事になる。その後の人生設計はまだ立てていないものの、リョーマが幼少期に過ごしたという土地にもいつか住んでみたいと前々から思っていた。
 リョーマがまたアメリカに住む日が来るのなら、私が傍で支えになりたい。その時の為を考えた留学であり、その間は会えないのも覚悟の上。自分で決めた事だから、寂しいなんて弱音は絶対に吐かない。
「……向こうで待ってるから」
「ん、すぐ行く」
 テニスの大会に出場する為に短期間の渡米をする事があっても、リョーマはテニスに集中したいだろうから無理に会おうなんて考えない。それでも、応援に行けば姿を見る位は出来るし、そのうちメディアでも取り上げられる様になる筈。きっとリョーマはプロになる、そう信じている。
「良い子にしてたらご褒美くれる?」
「何子供みたいな事言ってんの」
「だってー」
 暗い雰囲気にさせない為の冗談半分な言葉も、リョーマは本気で受け止めてくれる。呆れ顔のリョーマにわざと拗ねた態度を見せるものの、こんな事をするから年上に見られないのかと今更気付いた。
「一応考えといてあげる」
「やった。楽しみにしてるね」
 不器用ながらも然り気無いリョーマの優しさに、私はつい甘えてしまうのだった。既に企みを秘めている様な笑みを浮かべるリョーマに、期待を込めて微笑み返す。
 次に会えるのはいつになるか解らないけれど、悲しい別れではないのだから、さよならなんて言わない。ただ少しの間会えないだけで、夢に近付く為の試練だと思うことにした。

 そんな思い出を胸に渡米してから、何だかんだで目まぐるしい日々を過ごしている。文化から生活習慣まで全てが違う外国で、自立する大変さを思い知らされた。色んな意味で大きな国だけに多少は知っている気でいたけれど、実際は知らない事の方が多かった。リョーマの神経の図太さはこの環境で培われたのだと勝手に納得する。
 忙しい中でもリョーマとの連絡は絶やさず、リョーマの活躍も必ず確認している。時折電話で聞けるリョーマの声が私にとって1番の癒しだった。そんな生活も、今終わりを迎えようとしている。
 数年ぶりの再会だというのにリョーマは相変わらず無愛想で、変わってないなと安心した。それでも、その顔と名前はテニス界で既に広く知られていて、アメリカと日本の一部ではすっかり有名人になってる。
 暫く応援にも行けていなかったし、少し見ない間にまた背が伸びたらしい。もう私とは比べ物にならない位に成長し、大きくなった背中が大人の男性を思わせる。私の中ではついこの間まで子供だったリョーマだけれど、“一緒に暮らそう”なんて言うから驚いた。しかも、リョーマが用意した土地はロス。あの思い出が頭を過り、今になってリョーマの企みに気付く。
「……もしかして、あの時から考えてた?」
「あの時?」
「私がこっちに来る少し前に、一緒に丘で星空を見た時」
 返事もしないで問い掛けた私の言葉に、リョーマは疑問符を浮かべた。リョーマがあの時の事を覚えているか解らないけれど、つい確認せずにはいられなかった。私が簡単に説明をすれば、思考を巡らせ思い返している様子のリョーマは、いつも通り頭の回転が早く程なくして口を開く。
「あー、まあね」
「……狡い」
 こんな計画をずっと隠していたなんて、離れていたとは言え私の鈍さを最大限に利用された気分だ。伏せ目がちに不機嫌な眼差しを向けながら唇を少し尖らせると、リョーマは軽くあしらう如く微笑む。以前と何ら変わらず年齢と立場が真逆で、リョーマには到底敵いそうにないから悔しい。
「実現出来るか曖昧な約束はしたくなかったんだよ。あの時は目標でしかなかったからさ」
 自信家なリョーマでも自分の力を過信してはいないという事だろうか。素直にサプライズをしたかったと言わない所がリョーマらしくもある気がした。
 再び近くで過ごせるというだけで嬉しいのに、まさかひとつ屋根の下で一緒に暮らせるなんて……リョーマは私を喜ばせる天才だ。何時もいつも、私が言わずとも私が心の何処かで望んでいる言葉をくれる。嬉しさの余り涙が溢れ出る私に、リョーマは既に解っているであろう返事を求めてきた。その悪戯な微笑みに、断る理由なんて1つも無い。
「私の夢でもあった。ありがと、叶えてくれて」
「どういたしまして」
 涙で歪んだ視界のまま目の前の愛しい姿を見つめれば、リョーマの言葉は優しくも当然の如く返ってきた。更には私が涙を流す事さえ計算通りとでも言う様に、笑みを零しながら頭を撫でてくる。年下なのに1枚も2枚も上手で、私の心まで理解してくれていると実感させられた。


‐Fin‐

‐2014/1/27‐

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