短編

□道しるべ
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※発作描写があります。苦手な方はご注意ください。





「何処か行ってなさい」
「私の目に入る所に居ないで」
「貴女を必要とする人はいないわ。そんな貴女を連れた私もね」
「何故貴女は女の子なのかしら」
「貴女さえ居なければ……」
「貴女なんて産まなければ良かったわ」

 また、あの夢を見た。
 あの言葉達を理解するには、あの頃の私は幼すぎた。唯一理解出来ていたのは、自分といる時のあの人は全く笑わなかったという事。私の母親はそんな人だったけれど、今や顔もはっきり思い出せない。

「幸恵、大丈夫?」
「リョーマ……」
 朝食の準備中だというのに、いつの間にか今朝見た夢に思考を支配されていた。聞き慣れた声に優しく問い掛けられて我に返ると、隣には私を覗き込むリョーマが居る。思わず出た自分の声は、少しだけ掠れていた。
「涙……またあの夢見たの?」
 以前から度々同じ夢を見て、うなされたり泣いた事もあった。リョーマには全て話してあるから、この一言で通じる。少々寂しげに呟いたリョーマが私の頬に触れ、漸く自分が泣いている事に気付いた。
「幸恵は今だけを見てればいい」
 問いに小さく頷いて答えると、優しく抱き寄せられ耳元で言葉を続けられた。再び頷けば頭を撫でられ、リョーマの優しさと匂いに包まれて次第に気分が落ち着いてくる。
「あ、おはようございます」
「ん、おはよ」
 不意に挨拶をしていなかったと思い出し、身体を離して少しぎこちない笑顔を向けた。私が幾分落ち着いたと伝わったらしく、リョーマもいつもの様に微笑み返してくれる。いつもの様にと言っても、私以外には殆ど見せない、と以前いたメイドさんが教えてくれた。こんなにも綺麗で魅力溢れる姿を私にだけ見せてくれるのは、私が特別である証拠と共に、他の人に見せるのは抵抗がある照れ屋なのだと解釈している。
 そんなリョーマは私のメイド口調を嫌っている。と言うより、私と主従関係でいるのが嫌いらしい。様呼びや過度な敬語にする必要はないと言われた。だから私の仕事はただのお手伝いのようなレベルで、本来のメイドや使用人とは全く違う扱いになっている。そもそも拾われた身の私は養子のようなもので、メイドをやる必要も無いと言われるし、倫子さんと南次郎さんも私をメイドとしては見ていないと思う。それでも、仕事をさせてほしいと言い出したのは私自身なので、辞めるつもりはない。
 それにしても、夢見が悪かったのもあってか、嫌な予感が頭を過った。休日でリョーマが家に居るので1日そばに居られると気を紛らし、何も起きない事を祈って朝食の準備を再開する。

 お昼を過ぎて買い出しに出なければならないと気付き、南次郎さんに告げればリョーマの同行を薦められた。私は基本的に1人で外出をさせてもらえない。理由はなんとなく解っているけれど、はっきり言われた訳ではないので、私の憶測に過ぎない。それでも、私自身1人での行動には不安が付きまとうので、いつも有り難く思っている。
 外に出れば休日ともあって親子連れやカップルの姿も多い。手を繋いで歩くリョーマと私も、端から見ればそんな風に思われるだろうか。思わず頬が緩んでしまう程に気分が良くなる。
 しかし、嫌な予感が当たってしまった。
 それはいつも突然やってくる。立ち眩みで視界が歪むと共に暗くなっていき、身体中が痺れる程の痛みに襲われ、耳鳴りに聴覚を支配される。私は踞って目を瞑り、耳に手を押し当てた。

 五月蝿い、煩い、うるさい――鳴り止んで、オネガイ。
 苦しい――息が、胸が、心臓が……苦しい――ダレカ。
 痛い――耳が、頭が、身体中が……痛い――タスケテ。

「――ぶだよ、幸恵。大丈夫……」
 いつの間にか胸元を強く握り締めていた自分の手の上に、誰かの体温を感じた。誰かの声が聞こえても耳鳴りがうるさくて聞き取りにくい。身体を優しく包まれ背中や腕を擦られる感覚もして、痛みが少しだけ和らいでいく気がする。
「幸恵、大丈夫。俺がついてる。俺がここに居るから」
 この声はリョーマなのか、リョーマが私を抱き締めてくれているのか。ゆっくりと思考が回復して、そんな事を考える。
「大丈夫、俺はずっと幸恵のそばに居るから」
 耳鳴りが小さくなって次第に声がハッキリ聞こえてくる。やっとリョーマの声だと理解出来た。リョーマがそばに居ると気付いた時、涙が頬を濡らすのを感じた。
「……リョー、マ」
 正常な呼吸もままならないものの、その存在を確かめたくて精一杯声を出した。瞼を開いても、視界が霞んでいて目の前の顔すら見えない。
「無理に喋らなくていいよ。大丈夫だから」
 顔はハッキリ見えないけれど、普段より少し優しい雰囲気の声が返ってきて、リョーマがそばに居ると確認出来た。安心して再び目を瞑れば、また涙が頬を伝って流れるのを感じる。
 リョーマがそばに居る。私にはリョーマがいる。大丈夫、だいじょうぶ、ダイジョウブ――……呪文のように自分に言い聞かせ、口に当てられた紙袋で深呼吸を繰り返す。
 次第に落ち着いてきた呼吸と共に、身体の痛みも耳鳴りも気にならない程度になっていった。胸元を握り締めていた手の力を緩め、私の手を包むように握ってくれていたリョーマの手にゆっくりと指を絡めてみる。
「幸恵、落ち着いた?」
 私の動きに気付いたであろうリョーマが確認するように呟いた。ゆっくりと瞼を開いて見えた視界はまだ少し霞んでいるものの、手に軽く力を入れて握ってみればリョーマも握り返してくれる。
「……ん……あり、がと」
「俺は、何もしてない」
 漸くハッキリと見えてきた視界には、自嘲気味の笑みを浮かべるリョーマが居た。確かに、リョーマは医療的な処置を出来る訳ではない。それでもリョーマがそばに居て、リョーマが抱き締めてくれて、リョーマが声を掛けてくれるから私は自力で抜け出せる――リョーマと出会うまでは何度も病院に運ばれた程酷かった発作から。
「ううん……リョーマが……居る、から」
「解ってる」
「だから……有り難う」
 今度はハッキリと笑顔で伝えれば、大きく暖かい手に頭を撫でられた。
 私にはリョーマが居るからだいじょうぶ=\―発作が起きる度自分に言い聞かせるこの言葉は、リョーマと出会った時から私にとって大事な役割を果たしてくれている。

「きみ、ひとりなの?」
 孤児院から逃げ出して見知らぬ公園で泣いていた幼い頃の私に、誰かが日本語で声を掛けてきた。そこはアメリカで、周りは当たり前に英語を話すから、日本語なんて久しぶりだった。頭に疑問符を浮かべながら顔を上げて見ると、目の前には1人の小さな男の子がいた。
 私が黒髪だから日本人と判断したのか、それとも英語を話せない日本人なのか、小学生らしき鞄を持っているから前者だろうと察しがついた。大きな瞳と白い帽子が印象的なその男の子は、小学生だとすれば私よりも少し年上だけれど、身長は私と差ほど変わりなさそうだった。
「きみのなまえは?」
 先程の質問に対して頷いて答えると、次の質問が直ぐに降ってきた。
「……さえ」
「おれはリョーマ。よろしく、さえ」
 恐る恐る答えた私に手を差し出してきた男の子は無邪気に微笑んでいて、何故か全く躊躇いなくその手に自分の手を重ねた。初めて会った人なのに何だか安心して、私はいつの間にか泣き止んでいた。男の子に手を引かれて立ち上がり、行き先も解らぬまま歩き出した。
「人を拾ってきただとー!?」
 男の子の家らしき場所まで連れられ、玄関でメイドの格好をした長い黒髪の日本人女性に出迎えられた。その人は慌てて家の中にかけていき、数秒後には叫び声にも近い男の人の声が聞こえてきた。
「だいじょうぶ」
 男の人の声に驚いて震えだした私に、男の子は優しく声を掛けて頭を撫でてくれた。

 リョーマが夢の中までも安心させてくれて、一夜明ければ朝から上機嫌に庭の手入れをした。ロサンゼルス郊外にしてはそれほど広くない庭だけれど、隅々まで手入れをしていればあっという間に夕方を迎えてしまう。そしてリョーマが帰宅してから一緒に庭で過ごす。ケーキや紅茶にはあまり興味を示さないリョーマも、私が用意するといつも黙って付き合ってくれる。
 夢のお陰もあってか今日は私から言葉を投げ掛ける事はなく、ただリョーマがそばに居るというだけで心が満たされていった。
「何考えてんの?」
「リョーマと出会った時の事」
 思わず緩む頬もそのままにリョーマを見つめると、リョーマも優しい眼差しを向けてくれる。そして私の一言に言葉を返してはくれないけれど、代わりに私の頭をそっと撫でてくる――あの時と同じのように。
 あの時からリョーマは、「さえ、テニスしよ」と言って私にテニスを教えてくれた。「さえはここ」と私に居場所をくれた。「さえ、すき」と私に愛をくれた。リョーマは私にいつでも変わらぬ愛を与えてくれる。勿論今でも、言葉だけでなく、色んな形で。
 因みに、私の名前の漢字はリョーマが考えて付けてくれた。漢字なんて解らないほど幼かった私は、本来の名前の漢字を知らない。アメリカ生まれだと思うし、もしかしたらリョーマの様に片仮名だったかも知れない。それでも、今の私の名前は幸恵。リョーマがくれた大事な名前。

「好きだよ、幸恵」
「私も、好き」
 頬に手を添えられて目を瞑れば、唇が軽く触れるだけのキスをされる。こうして触れ合う時はあるけれど、飽くまで主人とメイドという関係であるからか、リョーマはそれ以上してこない。本当は物凄く我慢をしているのかも知れない。それでも、そんな素振りは見せないリョーマの優しさを感じ、私から求めたりもまだしない。
「私にはリョーマだけだから」
「知ってる」
 こんなにも私を大切にしてくれるリョーマが私の全てです――そんな気持ちを込めて呟いた。返ってきた優しい声音の中には当たり前かの様に自信たっぷりな雰囲気も含んでいて、リョーマは私の気持ちを理解してくれていると実感出来る。
「拾ってくれて有り難う」
「見つけられて良かった」

 リョーマは私を見つけて拾ってくれた。
 リョーマは私を苦しい日々から解放してくれた。
 リョーマは私を理解してくれた。
 リョーマは私を必要としてくれた。
 リョーマは私に愛を教えてくれた。
 リョーマが居るから、今の私が居る。
 リョーマが私を幸せへと導いてくれる。


‐Fin‐

‐2013/12/14‐

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