短編

□比翼連理
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 幸恵が越前宅に居候する様になってからというもの、リョーマはそれまで家族にも見せなかった姿へと変わっていった。幸恵を単なる同居人ではなく特別な存在として大切にし、家族への感情とも違う深い愛を隠さずさらけ出している。時に穏やかな表情で幸恵を見つめ、頭を撫でたり抱き締めたり――自らスキンシップをする事など皆無なリョーマが幸恵の前では一変するのだ。幸恵に対するリョーマの溺愛っぷりは倫子と南次郎も直ぐ気付いたのだが、口出しせず見守る事にしたらしい。
 家族愛にすら恵まれていなかった幸恵は、始めこそリョーマの想いに戸惑った。それでも拒絶したいと思う事は無く次第に受け止め、自分の中に芽生えていた感情にも気付く。自分の存在を認められ愛されるという事がどんなに幸せか知り、幸恵がその喜びに身を委ねられたのも相手がリョーマだからこそである。2人は月日が経つにつれ互いに1番の理解者となり支え合い、強い絆で結ばれていった。

「リョーマ……」
 休日は基本的にリョーマも1日家に居られる。しかしこの日はテニスのJr.大会が開催され、リョーマが参戦しない訳も無い。学校の日よりも早い時間に起き、まだ眠たげながらも戦意を燃やしている――そんなリョーマに控え目な声を掛けた幸恵は、申し訳なさそうに寂しげな表情をしていた。
「どうかした?」
 準備を整えてテニスシューズに履き替えていたリョーマは、顔を上げて幸恵を見詰める。いつもなら笑顔で送り出してくれる幸恵の異変に優しく問い掛けたのだが、倫子の姿が見えない事も加え原因を聞かずとも察している。
「今日の試合、応援に行けなくなっちゃった。倫子さん、急なお仕事で呼ばれたんだって」
「そっか、なら仕方無いじゃん」
 幸恵の答えはリョーマの予想通りで、どうしようもない事である。数少ない幸恵の外出の機会だが、付き添い無しではリョーマの気が気でない。かと言って南次郎では頼りなさ過ぎて任せられない。結論として、倫子が無理ならば試合観戦をさせる訳にはいかないのだ。
「幸恵――絶対勝って、直ぐ帰ってくるから」
「……うん。怪我とか、気を付けてね?」
 あまり納得がいかない様子の幸恵をリョーマが抱き寄せ、落ち着いた声音で告げながら背中を数度軽く叩いて宥めた。リョーマも同じ気持ちなのだと気付いた幸恵は、いつもの様に見送ろうとなんとか気を持ち直して言葉を紡ぐ。
「大丈夫。じゃ、いってくる」
「いってらっしゃい」

 Jr.大会なだけあって会場には何かと親子連れも多く、幸恵の発作が起きる可能性も高い。リョーマが初めて幸恵の発作を目の当たりにしたのも、休日の親子連れが多い場所での事だった。それからというもの、リョーマは必ず紙袋や簡易呼吸器を常備し、いつ幸恵に異変が起きても対処出来るようにしている。とは言え、そうなる危険性を回避するのが最も大事というのは変わりない。幸恵の苦しむ姿を前に何も出来ないのは、リョーマにとっても苦艱でしかないからだ。
 発作の原因は明確では無いものの、小さな子供が親に甘えている姿を見た時や、親子が楽し気に笑っているのを見た時に起こりやすい、とリョーマ達は思っている。幸恵が親の元に居た頃したくとも出来なかった事であり、恐らく当時堪え凌いでいた悲痛をも思い起こしてしまうからであろう。しかし、当の本人にはそこまで自覚が無いらしく、仲睦まじい親子を見る事自体には恐怖を覚えていない。況してリョーマと出会って以来、発作の頻度も減り症状もかなり軽くなっているからか、幸恵自身は警戒心が薄れつつもある。

 幸恵と出会ってからのリョーマは、発作の事を何時も気に掛けている一方で、テニスの腕は格段に上がっていた。技量の差は僅かだとしても、モチベーションの高さがずば抜けている。数々のJr.大会でも、幸恵が会場に赴いて観戦した日は特に、好調なプレイをリョーマ自身も楽しめていた。
 しかし、幸恵の観戦予定が狂ったのは今回が初めてで、リョーマのモチベーションは少なからず下がってしまっている。上の空な状態で会場に到着したリョーマは、仕方無い事だと何度も自分に言い聞かせながら、ボールに八つ当たりするかの如く壁打ちでアップを済ませて試合を迎えた。
 今大会は名高い強者も殆ど居ない小規模なものだが、準決勝まで差ほど問題無く勝ち進んだリョーマも、決勝でまさかの苦戦を強いられてしまった。やはりモチベーションが全く影響しない筈もない。対戦相手ではなく自分自身との闘いとなり、リョーマは微かに苛立ちすら覚えてしまう。チェンジコート中に自身のラケットを見詰め、どうすれば良いのかと思考を巡らせる。
「リョーマ! いつもみたく楽しんで。リョーマなら大丈夫」
 そんな時リョーマの耳へ飛び込んだのは、来られない筈の幸恵の声援だった。いつも審判のコール以外は全く耳に入らないほど試合に集中しているリョーマだが、幸恵の声だけは特別らしい。珍しく心臓を僅かに跳ね上がらせながら声の出所に目を向けたリョーマは、幸恵を見付け隣に居る倫子の姿も視界に捉えた。
 試合中にコート外へ意識がいってしまうなんて自分もまだまだだと思いつつ、リョーマは口角を上げて笑みを零す。テニスを心底楽しめばいい、そんな単純な事に気付くには幸恵が必要だった。そこから一気に調子を取り戻したリョーマは、本来の力を発揮する。苦戦していたのが嘘の様に、相手に1ポイントも取らせず、最後はサービスエースで決めた。
「幸恵――」
 試合を制したリョーマは真っ先に幸恵の元へ向かった。感謝と愛しさ溢れさせて名を紡ぎながら、フェンス越しに互いの指を絡ませる。自分も幸恵無しでは駄目なのだと深く身に染みたのだろう。そして、それを解らせてくれた倫子にも密かに感謝していた。
「お疲れ様。最後だけでも間に合って良かった」
「ありがと。折角だから、帰りにどっか寄ってく?」
 安堵の表情で労りと嬉しさを口にする幸恵は、リョーマにとってこの上無く心安らぐ存在だ。試合の疲れなど何処かへ吹き飛び、もっと幸恵を喜ばせたいと思ったらしい。そうでなくとも、リョーマは普段から幸恵が外出するからには一緒に色んな場所を訪れて楽しい時を過ごさせたいと考えている。
「いいの? 疲れてない?」
「大丈夫」
 幸恵の心配は杞憂に過ぎないがいつでもリョーマの事を優先して考え気遣う姿勢は決して崩さない。それを遠慮や謙虚だとは思っていない幸恵に対し、リョーマもいつも過保護な程の気遣いを忘れない。互いに互いを最優先しあう事はしようと思っても簡単な事では無い筈だが、想い合っているなら当然の事だと考えているこの2人はあまり一般的とは言えない価値観を含んでいる。
「じゃあ……カフェに行きたいな。この前見付けた所」
「了解。表彰とかあるから、もう少し待ってて」
 今すぐにでも幸恵を抱き締めたい衝動を抑え、リョーマは名残惜しげに本部へボールを持って行った。そして直ぐ閉会式が行われ、小さなトロフィーを受け取ったリョーマは珍しくも僅かに頬を緩ませている。その理由が優勝したからではないと知っているのは、本人と倫子位だろう。
 まだ幼い2人にはこれから訪れる試練の方が多いかも知れない。それでも、2人で立ち向かえば幾らでも乗り越えていける、そう思える程に強い気持ちを持っている。共依存とも呼べるこの関係は、普通の恋人同士とはかけ離れたものだが、2人にとっては恐らくベストな形と言える。


‐Fin‐

‐2015/2/3‐

管理人:翔(そら)

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