cherry side&parallel

□honey trap
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初めて会ったのは母である美和の結婚式のとき。
彼女はそう思っているようだけど、俺たちはその前にすでに会っていた。






ホテルの最上階のバー。
街場のバーよりも入りやすいため、女性の独り客がカウンターに座っていることがままある。
まさに今、空席をひとつ挟んだ隣に座る彼女のように。


「隣いいかな」なんてドラマみたいなことはしない。
一人で飲みに来てるなら、きっと一人で飲みたいんだろう。


しかし彼女の横顔を一目見たとき、どうしても声をかけずにはいられなかった。

それは別に、彼女の整った顔立ちが好みだったわけでも、黒の総レースのワンピースに包まれた体つきに目が眩んだからでもない。

ただ彼女が、なんとなく幸せそうな顔をして、グラスを傾けていたから―――






「隣、いいかしら」
バーテンダーが離れた隙に声をかけた。

「あ、はい、どうぞ」
「ふふ、ありがとう」

明るく返事をした彼女の隣に移動する。
その笑みは絶えぬまま。
女装のおかげか、全く警戒する様子はなかった。







「そう、海外のお仕事から帰ってきたばかりなの。やっぱり生まれ育った国は落ち着くかしら」
「はい!なによりもごはんが美味しくて。それからお酒も」
「ふふ、だからそんなに嬉しそうな顔をしてたのね」
「えっ、顔に出てました!?」

恥ずかしい、と小さな声で呟いて両手で顔を覆った彼女。
ちらりと目だけでこちらを窺ってから、再びふんわりとした笑みを浮かべた。


彼女が飲んでいたのはミモザ。
黄色いミモザの花に似ていることから名付けられたカクテルだ。
彼女が明るく笑うとそこにぱっと花が咲いたような、胸をくすぐられるような華やかさがあった。









「おっかしー、お腹痛いワ。
彼氏を男に寝取られたと思ったら、自分のほうが浮気相手だったって!アンタ最高!」
「もう、笑いすぎです。
まあ、今だからわたしも笑って話せますけどね」

彼女は口を尖らせながらも、その瞳は三日月を描く。


「まぁ、フランスはゲイに寛容だっていうわよね」
「そうなんです、特にファッション業界は多いみたいで」
「そう。じゃ、そんなカワイソウなアナタに、お姉サンが一杯奢ってあげる」
「えっ、悪いですよっ」
「いいのよ、黙って甘えなさい」



遠慮する彼女を制して頼んだのはキール。ルージュを塗った彼女のリップと同じ、赤。



「でも、アレね、アンタもっと勉強したほうがいいかもね」
「勉強、ですか」
「そ。男がどんな生き物か、とか、良い女がどういうものか、とかね」

うーんと考え込んだ彼女が、ぱっと閃いたように顔を上げた。

「どうしたらあなたみたいになれますか?」
「え?ワタシ?」
「はい!
だって美人だし、自分にすごく自信を持ってて。それに、その…すごく色っぽいし」
そこだけ顔を赤らめて、少し小声になった。

「わたしの知ってる人に似てるんです。大好きで、ずっと憧れてるんです」

そんな期待を込めた眼で見られても、ねぇ。

「アナタ、悪くないわよ?美人っていうよりは、まぁ可愛いタイプよね。
多少抜けてるところがあるようだけど、それも愛嬌、でしょ?」

「うーん」

不満そうな、それでいて嬉しそうな表情を浮かべた彼女の、足元から爪の先までをざっと検分する。

しいてひとつ、言わせてもらうなら……


















彼女が出ていってから10分後に、チェックを済ませて店を後にした。


周りを見渡し、閉まりかけたエレベーターにするりと滑り込むと、そこに居たのは目当ての彼女。

「あっ、ごめんなさい、気付かなくて」
「いいの、平気よ」

薄暗く、狭い個室。
このエレベーターはロビーまで直通だから、途中で邪魔は入らない。






「アナタにひとつ、いいこと教えてあげる」

「えっ、なんですか?」

笑顔を向けた彼女に、一歩一歩、歩み寄る。
少し後退りした彼女の行く手は、すぐに壁に阻まれた。

「良い女の条件は、顔やスタイルばかりじゃないわ。
自分のことをよーく知っておくことも重要なの」

「はい。あの、えっと…」

壁際に追い込まれて、眉を寄せ見上げる彼女の細い顎を軽く掬う。

「例えば…」



そしてそのまま、彼女の唇を、優しく奪った。



口付けた瞬間から、こぼれそうなほど眼を見開いた彼女。

それに構わず、熟れた果実を食むように、歯を立てないよう吸い上げる。

唇の輪郭を端から舐めると、彼女はぎゅっと眼をつむった。

とろとろになるほどに柔らかな感触を堪能したら、最後にチュッと音を立てて完成。




間近で彼女と視線を合わせると、瞬きもせずに固まっている。

「……あ…あの……」

「ふふ、そんなに驚いた?
さっきからずっと思ってたの。
アナタに真っ赤なルージュは似合わないわ。それよりも、ほら」

彼女の肩をくるりと回して、鏡張りの壁面に向かわせる。映ったのはおろおろと戸惑うばかりの女性と、その後ろの長身の女。
華奢な肩に両手を置いて、耳元でそっと囁いた。


「その桜色の唇のほうが、ずっと男心をそそる」






エレベーターが速度をゆるめ、やがてチンと音を立てて停止した。

踵を返し、彼女を置いてエレベーターを降りた。
足音は聞こえてこないから、彼女はきっとまだエレベーターの中で固まってるんだろう。










「はぁ〜、楽しい夜だったわぁ〜」

ヒールを鳴らしながら、夜も更け人もまばらになった夜道を歩く。
バーで人と飲むことは多くないが、今夜の酒は悪くなかった。

「ふふ、オイシイ思いもしちゃったし」

唇の感触がよみがえる。
見上げると、空にはぽっかりと三日月が。
彼女の笑顔が脳裏に浮かんだ。


「じゃあね、かわいこちゃん。
いつかまた、きっとどこかで」


    

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