cherry side&parallel

□2×4
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「ったくあいつは、どれだけ人を待たせれば気が済むんだ」

貴重な休日の昼下がり、私は出来損ないの弟を待っていた。


来月へと迫った母の結婚式。
その為の服を買いたいから付き合ってくれないか、と声をかけてきたのは悪趣味女装趣味の光だった。

(私も準備しなければと思っていたから、付き合ってやらないこともないが)

昔はスッキリと聡明だった弟がまさかあんな姿に成長するとは。
はぁ、世も末だ。


「きょーにぃ〜、お待たせぇ」
リビングの上から響いてきた甲高い声。その声にまさかと思い視線を上げると、光は性懲りもなく女装姿で現れた。

「おい、その恰好で行く気じゃないだろうな」
「へ?」
きょとんとした光。(やめろ)
一拍おいて、やつが自分の服装を検分した。
「おかしなところはないと思うけど。あ、下着は新品よ、きょうにぃのため「うるさいっ、気持ちの悪いことを言うんじゃないっ」に」


はぁぁちょっと休憩、と言って、光が冷蔵庫を開けてミネラルウォーターを豪快に喉に流し込む。

「っぷは。
だってアタシ、フツウの女の子よりちょっとおっきいじゃない?
ヒール履いても釣り合うのって、きょうにぃか要くらいしか居ないのよ」
口許を手の甲で拭った光が、片手で髪をかき上げた。

「だったら要を連れて行けばいいじゃないか」

そもそも要のほうが私より背が高い。ジムで鉢合わせたときに知ってしまった口惜しい事実だ。要のほうが3p、高い。

「イヤよ、あんなホストみたいなオトコ。アタシはきょうにぃがいいの!」
男のくせに甘ったるい声を出し、私の左腕に絡み付いてくる光。
いつもならば力ずくで引き剥がすところだが、『要より良い』と評価されたことに柄にもなく気持ちが浮ついた。


「…ほら、買い物、さっさと行くぞ」








『良いお店があるのよ、アタシの行き付け』
光に腕を引かれて歩く。

(あぁ、目眩と吐き気が…)

銀座の並木通りから一本奥に入った、喧騒を逃れた一角。

いったいどんなハデハデしいところかと思ったが、着いてみると意外にも落ち着いた、センスの良さそうな店だった。

「イタリアの直営店なの。アタシサイズが豊富なのよ」

…どうやらあの忌まわしい女物の服はここで仕入れているらしい。




一面ガラス張りの外装。ドアは開け放たれていた。

「はぁい、久しぶりね」
光が軽く手を上げて店員に声をかける。

「朝日奈様、いらっしゃいませ」
「今日も素敵なお召し物ですね、朝日奈様」
店内には女性と男性の店員が1人ずつ。
柔和で嫌味のない笑みだ。


私のことはそっちのけでしばらく話し込んだ後、光が唐突に私のほうへと振り向いた。


「今日はカレに1着スーツを見立てて欲しいの」

その言葉に男性店員の目がきらりと光った。

「それはそれは、精一杯努めさせていただきます。ではどうぞこちらへ」
案内されるままに、2階のメンズフロアーへと続く螺旋階段を登っていく。

「お客様は背が高くていらっしゃるから、どんなスーツでもお似合いになりますね」
笑顔のままに言う店員。
リップサービスだと承知してはいるが、まぁ褒められて悪い気はしない。




「あら、それなんて似合うんじゃない?着てみたら、右京」
なぜ呼び捨てなんだ、恋人気取りか、気持ち悪い。
「お試しになりますか?」
そしてなぜか私ではなく光に聞く店員。
「そうね、お願い。ほら右京、荷物持っててあげる」

光に荷物を取り上げられ、そして試着室と呼ぶには広すぎる空間に、店員と共に押し込められた。


2時間後。
結果から言えば、私はスーツにシャツにタイに靴、それからポケットチーフと、一式全ての購入を決めた。
光の薦めた店というのが癇に障るが、悪い買い物ではなかった、と思う。






「おい、お前が服を買いたいと言ったんだろ」
私だけが大荷物。なぜか光は手ぶらで店を出た。
「アタシはいいわ。それよりこれから、ちょっとどう?」
光がくいと手首を捻り、酒を飲む仕草をした。
珍しく奢るなどと言う。ちょうど頃合いだったので、何度か仕事で利用した割烹へと足を向けた。






「そういえば、春からオンナノコがマンションに住み始めたんだって?」

向かいに座る男は『コレ美味しい』などと言いながら、舟盛りのお造りをひょいひょいとつまんでいる。

「あぁ、母さんの再婚相手の娘さん、絵麻さんというんだ」
そう私が答えると、気色の悪い高い声で違うわよ〜と言いながら、ヒラヒラと手を左右に振った。

「それは玲子に似たほうでしょ?そっちじゃなくて、もう一人のほう。美和サンがご執心のほうよ」
「こら、箸で人を指すな、不快だ」

あぁゴメンゴメンと悪びれない様子には本当に腹が立つ。
それに玲子の名を出すな、すこぶる不快だ。


「それなら、桜さんだろう。しかし何でお前が知ってる、家に寄りつきもしないのに」

「美和サンから深夜に変な電話がかかってきたのよ。嫁にしろとかどうのって」

なるほど。光も聞いたのか、“母の計画”を。

「お前が気にすることじゃない。…こっちでなんとかする」

「ふぅん。
で右京、玲子似のほうと嫁にしなきゃいけないほう、どっち取るのよ」
バカみたいな質問をしながら、光は目を細めて薄く笑う。

「お前には関係ないだろ。それから」
「それから?」

今日こそはビシッと言ってやる。

「私のことを呼び捨てにするなっ。
玲子の名前を二度と出すなっ。
あと…桜さんの前でおかしな振る舞いをするんじゃないぞ…」

「なに?最後のほうごにょごにょして聞き取れなかったわ」





これからもう一軒飲みに行くという光と、表通りまで並んで歩く。
夜の銀座は昼間とは全く違う顔を見せていた。


「ねぇきょうにぃ、たまには髪下ろしたら?ほら、こんなカンジに」
「こらっ、人の頭に触るんじゃない」

すれ違う人々は、私たちのことをカップルだとでも思っているのだろうか。あぁ、忌々しい。


「じゃあね」
「あっ、待て、光」
さっぱりと別れの言葉を発した弟を、思わず呼び止めた。自分の声が夜のざわめきの中に響く。

「なによ」
光が腰に手を当てて立ち止まった。

「…たまには、夕飯でも食べに来い。雅臣兄さんや弥が喜ぶ」
若干の気まずさを、眼鏡のブリッジを上げて誤魔化した。
指の隙間から見えた光は、一瞬目を瞠った後、ふっと笑ったように見えた。


「なによ、らしくないわね」










“たまには兄弟と向かい合って酒を飲むのも悪くない”
柄にもなくそんなことを思ったひと月後、私は衝撃の事実を知ることとなる。





「なんだ、この請求額は…」

月末に送られてくるクレジットカードの請求書。
光と行った銀座の服屋からの請求額が、想定の2倍以上になっている。どういうことだ……


はっっ。
「まさか…」



『ほら右京、荷物持っててあげる』
そう言って私の鞄を片手に持ち、女性店員と共に1階へと降りていった光。

「まさかあの後、勝手にカードを使ったのか」

怒りのあまり、請求書を持つ手がブルブルと震える。
更に私は、服屋の請求のすぐ下の欄を見てダメ押しのショックを受けた。

「アイツ、あの割烹の支払いにも使ったのかっ」


今度光が実家に帰ってきたら、手の込んだ料理を食べさせてやろうと思っていた。
このピュアな兄心を返せ。

「今度やったら弟といえど詐欺罪で訴えてやる、あの×れ×××めっ」








*****************







「っくしゅ、っくしゅ、っくしゅっっ」

くしゃみが続けて3回も。
おかげでアイラインが少しズレちゃったじゃない。

「きっとどこかの良いオトコが、アタシのウワサでもしてるのね」
 
 

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