cherry side&parallel

□舞う黄色
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午前中のラジオ収録を終え、次の仕事へ向かう椿と表参道の駅で別れた。


(……どうしよう)


買い物をしようにも欲しいものは思いつかない。一人で外食というのもなんとなく気が進まない。

仮にも少しばかり名前の売れている声優だ…と自分では思っている。
時折掛けられる声に微笑んで会釈を返しながら足早に通り過ぎる。
少しだけ、疎ましく思いながら。


ここ数日で急に気温は下がり、昼間でもシャツの上にジャケット一枚羽織るだけでは肌寒く感じるほどだ。

寒いのは、好きじゃない。

普段ならば真っ直ぐ家に帰るのに、その時だけはなんとなく、うろうろと街を歩いていた。




「梓くーん!」



突如大きな声で呼ばれた自分の名前。

声の主が誰かはすぐに分かった。

慌てて辺りを見渡すと、前方の歩道橋の中央で大きく手を振る女性が目に写る。
その見慣れた明るい色の髪。

鮮やかなグリーンのコートを着て、大きな声で僕の名を呼ぶ彼女が、ぽっかりと浮き上がって見えた。


「桜さん!」
どうして平日の昼間に彼女がここに!?

逸る気持ちを抑えながら、バレない程度の駆け足で階段を登る。



「驚いた…桜さん、仕事は?」

「今日は市場調査、と称したショッピングなの。

まさか梓くんに会えるなんて思わなかった!」

心底嬉しそうに笑う彼女に、胸がぽっと暖かくなる。
さっきまで感じていた街の喧騒や煩わしさが一瞬の内に吹き飛んだ。




「ねぇ、見て」

そういって示された先は表参道のいちょう並木。

「歩道橋の真ん中からだと左右にずらっと並んで見えて気持ちいいでしょ。
むこーうの先で一つに集まるの。
風が吹くと順番に葉っぱが揺れてきれいだよ」

ここ、特等席、と言って彼女はふんわりと微笑んだ。





「梓くん、お昼食べた?」

「いや、これからなんだ」

「じゃあこれ、食べる?」


手元の袋をごそごそと探り取り出したのは、パン。

「さっきそこのお店で買ったの。
クロワッサン、好きだから最後に食べようと思ってたけど、梓くんにあげるね」

彼女の片手にも食べかけの小さな丸いパンが握られている。

「えっ、桜さん、まさかここで食べてたの?」

彼女は少しだけ顔を赤くして、お腹減ったんだもん、といって口を尖らせる。
その様子に思わず苦笑してしまう。


欄干にもたれてパンをほうばる彼女に倣い、僕もクロワッサンを一口齧る。
幾重にも重なった空気を含んだ層がパリパリと音をたて、芳醇なバターの薫りが口いっぱいに広がった。

「うん、おいしい」

「そう?よかった」


歩道橋からいちょう並木を眺めながら、二人で並んでパンに齧り付く。
不思議と恥ずかしさは感じなかった。



しばらくしてふと隣の彼女を見ると、その手はすでにからっぽ。
物欲しそうに僕の手元を見つめている。


「……食べる?」

差し出すと彼女はうんと言うやいなや、僕の手を片手で引き寄せてそのまま口に運んだ。


声が…出なかった。


「やっぱり、おいひい、くおわっさん」

呆然とする僕を気にもせず、口のまわりをパン屑だらけにしながら彼女は嬉しそうに咀嚼を続ける。



彼女が食べた次の一口。
それを食べるのには、少しの時間と勇気がいった。








せっかくだから少し歩こうと誘われて、青山から外苑を抜けて、国立競技場の脇を通る。


「どこもかしこもいちょうだらけだね〜」

ふわふわと上ばかりを見ながら歩く彼女。

ここまで来ると人通りは更に少なく、時々ジャージ姿でジョギングをする学生の集団とすれ違うくらいだ。


「だいぶ歩いたけど、桜さん、平気?」

一瞬きょとんとした彼女は、すぐにはにかんで答えた。

「平気だよ。

梓くん、ゆっくり歩いてくれてるでしょ?」

そう言われて驚いた。
そんなつもりは無かったから。

コンパスが違いますから、とわざと大股で歩く彼女の後ろ姿を見ながら、それは違うと自答する。

多分僕は、出来るだけ長く彼女と一緒に居たいと無意識の内に思っていたんだ。






その時一際強い風が吹き、黄色い
落ち葉が一斉に空へと舞い上がった。
片手で髪を押さえながら彼女は、そして僕も、時が巻き戻されたように空へと昇っていく落ち葉を見つめた。




「……きれい」
「……きれいだ」

同時に零れた言葉。

彼女を見ると、僕の好きな淡い茶色の瞳は優しく細めてられていた。

「今日、梓くんに会えて良かった」






帰りの電車。
ドアの横に佇み、流れる景色を見るともなく見ている彼女の横顔を、僕は見ていた。
さっきまでとは違う、落ち着いた表情を見せる彼女。
今、一体どんなことを考えているの?


全部、知りたい。



彼女が見つめる先に答えを探しながら、今日の午後を振り返る。


彼女が好きだという場所、物、景色。その全てを五感を駆使して心に刻む。

そうやって小さな小さな欠片を集めて僕のナカを満たす。

これから先、どこへ行っても何を見ても、僕はきっと君だけを想い出すだろう。

 

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