cherry drops

□drops 8
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「桜、脱いで」
「へ???」

思わずマヌケな声が出た。
今から着物に着替えるんだから、当たり前っちゃ当たり前なんだけど。

「これ、絵麻に借りたインナー。これ着て」
「は、はぁ」
着てって言われても、目の前に光さんが居るのに。

押し付けられた服を抱きしめて突っ立っていたら、彼はぷっと吹き出した。

「別に、桜のカラダ見たって興奮しないよ。それとも…」
彼は片方だけ口角を上げて目を細め、ぐいっと顔を近づける。

「意識してる?俺のこと」
至近距離で見つめられ、顔がかっと熱くなった。

「っそんなこと。
ちょっと、あっち向いててっ」
「はいはい」

まだくすくすと笑いを漏らす彼が背を向け、髪をざっくりとひとつに括る。
その様子に目をやりながら、ヒートテックのインナーと膝丈のレギンスに着替えた。
またしても跳ねた心臓をなんとか宥めながら。



「まず足袋履いて」

背を向けたまま、光さんが指示を出す。

「先に足袋なの?」
「いいから言う通りにする」
「はいはい」
さっきの光さんのマネ。


ベッドに腰かけて片足ずつ足袋を履く。
足袋の留め具は特殊な形をしていて、慣れないとなかなか留めにくい。

(あれ、すぐ外れちゃう)

1人で悪戦苦闘していると、いきなりにゅっと手が伸びてきた。



「あ!ちょっと光さんっ!」

背中を向けていたはずの彼が目の前で膝をつき、わたしの足を強引に取ってその膝の上に乗せた。


「桜がちんたらしてるからでしょ。それに」

光さんが器用に留め具をかけながら、ちらりとわたしに視線を送る。

「さっきも言ったけど、そんなマヌケなカッコされても興奮しないって」

鼻で笑うというオマケ付きだった。




「はい、立って」

両手を勢いよく引っ張られ、鏡の前に立たされた。
鏡の中のわたしは、真っ黒のピタピタインナーに足袋という、なんともハズカシイ姿だ。
(確かに、これはマヌケだわ)




「手、軽く上げて」
「こう?」
まるで出来損ないのペンギンのような格好で固まる。
「いいね。そのまま。
それにしても、ほんと面白いね、そのカッコ」


さっきからイジワルなことばかり言う光さん。
けれどその動きはとてもスムーズで、裾よけや襦袢といった着物用の下着を次々とわたしに着せていった。

そして時折、紐で腹部を締めつける。

「うっっ」
着物なんて成人式の時以来。想像はしてたけど、こんなに圧迫されるとは思わなかった。


「桜、太ったんじゃない?」
「それ、思っても言っちゃダメなヤツ」
「へぇ、否定はしないんだ」
「…もう、知らないっ」














「着物の柄、これにしたんだけど」

その言葉に振り向くと、彼が持っていたのはピンクや黄色、黄緑の亀甲柄の晴れ着だった。

ペールトーンの優しい色調で、絵麻ちゃんの赤い着物のような華やかさはないけれど、幾何学の柄がどことなくモダンな雰囲気でわたしは一目で気に入った。

「ステキ…ありがと、光さん」

光さんといるとよく思う。
彼はわたしよりも、わたしが好きなものを良く分かっているみたい…



背中から少し重さのある着物を肩にかけながら、光さんが耳元でぽそりと呟いた。

「これ、友禅の一番良いやつ。俺や絵麻が着てた振袖より高いから、雑煮とかこぼすなよ」

「えっ、そうなの!?」

比較的落ち着いた印象だったから、まさかそんなに高級なものだとは思わなかった。

「地味だからそんなに高くないと思った?」
まるで思考を読んだように得意気に笑う彼。

「んーもう!早く着せてせてよね、光さんっ」
「はいはい、今やってます」









彼の手によってわたしの装いが変わっていくのを見るのは、とても不思議な気分だった。

インナー姿はひどくマヌケだったけど、今は元旦に相応しい晴れ着姿へ。

着付けをしている間の彼はとても真剣な表情で、その顔を盗み見ながらドキドキしているわたしは、ほんとうにどうかしてる。





「はい、出来た」
慣れた手つきで帯を結び終えた彼。
後ろからわたしの肩に手を置いて、一緒に鏡を覗き込む。

「うん、まぁ、いんじゃない?」
「ほんと?」
気付けの間中、たるんだお腹をひっこめろとか貧乳は着物が似合うとか、散々ヒドいことを言っていたくせに。





帯は金糸と銀糸のシンプルなもの。
紫色の帯締めと翡翠の帯留めが良いアクセントになっている。


「お正月に着物なんて初めて。感動…」

鏡の前でくるくると回り自分の姿を見ていたら、ベッドに腰を下ろした彼と目が合った。
心なしか、ぐったりとした様子。



「ありがと光さん。嬉しい。
…着付けで疲れちゃった?」

振り向いてポーズを取ってみると、彼は声を上げて笑った。

「はいはい、似合ってる似合ってる」

そして両腕を後ろについて、ふぅと長い息を吐き出し天を仰いだ。



「あー緊張した。桜、俺のこと、ガン見しすぎ」
「えっ、知ってたの!?」
そこまで言ってはっと両手で口許を押さえた。(これじゃ“見てました”って言ってるようなものじゃない)


「…わたしは、光さんじゃなくて着物を見てたの」
「ふーん、じゃあそういうことにしといてあげるよ」

そう言って彼は、とても穏やかな笑みを浮かべた。















「さて、そろそろ行くか」

そう促されて部屋を出て、2人してエレベーターを待つ。
短くて長い、無言の時間。


「桜」
落ち声で名前を呼ばれた。

「なに?」
「リビングに戻った後、初詣いこ。2人で」
「…2人で?」

固まったわたしを見て、彼は表情を和らげた。

「まぁ、椿あたりがそうはさせてくれないだろうけどね。
ほら、来たよ、乗って」


動き出したエレベーターのぐわんという振動が身体に伝わる。
どうしてかな、また胸がドキドキしてきた。


「桜と出掛けようと思って、俺、着物着替えたんだし」
「えっ、そうなの?」
思いがけない言葉だった。
さっきはお遊びだなんて言ってたのに。

「晴れ着の女を晴れ着の男が連れて歩いたってカッコつかないでしょ。それに…」
エレベーターが5階で止まり、扉が開いた。けれど動こうとしない彼。
(それに?)

「それに、あんな長い袖引きずってたら、桜がコケても助けてあげられない」

茶目っ気たっぷりにわたしを覗き込んだ彼に、鼻をちょんと小突かれた。

「……転ばないもん」
「どうだか」


クスクスと笑いながら、両手をポケットに入れて先に降りていく光さんの背を呆然と見つめた。

ドアが閉まりかけたところで我に返り、慌ててエレベーターから飛び降りた。
彼が言った“それに”のあとに続く言葉に、わたし何かを期待、した?



はしる鼓動を押さえながら光さんの後を追うと、リビングへと降りる階段の手前で彼が立ち止まっていた。


「さ、お手をどうぞ、おじょうさま」
相変わらずの悪戯っぽい笑みを浮かべながら左手を差し出してくる。

ちょっと恥ずかしくて、ちょっと嬉しい。

そんな気持ちがバレないように、頬を膨らませて彼の手を取った。




「桜、転げ落ちないでよ。俺つぶれちゃうから」

「っ、そこは受け止めてよね、男らしく」

すると彼はふっと笑った。

「はいはい、努力いたします」

 
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