cherry drops
□drops 8
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数年ぶりに日本で迎えた大晦日。朝から何もすることがないわたしは、どうにも困っていた。
特番観て、ご飯食べて、ウトウトしてからまた特番を観て。
こんなふうにして過ごす日がめったにないだけに、なんだかむしろヒマ疲れ。
「ちょっと早いけど、寝ちゃおうかな」
時計の針が指すのは午後10時過ぎ。今時小学生でも大晦日ならばもうちょっとがんばるだろうに。
残りのワインを飲み干してキッチンで洗い物をしていたら、ピンポーンと耳慣れたチャイムの音が響いた。
「あ、やっぱり棗くんだ」
「やっぱりって何だよ」
彼は少しムッとした様子。
「だってうちに来る人、棗くんくらいしかいないもの」
「くらいって何だよ」
いつも通りの軽いやり取り。それから彼はこう続けた。
「そば、食うか?年越しそば」
「今から?」
「そりゃそうだろ、年越しだからな」
うーん、ほんとはもう寝ようと思ってたんだけど。
懐かしいな、『年越しそば』だって。
子供のときはお母さんが毎年作ってくれたっけ。
お父さんとお母さんとお姉ちゃんとおばあちゃんとわたし。5人できゅうきゅうとおこたに入って食べた、くすぐったくて幸せな記憶。
「…いいね。おそば、食べよっか」
「あふっ、あふっ、んーおいひい」
「おい、慌てて食うとヤケドするぞ」
つばきとあずさと遊んでいる間に彼が作ってくれたのは、卵を落としたあったかおそば。
これくらいならわたしだって作れるけどね。
小さなテーブルのはす向かいに座り、はふはふ食べながら新年を待つ。
「棗くんは年越し、実家で過ごさないの?」
「そうだな。明日顔を出すつもりだ。お前はどうするんだ?どこか行くのか?」
「わたし?」
(うーん、そうだなぁ)
美和さんとはこないだ会ったばかりだし。
他に行くところといえば唯一の血縁であるお姉ちゃんのお家。
しかしそこには旦那さんとそのご両親もいる。元旦からは行きづらいところだ。
「3日になったらお姉ちゃん家に挨拶しに行こうかな。
お姉ちゃんと姪っ子、甥っ子に会いたいからね」
そうか、とだけ言って彼は立ち上がり、キッチンへと向かった。
「なぁ、今日、何の日か知ってるか?」
キッチンから聞こえた少し大きな彼の声。わたしは思わずぷっと吹き出す。
「棗くんもその質問?」
笑ったわたしを訝しんでか、彼はキッチンへと続くドアのところまで戻ってきてた。
なんとも不思議そうな顔をしている。
「椿くんにも同じこと聞かれたの。さすが三つ子だね」
昨日、マンションの前で椿くんに聞かれた。
『明日何の日か知ってる?』
大晦日って答えたら、“ピンポンだけど惜しい”と言って彼は笑った。
「あれ、どしたの?棗くん」
今度は難しい顔をして固まっている。
「椿といつその話したんだ?」
「えっと、昨日向こうで…偶然会って」
「そうか。で、答えは分かったか?」
「それが、結局教えてくれなかったんだよね。今日ってなんの日なの?」
彼はただ黙って突っ立ったまま。そんな彼から目を離せず、わたしも黙って彼を見つめる。
「まだ知らないのか」
と言った気がした。お湯の沸くピーーーっという音でうまく聞き取れなかったけれど。
彼はその音ではっと我に返ったように、キッチンへと消えていった。
(なんだろ、変な棗くん)
棗くんが淹れてくれたのは熱いほうじ茶。香ばしい香りで部屋の中が満たされる。
あと数分で、新しい年の訪れ。
「さっきの…今日が何の日かって話だけどな」
「うんうん、何の日?」
テレビからは除夜の鐘が聞こえている。
「…椿と梓の誕生日なんだ」
「…たんじょう、び」
うそ。
食べかけのおせんべいがぽろりとテーブルに落ちた。
昨日の椿くんを思い出す。
そっか、それを言おうとしてたんだ。
「ていうことは、棗くんも今日お誕生日なんだ!」
「いや、俺は…」
彼が言いかけたところでテレビのカウントダウンが始まった。
「あっ、どうしよう、年越しだ」
5、4、3、2、1、…
テレビ画面にはどこかのライブ会場が映し出された。盛大な花火と共に金色の紙吹雪が舞い、人々が笑顔で新年を祝っている。
「いや、俺の誕生日は、今日なんだ」
「へ?今日?」
「あぁ、1月1日だ」
年越し、出産?
「はは、さすが美和さん」
身体ごと棗くんに向かって正座をする。
「棗くん、お誕生日おめでとう!」
彼は少しはにかんで、『あぁ』とだけ答えた。
「ねぇ、誕生日プレゼント、なにかリクエストない?」
旅行のおみやげはライターで、クリスマスのお返しはネクタイにした。その上誕生日プレゼントなんて、もう何がいいのか見当もつかない。
「欲しい物は特にないが、そうだな…」
少しの間顎に手を当てて考え込み、そして彼は言った。
「いまから少し、付き合ってくれないか?」