小説

□翻弄
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信号が赤から青に変わる頃。スクランブル交差点は人で詰まりに詰まって、人口密度のピークを迎えた。俺はそんなに急いでもなかったし、時間はそれなりにあった。 やがて信号が青に変わった。それと同時に皆一斉に歩き出す。俺もそうした。この喧騒の中は、色んな意味で静かだ。俺はそう思う。ささくれ立った心の中は、この喧騒を欲している。 スクランブル交差点を渡り切った。この後どうしようか。


なんてな。


俺は背後の気配に俺は身を竦めた。
視線がキリキリと痛い。大量の憤怒を孕んだ視線や。
俺は敢えて振り返りはせず、足を進めた。
遠くまで建ち並ぶ摩天楼。日陰で屯する女達。何処からか逃げ出した老犬。忙しなく歩くサラリーマン。 そのどれもが色褪せて、やがて色を失った。色彩は無い。マネキンが着飾った洋服も、ショーウインドーの中のお菓子達すらも、灰色だ。

笑える。ほんまに。笑えるよ。
それでも、その憤怒は、
真っ赤なんやろ?





「松本!いい加減にせぇ!」

突如響いた怒鳴り声。俺は足を止めた。 ズカズカとこちらに歩み寄ってくる。
俺は振り返った。


嗚呼。



俺は目を見開いた。




「お前!ふざけとんのか!?
待ち合わせに2時間も遅れて来て!何でや!何で俺の事、無視すんねん!!」



極彩色。嗚呼。
色鮮やかや。何で。
何でや。



「おい聞いとんのか!?松も…」



俺はその口を塞ぐ様に、口付けをした。何度も何度も。力一杯にその小柄な身体を抱き寄せ、人の目など気にせずに。


「ま、つ…んっ」


その吐く息にすら色があった。
俺の中がその色に染められていく。
空蝉でいたかったんや。
もう遅い。抱いてしもうた。


「浜田、息を止めてくれや」

俺と口付けをしたまま、
色を失ってしまえばええ。
俺が全部頂戴してやるわ。

浜田は俺の腕の中で藻掻いていた。俺は決して離しはしなかった。口付けをしたまま、もう呼吸をさせない様に。
行き交う人々は誰もこちらを見なかった。振り返りもしない。
色を失っていく。俺はそれでよかったのだ。やがて喧騒が消える。
全ての色が消える。音が消える。

消える。


花などなくていい。
今だけは。
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