book1

□居候影月その後3
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◆季節



「花に嵐のたとえもあるぞ、さよならだけが人生だ」

ぼんやりと窓の外を眺めていた国見がぽつりと呟いた言葉に、とろとろと溶かされていた思考がほんの少しだけ明瞭な形を持つ。伏せていた顔を上げると、先ほどまで必死に数学の問題を解いていた金田一の不思議そうな顔があった。

「は?なんだそれ?」
「金田一、今日国語の授業聞いてなかったでしょ」
「う、いや、昨日は課題が」
「和訳だよ。『勧酒』っていう漢詩の」

普段は全てが一様に前に向いている机を、窓際の国見の机の前と横に三つくっつけ、そこに教科書や筆記用具を広げる。いつもなら部活に打ち込んでいるはずの時間に、なぜ教室でこんなことをしているのかと言えば、今日が期末試験三日前だからに他ならない。
赤点を取ったら再テストがあって部活ができなくなるから、きっちり勉強しろよと顧問と先輩に言われて、なんとなく成り行きでチームメイトの金田一と国見と勉強をすることになったのだが、始まって三十分もしないうちに集中力が切れて、いつの間にか居眠りをしていたらしい。
くあ、と小さく欠伸を噛み殺し、やっぱりこんなことをするよりも早くバレーがしたいと覚醒しきらない頭で考えながら、ぼんやりと二人の会話に耳を傾けた。

「元が漢詩だから訳はいろいろあるけど、これがたぶん一番有名。名訳なんだってさ」
「へえ……」
「まあ、ぶっちゃけ別に授業で言ってたわけじゃないけど」
「はあ!?じゃあそれ覚えてもしょうがねえじゃん」
「暇つぶしに教科書めくってたら出てきただけ。授業で何やってたかなんて俺も寝てたから知らないし」
「おまっ……あーもーこれだから頭いいやつは!」

余裕ぶりやがってーむかつく!なんて騒ぐ金田一を横目に一瞥し、俺はもう一度シャッターのようにがらがらと落ちてくる瞼に抗うことなく視界を闇に閉ざす。
そうだ、これは確か、俺がまだ北川第一にいて、チームメイトとの仲も特別悪くなかった時期のこと。めちゃくちゃ仲がいいわけじゃなかったけれど、少なくとも、孤独ではなかった。
もしあいつらとたくさんの時を過ごしたのなら、あいつらが俺の特別になってたのかもしれない。別離を迎えるようなこともなく、今でもずっと、かけがえのない何かとして。
誰でもいいのなんて、みんなそうで。
そんな中で、あいつが、月島が、俺を選んだというのなら。
俺も、おまえがいい。

まどろみの中に浮かんだのは、いつかの春の情景と、ムカつくすまし顔。
目が覚めた時には、プラネタリウムの上映時間はとっくに終わっていた。


* * *


飛んできたボールを指先で受け止め、ふわりと上げる。ボールは吸い込まれるようにスパイカーの手に当たり、相手コートへ。
バシンと気持ちのいい音が響くと同時に、練習終了の笛の音が体育館を横断するように響き渡り、俺は自分の掌を見つめながら一つ大きく息を吐き、頷いた。

「影山―!おまえ急に調子よくなったな!」
「うす、迷惑かけてすみませんでした」
「いやいやいや、いいってことよ」

がん、と突然首の後ろと肩に衝撃を受けたと思ったら、つい先ほど俺のトスを打ったやつが満面の笑みで肩を組んできた。突然の衝撃に若干息を詰まらせながらも、俺はおとなしくそれを受け入れ今までのことを詫びる。するとそいつは俺の肩から腕を離し、代わりとでもいうようにばしばしと背中を叩いた。

「どんな優秀な選手だってなあ、ハニーにふられりゃ誰だって調子崩すって!」

俺が不調になった時期と月島が練習を見に来なくなった時期が重なったせいで、チーム内ではそう解釈されたらしい。
正確には不調のほうが先なのだが、月島とのことが気になり長引いたのは事実なのであまり否定もできず、しかしハニーじゃありません、とそこだけはしっかり訂正を入れておく。
ははは、と笑い飛ばしたチームメイトは、わかっているのかいないのか。これからも頑張ろうなーと明るく言ってまた練習に戻っていく。
思い通りに動く体は軽い。チームメイトと共にやるバレーは楽しい。元から大きくはない容量の頭で、ごちゃごちゃ考えていたから、いけなかったのかもしれない。何が解決したわけではないけれど、黒尾さんの言葉はやけに信憑性があった。
だから、俺はただ、今まで通りバレーをするだけ。

そう決めてからは、今までのようにバレー漬けの毎日が、嵐のような速さで過ぎ去って行った。相変わらず、月島からは何の音沙汰もない。俺からも、何も言わない。
日常の中から、月島の姿が消えていくことに、不安を覚えないと言ったら嘘になる。もうこのまま、一生俺たちの道が交わることは無いのではないか。このまま、俺たちの間にあったあの繋がりは消えてしまうんじゃないか。
けれどそう思う反面、このまま俺がバレーを続けている限り、この道はいつかまた必ず、あいつの元にたどり着く。そう、理由のない確証があった。

そんな生活を続けていたある日。カッと肌を刺すように照らす陽の光の下、俺は早朝のロードワークに精を出していた。
朝早いだけあって、包み込む空気はまだ少し冷たいし、陽の光だってこれくらい、まだまだ序の口。
それでもやっぱり、朝一番に浴びる直射日光はそれなりにきついし、起き抜けに無理やり動かす身体は怠い。
けれど慣れたその感覚は決して不快なものではなく、むしろもはやその感覚が目覚まし時計そのもののようになり、かすかに頭の芯に残る眠気を溶かしていく。
朝っぱらから元気に走るカゲとヒナを足元に纏わりつかせつつ、俺は人影の少ない道を駆け抜けた。

ちらちらと視界を過る木漏れ日に目を細めながら、夏だな、なんて当たり前のことを考える。
ぎらぎらと光る太陽も、心なしか全てのものがどこか騒がしく、活気のある季節。一年の内で一番、力がみなぎる、生命力にあふれた季節。
ふと昔、日向とロードワークの最中に交わした会話を思い出した。みんなを季節に例えるなら、というくだらない話題で、始まりは日向の「なんか山口って、秋!って感じだよな!」の一言から。

『じゃあおまえはどう考えても夏だな』
『おまえは冬!なんかつめたーい感じだし!あ、でも月島も冬、って感じだよな〜』

きーんって冷たくてさ、睨まれたりしたら背筋がひゅおおってなるんだよなーと日向が続けるのをぼんやりと聞き流しながら、冬か、と小さく呟く。
冬。冷たい雪に覆われる、一年の内で一番、静かな季節。
月島と冬をイコールで結び付けようとして、ふと違和感を覚えた。けれどその違和感の正体まではわからなくて、俺は意図しないうちに足をゆるめる。
当然のように日向に少し置いて行かれる形になり、数歩前に進んだそいつが影山?と不思議そうに俺を振り返った。しかし俺はそれに返事もせず、冬、冬、と幾度か口の中で繰り返しふるふると首を横に振る。
出会った当初の頃なら、そのたとえに両手を上げて賛成していただろう。けれどその時の俺は、すでに月島と共に部内のツートップの役職に腰を据えた後で。
月島を季節にたとえるのなら、春だと思った。
けれどそれは桜の花が咲き乱れるそんな温かく優しい季節ではなく、まだまだ雪が残る冷たい春。時折差し込む陽の光が、ちょろちょろと小川を生み出し、その隙間からフキノトウが顔を覗かせるような、そんな春。
いつもは冷たいくせに、ほんの時折、優しい温かさを見せることがある、そんなやつ。
あの時俺はたしかに、あいつを春だと思っていた。

完全に思考を回想に攫われ、危なく前方に人影が現れたことに気付かないところだった。慌てて足を止めると、目の前のそいつはひょいと俺の少し先を走っていたヒナを抱え上げる。
人の猫に勝手に何する、と怒ろうとして、そいつの顔を真正面から見た俺は、目を丸くして間抜けに口を開けた。

「へへ、来ちゃった」

夏の色を持つ、俺の相棒。
本来なら海の向こうにいるはずの日向が、腕の中にそっくりな顔をするヒナを抱え、にっこりと騒がしい笑みを顔に浮かべていた。


* * *



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