book1

□居候影月話その後2
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ゆるゆると降り注ぐ陽光も、足を動かすたびに頬を撫ぜる風も、文句なしに心地いい。嫌いなやつが多い体力アップのためのランニングも、俺は好きだった。今日はこれだけの距離を、これだけの速さで走れた。明日は、その次はもっと。
これが終わったら、何の練習をしよう。昨日はあれがダメだった、だから、今日は。そんなことを考えながら、うずうずと胸の内から湧き上がるバレーがしたいという気持ちを、全て足に込めた。
けれど今は、足を動かしているだけで使われない頭は余計なことばかりを考える。思い出したくないことや、考えたくないこと。そんなことばかりが、泉のようにこんこんと湧き出て、気分転換のはずだったのに少しも気は晴れない。
しばらく走り、もう帰ろうかと投げやりに考えたところで、ふと視界に入ったものに足を止めた。ととと、と殺しきれなかった勢いのまま数歩進んだ、その先。古びた、お世辞にも立派とは言えない科学館。
いつか、月島と共に来た、あのプラネタリウム。
何かを考えるよりも先に、ふらりと足が動いていた。何かに手を引かれるまま受付に向かい、上映時間を聞く。今上映が始まったばかりだから、次は二時間後だと教えられた。それでもいいかと問われ、俺は頷く。
購入した券を粗雑にピラピラと振り回しながら、まさか自分が一人でこんなところに赴く日が来るなんて思わなかったと、思わず嘆息する。体育館にばかり張り付いていた自分とは、まるで対極の位置にある場所ではないだろうか。
面影を追いかけるように思い出の場所を訪れるなんて、我ながら女々しいにも程がある。空いた時間を壁際に置いてある少し黄ばんだ椅子の上で潰しているうちに、急にここにいることが居た堪れなくなってきた。背筋をむず痒さが遅い、そわそわと腰が落ち着かない。二時間もただ待つのも、暇だ。いっそ、帰ってしまおうか。
そう思ったとき、ふと視界の先に、図書室という文字の書かれたプレートが目に入った。科学館というくらいだから、プラネタリウムの他にもよくわからない科学的な展示がいろいろと置いてあるのは知っていたが、さすがに子供がスイッチを押して騒いでいる中に混ざる気にはならず近寄らなかった。しかし、図書室くらいなら。
そう思い、誰も見ていないことを理解していながらきょろきょろとあたりを探るように見回し、俺は図書室に足を向ける。中に入って、その先。おすすめ本展示コーナーというところでふと見覚えのある表紙に、足を止めた。

『星の王子様』

笑いながら、月島が勧めた本。絶対に読まないと、軽口を叩いた。
他に特に読みたいと思う本がなかったから、と誰にともなく言い訳をするように口の中で呟き、俺は白地に一人の少年と、星が書かれた本を手に取る。そのまま近くの椅子に腰を落ち着け、ぺらりと紙をめくった。
ぷん、と少し古びた紙特有の香りが鼻先をくすぐり、広がる思ったよりも字の詰まった光景に反射的にページを閉じそうになる。しかしふと目に入った、変な形の帽子のような挿絵に興味を持ち、挿絵だけを探してページをめくり、驚いた。
あるページでは帽子にしか見えなかった絵が、他のページでは蛇になり、象を飲み込んでいた。
なんだこれ。思わず呟き、いったい何がどうなってこうなったのかと、俺は慌てて一番最初のページへと戻る。そこからは、時間を忘れて読み進めた。テストの勉強においても発揮したことのない集中力だったと思う。
その本は、砂漠に不時着した飛行機乗りの青年と、小さな星の王子様の話。語り口調がまるで本当にあったことを話すようなものだから、これが現実にあったことなのか、それともただの物語なのか、見分けがつかない。内容は少し難しくて、悲しくて、でもどこか温かな気持ちになるものだった。
中でも目を引いたのは、王子様が小さな星で育てたバラと、砂漠で出会ったキツネの話。
つんけんして、天邪鬼で、わがままなバラを、月島みたいだと思った。感じ悪いとこがそっくりだといらいらしながら読んでいたのに、王子様がそのバラを置いて行ってしまったことが酷くショックだった。
ページをめくり読み進めても、ずっとずっとバラのことばかり気にしていた。ガラスのおおいをかけてやればよかったのに。今頃寒さに凍えているんじゃないか、毛虫に苦しんでいるんじゃないか。花を置いて行ってしまった王子様に、怒りを覚えたままページをめくる。
ある時、王子様は砂漠でキツネに出会った。はじめは近づくことも許してくれなかったキツネだったけれど、じわじわともどかしい時間を共にして、王子様とキツネは互いに『なついた』。『きずなをつくった』。
そうしてキツネは言う。自分が特別だと思っていたバラが、世界にはあふれていることに悲しんだ王子様に。

『バラのためになくしたじかんが、きみのバラをそんなにもだいじなものにしたんだ』

本を読み終わった俺は、目を閉じながら天井を仰ぎ、一つ大きく息を吐く。慣れないことをしたせいか、頭がガンガンしたけれど、気分はすっと楽になっていた。
柄にもなく、難しいことを考えすぎた。何かに手を伸ばすのに、意味や理由ばかりを追い求めて、一番大切なことを見失っていた。
俺と月島の間には、運命的な御大層なものなんて、何もないかもしれない。友情も、愛情も、憧憬も、信頼も。でも俺の中には、月島と共にバレーをした時間がある。料理を食べた、旅行をした、話をした、ただ黙って寄り添った、今までに感じたことのない、満たされた気持ちを伴った時間が、たくさんある。
居心地のよさと安らぎに満ちたあの時間は、間違いなく幸福で、それら全てが、俺の中で月島を特別にする。
世界に人は何億人もいて、俺が関わった人ってだけでも百人以上は余裕でいて、その中にはたとえば国見とか、及川さんとか、孤爪さんとか、月島とちょっと似てるな、と思うようなやつは、いっぱいいた。
でもだからといって、同じではない。一つに括ってまとめられるような、そんなものではない。
特別なんだ、と思う。つんけんして天邪鬼でわがままな、でも優しくて物知りで一緒にいて飽きないあいつのことが。
少なくとも、もう一度会いたいと、そう思えるくらいには。


* * *




「というわけで、月島と仲直りするにはどうしたらいいっすか、黒尾さん」
『……いやまあ、なんつーか、あれだね。影山君はさすが天才、ってところかな』
「?、あざっす」
『いや褒めては……まあいいや。吹っ切れるとほんとびっくりするくらい直球だね。よくもまあ俺に電話しようと思ったね』
「あいつのこと一番わかるのは山口か黒尾さんでしょうし、山口と月島はめったに喧嘩なんてしてなかったんで、聞くなら黒尾さんかなって。……迷惑でしたか?」
『いや、いいよ。そう思ってもらえたなら単純に嬉しいしな。それでなんだっけ?ツッキーとの仲直りの仕方?だっけ?』
「うす」
『ちょっといい酒とご機嫌とりのケーキ買って、あとはひたすら許してもらえるまで謝る』
「?」
『それが俺とツッキーの仲直りの仕方』
「……」
『でもそれはさ、君がするべきことでも、ツッキーが君にして欲しいことでもないと思うんだよね』
「……っすね」
『それにさ、ツッキーは君に怒ってるわけじゃ、ないと思うんだよね』
「……?」
『いやーそれにしても、そっかー、へええーそっかーおまえらがねー』
「?、何がっすか?」
『まあ、なんていうか。烏野と試合してた頃から薄々とは感じてたけど、やっぱり偽物じゃダメだったってことなのかねえ』
「あ、あの?」
『ただ塗りつぶしただけのまがい物の色じゃ、そりゃあ永遠なんて願いようがないよな』
「どういう、意味っすか?」
『んー……そうだねえ。まあ、お月様は夜の中で一番綺麗に輝く、ってなところかね』
「……?」
『あーいーのいーの。影山君には分からなくって』
「はあ」
『とにかくツッキーはさ、影山君が余計なことなんか考えずにバレーしてるのが、一番うれしいと、俺は思うよ』
「……それは、なんとなくわかる、かもしれません」
『ならさ、それでいいじゃん。こういうのは案外、時が解決してくれるもんだよ』
「それも、なんとなくわかります」
『はは。……それに、さ。そういう甘やかす役割は、俺だけのものにさせといてよ』
「……」
『なーんて、ね』
「黒尾さ……」
『とにかくさ、俺に言えるのは、ちょっとツッキーのこと信じて、待っててあげてくれない、ってくらいかな』
「あいつを?」
『うん。……だから影山君はさ、思いっきりバレー、やってなよ』
「……はい」

携帯電話使用禁止の館内を抜け出し外に出た先。青空の中には白くて薄い月が、ぼんやりと昇っている。
通話が途切れた音を掌にと耳に残したままぼんやりとそれを眺め、俺はふうと深く息を吐いた。
ディスプレイを眺めると、もうすぐプラネタリウムの上映時間になる頃合い。それだけ確認すると、俺は昼間の月に背を向け館内に戻った。




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