book1

□居候影月話その後2
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◇色



「君の色の中で、僕は一番輝ける」

ざわめきに埋もれる会場の中で、その呟きを俺の耳が拾うことができたのは、奇跡としか言いようがない。それほど周囲の喧騒は激しく、そしてその声は聞かせる意図の無い小さなものだった。
は?と無遠慮に疑問符を乗せたままの声を漏らせば、俺の耳に届いたことが不本意だったのだろう。その言葉の主、月島はほんの少し驚いたようにスポーツグラスの奥の目を見開いた後、なんでもないよと首を振った。
なんでもないこたないだろ、と食い下がっても、月島は答えようとしない。挙句の果てには、そんなことで集中乱されて負けましたなんてやめてよ、王様といつもの軽口が飛んでくる始末。
三年の冬。春高決勝戦前のこと。
結局その言葉の真意を知ることはできなかったけれど、今でもその響きをよく覚えている。
喧騒の中で拾い上げたその音は、そいつらしからぬ柔らかなものだったから。

主将が月島で、俺が副主将。二人のうちどちらかが、までは先輩が決めたことだったけれど、最終的には月島が自ら主将を引き受ける形で収まった。
何かと雑務をこなしたり、全校の前でスピーチを行ったり他校と交渉したり。君そういうの苦手でしょ?とそう言って馬鹿にしたように笑ったけれど、それが俺に負い目を感じさせないためだということくらいは、馬鹿だ馬鹿だと言われる俺にも分かった。
進学クラスで自身も勉強やらなにやらと忙しいだろうに、いいのかと尋ねると、月島は珍しく何の含みも無く口元に笑みを浮かべて頷いた。

「いいんだよ。そういう面倒事は庶民に任せて、王様はバレーにだけ集中してれば」

最初の内は周囲に心配されていた月島の言うところの『下剋上体制』は、思っていたよりもずっとうまくいったと思う。
事務仕事や統率力、経験や実力。足りないところは、俺や月島だけではなく、日向や山口にも補って貰い、懸命にこなした。特に一番の心配はやる気だな、なんて言われていた月島は、誰よりも遅くまで残り、日々の雑務をこなし、部員の体調や練習メニューにまで気を配っていた。
初めは驚いていたけれど、バレーのために一生懸命になる月島の姿に、不思議と違和感はなかった。むしろ気だるげなスタンスを貫いていた一年の頃よりもずっとしっくりきていて、こっちが本当のこいつなのかもしれないとまで思ったほどに。
バレーのために頑張るやつを見るのは、嫌いじゃない。だから自分の自主練習もしたかったのでいつも、という訳ではなかったけれど、たまに月島に付き合ったし、苦手な雑務だってできる限り手伝った。
特別仲良しこよしをしていたわけではないけれど、二人きりでいる時間は格段に増えた高校三年の一年間。
真っ暗になった窓の外を時折眺めつつ、部室の切れかけの照明の中で二人額を突き合わせ、遅くまで次の日の練習試合の戦略について話し合った夜。
今思えば、あの頃が一番、月島のことをわかっていた気がする。




翌日になっても、月島が戻ることはなかった。
元より荷物が少なく、いつもきちんと整理をしていたのは知っている。合宿の時だって、あれがないこれがないと騒ぎ立てる俺や日向を横目に、すでにきっちりとまとまった荷物を肩にかけ、よく呆れたような表情を浮かべていた。ふらりとどこかに姿を消す時も、帰ってくる時も、いつだって月島は、すぐに動けるようにしている。
学校名からして烏だなんて例えられることが多かった俺たちだけど、あいつの身軽さはどちらかというと猫みたいだと、空っぽの部屋の中で少し口元を歪めた。
もう帰国してしまったのか、それすらもわからない。
謝るべきだろうか。今どこでどうしているとも知れないのだから、せめて、安否の確認くらいはするべきだろうか。お世辞にも治安がいいとは言えない土地で、あんな時間に外に飛び出したのだから。あんな貧弱そうなやつ、何があってもおかしくない。
ふっと嫌な想像が過ぎり、手の内の形態を握りしめる。しかしどうしてもアドレス欄を開くことができず、練習があるから、疲れたからと自分に言い訳をして連絡を先延ばしにしてしまった。
それに第一、連絡をしたとして何を言えばいいのだろう。
あの時月島に告げた言葉は、言うべきことでなかったと理解はしているけれど、まぎれもなく俺の本心だった。バレーに関して、他人に口を出されるのは好きじゃない。お遊びのバレーをしてヘラヘラしてるのだって。そもそもあいつの、人を小馬鹿にしたような高慢な態度だって、好きじゃない。
でもそれは思いやりであり、個人差であり、個性だ。そういうものがあるということを、俺は烏野で学んだ。生来の性質というものがあるから、完全に心から納得できているわけではない面ももちろんあるけれど、そういうものなのだと飲み込むことはできる。
やっぱりそれはいつもなら、少し言い争いをして、でも三秒もすれば忘れるような、そんな小さなことで消化できるはずだった。
今の俺が形ばかりの謝罪を述べたとして、それであとは、いったい何を言えばいい。言い訳を並び立てるか、それとも、帰って来いと縋るのか。
馬鹿らしい。ここがあいつの帰る場所だなんて、いったい誰がいつ決めた。元より俺たちの間に、互いを縛れるような関係なんて、無い。
三年間同じチームだった。あいつが突然俺の元に押しかけて、少しの間共に過ごした。たまに、旅行に行った。ただ、それだけ。友情も、愛情も、憧憬も、信頼も、そんな特別で運命的なものなんて、俺たちの間には何も無い。
そんな俺に、あいつを引き留める理由も言葉も、見つかるはずがないのは当然だ。

もやもやと晴れない思いと、空の部屋への寂寞を抱えていてもなお、朝日が昇れば当然のように一日が始まる。重たい身体を無理やり引きずり、早朝のランニングに繰り出し、朝食を喉に押し込むように流し込んで、練習に向かった。
けれど、そんな散々に集中を乱されたままでいいプレイなどできるはずもなく、先日まで以上の酷いトスを上げ続ける俺は、とうとう監督からしばらくの休養を言い渡される羽目になった。自分の現状は理解していたし、憔悴している自覚はあったので、黙って頷く。
その日は軽いアップを取った後、早めに帰宅した。
月島が俺の元を去ってから、既にひと月は経っているというのに、未だに俺は連絡すらできていなければ、調子だって戻っていない。いくら瞼を閉じて数を数えたところで、朝日の欠片が差し込む兆しすら、見つからなかった。
なんとか一度だけ、山口には連絡を入れた。さすがに本当に何か事件に巻き込まれでもしていたら洒落にならないと思い、何気ない近況連絡の体を装って。
山口は突然の俺からの連絡に何かを疑う様子もなく、いつも通り楽しそうに自分の近況や、周囲の話をしてくれた。その中には当然のように月島の話もあり、いつも通り大学に通っていると。何かやりたいことが見つかったみたいで、忙しそうにしながらも最近は頑張っているのだと、そう教えてくれた。
しかしやはり、月島から聞いたのかそれとも俺の声から何かを感じ取ったのか、山口は最後に少し声を潜めると、ツッキーと喧嘩でもした?と小さく尋ねる。一瞬言葉に詰まったが、月島と俺が喧嘩をしているのなんていつものことだろ、とだけ口にした。
詮索されたくないことに気付いたのだろう。そっか、そうだよね、とだけ言うと気になってはいたようだが、それ以上追及することもなく電話を切った。山口は引き際を見極めるのがとてもうまい。それは元からなのか、それともあの気難しいやつと長年付き合ってきたからなのかわからないけれど。でもたぶん、月島は山口のそういうところに救われていたんだと思う。
電話を切った後、一番最初に込みあがったのは安堵。そしてそのすぐ後を追う、理不尽な怒りと、焦燥。
無事ならよかった、元気ならよかった、そう思う。その一方で、やっぱり俺のことなんかどうでもよかったんじゃないか、とも思う。あいつが何も言わずに日常に戻ったということは、これで俺たちの間には、本当に何も無くなったのだろうか。

俺にとってはバレーが一番で、今までの人生、それ以外に時間や心を割いたことなんて、ほとんどない。俺にとってのバレーは、呼吸や、食事や、睡眠と同じくらい、あって当然のものだった。
だから、バレーが手につかなくなるほど何かを考えるなんてことが初めてで、まるで身体が拒絶反応を示しているかのように重い。それでも取り止めのない思考はぐるぐると渦巻き続け、気が付くと練習を休み始めてから一週間は経っていた。物心ついてから、これほどバレーから離れたことはあっただろうか。
もう二度と、バレーができないかもしれない。不意に過ぎった想像に、ふっと背筋が寒くなる。それを振り払うかのように、俺は気分転換のためのランニングに出かけた。




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