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□居候影月話その後1
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結局、その日まともにコンビネーションが決まることは無く、際限なくもう一回を要求する俺に、とうとう監督からストップが出た。気付けばもうだいぶ遅い時間になっていて、月島や他のメンバーの姿も無い。大会の次の日だというのに長々と付き合ってくれたスパイカーへの礼もそこそこに、俺は不完全燃焼の苛立ちを抱えたまま練習場を後にした。

「王様、おかえり」

帰宅早々聞こえてきたのは、きちんと躾けられてきたのか、案外律儀に帰宅を迎える月島の声。しかし心身ともに疲れ切っていた俺はそれに返事をすることすらも億劫で、半ば引きずるように持って帰ってきたエナメルバッグを乱暴にソファに投げ捨て、自分自身もそこに身を沈める。その勢いに先客としてソファでくつろいでいたヒナたちは、驚いたようにみゃっと声を上げて飛び起きた。
投げかけた言葉を無視され、月島がむっと眉を潜めたのが顔を見なくてもわかる。しかし遅れた返答も、それに対する謝罪も口にする気が起きない。むしろそこに混じる、普段通りであろうとするそいつなりの気遣いが、余計に俺を苛立たせた。

「ちょっと、王様。いくらなんでも返事の一つもしないのは、態度悪すぎるんじゃない?そういうコミュニケーションの一つ一つが、普段のプレイに繋がるんじゃないの」

脳裏に過ぎるのは、今日のいくらやってもうまくいかない練習風景。昨日の試合。中学時代の、まるで敵を見つめるかのような、チームメイトの刺々しい視線。

「昨日の試合といい今日といい、あんなんじゃまた見捨てられても文句言えないよ。君のとこと人たちも心配してたみたいだし、いつまでもイライラしてたらチームメイトもいい迷惑だよ。そんなんで大丈夫なの、王様?」

もう長いこと見ていない、月島の、晴れ晴れとした心からの笑顔が蘇った。
とっくに慣れたはずの軽口が、こいつからなら別にいいかと思えていたはずの呼称が、無性に癇に障る。ぐさり、ぐさりと、心臓に針を打ち込まれたような気持ちになる。
もやもやと胸の内に蟠る苛立ちが、月島の一言一言、一挙一動により増幅されていくような感覚を覚え、気付いた時にはぎり、と強く唇を噛みしめていた。
頭の中に鳴り響く、俺の中にうすらと残る中学時代の残像。向けられる不名誉な敬称と、それに伴う言葉の残響。つらつらと並べられていく月島の言葉の意味も、そんなノイズがうるさくてちっとも耳になんて入ってこない。
ただ、色々な音がぐちゃぐちゃに入り乱れて、頭がおかしくなりそうだった。
うるさくてうるさくてたまらなくて、とにかくただ、静かにして欲しかった。

「……るせえ」
「え?」
「うるせえんだよ!バレーできもしないやつが、偉そうに俺のすることにごちゃごちゃ口出すな!」


「……るせえ」
「え?」
「うるせえんだよ!バレーできもしないやつが、偉そうに俺のすることにごちゃごちゃ口出すな!」

容赦なく放たれた大声と、それに伴い荒々しく立ち上がった拍子にずれたソファに驚いたらしく、くつろいでいた猫たちが一斉に飛び上がり小さく鳴いた。しかしそんな普段は愛くるしいと思う声も、そしてキッチンの中、皿を手にしたまま凍り付いたように動きを止める月島の見開かれた瞳の揺れも、全てが酷く煩わしい。

「んなことおまえに言われなくてもわかってんだよ!俺が何年バレーだけに向き合ってきてると思ってんだ!気まぐれに付いてきてはお遊びのバレーしてへらへらしてるようなやつが、わかったような口きくな!」
「っ、王様、僕が悪かった。だから、落ち着いて」
「結局、おまえは……っ」

下手な運動をした時よりもずっと息が入れて、声がかすれる。心臓がばくばくと鳴り響く音や、血液が駆け巡る音ばかりが鼓膜を揺らし、他の感覚はどこか遠い。
そんな中、八つ当たりでしかない理不尽な言葉を投げかけられて尚俺を案じるように宥める月島だけが。いや、その月島に被さるように浮かぶ、昼間のあの、俺ではないセッターに上げられたボールに触れ笑顔を見せる姿が、異様にくっきりと瞳に映った。

「おまえは……バレーさえしてれば。おまえができなくなったこと拾ってくれる都合のいいやつなら、誰でもよかったんだろ」
「───っ」

自分でも思っていたよりずっと、冷たい声が喉から滑り落ちていた。氷の塊をそのまま吐き出したような言葉は、確かにその対象となったやつの心臓を的確に抉る。息を呑む音を最後に、普段なら俺の言葉一つを火種に十も二十も返してくる饒舌な男が、何も言わない。
すぐに撤回して、謝らなくては。頭のかろうじて冷静な部分が、何度もそう呼びかけてくる。こんなの全て言いがかりでしかなくて、言葉は悪いけれど、先ほどの月島の言葉だって全て俺のことを心配してのものだと、ちゃんとわかっている。
それでも、昼間見た月島の楽しそうな姿が瞼の裏にちらつくたび、謝罪を口にしようとする喉をぎゅっと塞いだ。

「……そう、だね。ごめん」

先に吐き出された謝罪は、俺のものではなく、月島のものだった。俺にも負けないほどかすれた声がたどたどしく紡いだそれに、俺の肩が大きく跳ね、ようやく少し唇が開く。しかしそこが何かを紡ぐよりも先に、月島は俺に背を向けると、ばたばたとらしくない足音を響かせ自室へと戻っていった。
反射的にその背中に手を伸ばし、足を踏み出そうとする。しかしその手は何かを掴むよりも先に、重力に負けてだらりと垂れさがった。
ここで追いすがって、謝って、それでどうなると言うのだろう。たった今、思い知ったばかりなのに。いつの間にか勘違いして、それを当然のように思っていただけで、月島にとって俺は唯一ではない。
山口のように、幼いころから共にいたわけではない。黒尾さんのように、想いを通わせたわけでもない。
及川さんのように、憧れたわけではない。日向のように、相棒になったわけでもない。
俺にとってだって、あいつが唯一というわけではない。

ばたばたと、音が響く。その音は廊下を挟んだ壁の向こうで響き、そして廊下で響き、玄関で響き、消えた。
しぃんと静まり返った家の中、扉が閉まるがちゃんという音を最後に、俺は再び
ソファに身を沈める。

あいつにとって俺はただ高校時代を共に過ごし未だにバレーを続けているやつでしかないとしたら、俺にとってだってそれは同じだ。俺を孤独から救い、仲間となったやつらのうちの一人。俺にとっての一番はいつだってバレーで、そこにそれ以外が来ることなんてありえない。
だったら、そんな俺のどこにあいつを引き留める権利があるのだろう。
元から俺たちの間にはバレー以外何もなくて、それをいつの間にか、長い時間を共に過ごすうちに、勘違いしていただけ。
バレーが無かったら俺は月島に興味を抱くことはなかっただろうし、バレーが無かったら、月島は俺の元になんて来なかった。
曖昧な関係のままでいることが楽だと思っていたんじゃない。その関係に真っ向から目を向けたとき、そこに何もないことを知るのが怖かった。

座り込んだ俺の周りに、嵐が過ぎ去ったことを悟ったのかヒナたちがおそるおそるというように集まる。すりすりと少し湿った鼻先を俺の身体に押し付けて、みゃあと小さく、どこか寂しげに鳴いた。
元は一人で暮らしていた。今ではそこに六匹もの猫が増えたというのに、この部屋がやけに広く感じるのは、何故なのだろう。
不意にくん、と服を引かれた気がして視線を落とすと、そこには俺の服に噛みつきぐいぐいと何かを示すかのように引っ張るクロの姿があった。動く気力が残されていない身体を無理やり動かし、なんとか首だけでも回し、導かれるまま顔を向けたその先。
カウンターの上には、すっかり食べるだけになっていた俺の好物。ポークカレー温玉のせだけが、ぽつりと置いてあった。




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