book1

□月島が影山の家に居候する話
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沈黙が満ちる部屋に、ふいにチャイムの音が鳴り響いた。はっとして顔を上げるといつの間にか日は沈みかけていて、いったいどれほどの間ぼんやりしていたのかと苦笑いがこみ上げる。
モニターを確認するとそこではさらりとしたストレートの黒髪を持つ長身の男がぜえはあと盛大に息を切らしていて、俺はそれを素通りし直接玄関に向かった。がちゃりと、ドアも開け切らないうちから影山君は、今にも掴みかからんばかりの勢いで身を乗り出す。

「つ、月島は!?」
「おーお疲れさん。ツッキーならよく寝てるよ。熱もだいぶ下がった」

すぐに引き取ると言った影山君に、形ばかり明日も練習だろ、こっちで看とくよと告げると、明日は休みを貰ったから大丈夫だと返された。プロがそんなんでいいのかねえとか、居候の元チームメイト相手にずいぶんとお優しいことでとか、いくらでもからかいどころはあった筈なのに、俺はただ頷くだけにとどめる。
目が覚めて、意識がはっきりした時にここにいると、きっと月島はひっそりと苦しむ。俺もそれは痛いほどわかっていたし、そして影山君も。他人の感情の機微なんてこれっぽっちもわかっていないような顔をしながら、ただ本能的に悟っているのだろう。
木兎と赤葦に月島の支度と車の準備を頼んで、俺は影山君にもうちっと待っててなと声をかけた。うす、と頷いた影山君はジャージ姿にエナメルバッグをしょっていて、おそらく練習を終えてそのままこちらに向かったのだろう。

「……影山君はさ、まだバレーやってるんだよね?」
「あ、はい」
「バレー、楽しい?」
「?、うっす」

木兎たちを待っている間奇妙な間が空いてしまい、元から接点が少なかった俺に対してどう接したらいいのかわからなかったようで、影山君は目に見えてそわそわしてしまう。月島が王様のコミュ障は相変わらず、なんてぼやいていたが、確かにその通りのようだ。
バレーの神様に愛された、その身に宿る能力の大半をそれに割いた男。未だに何の躊躇いもなくバレーを好きだと言ってのけるその口が、酷くうらやましくて、ほんの少し、憎たらしい。

「……俺はもう、バレーの楽しさみたいなの、忘れちゃったなあ」

転がり落ちた言葉にしまったと思うものの、覆水は盆に返らない。慌ててなんてね、と誤魔化すように影山君に笑いかけると、不思議そうにまたたく黒い瞳と視線が合った。
迷いの無い綺麗な瞳がきん、と俺を貫くように光り、そしてその口が無造作に開かれる。

「じゃあ、またやりましょうよ」
「へ?」
「あー……もうこっちではあれですけど、俺も近いうちに日本に帰る予定あるんで、その時にでも。烏野とか音駒とか梟谷とか、集められるだけ人集めて……」

そんでまた、バレーしましょうよ。
俺の言葉の意味なんて、どうせわかっちゃいないだろうに。俺がいったいその言葉に、どんな感情を乗せていたかなんて、きっと少しも知らないだろうに。それでも、その指先から生み出されるトスのように、ずれているようで的確な言葉をしれっとくれる、バレーの神様に愛された天才セッター様。
月島がこいつの元を選んだ理由が、わかった気がした。こいつがこうであるから。あの頃と少しも変わらない顔で、バレーを好きだと口にするから。だからきっと月島は、ここに来たんだ。

月島と影山君と、それを送りに行った木兎を見送り、俺は家の中へと踵を返す。途中すれ違った赤葦に少しぎょっとした顔をされ、大丈夫ですかと訊かれた俺はいったいどんな顔をしていたのだろうか。
何が〜?と一応しらばっくれ、俺は逃げるように宛がわれた私室の扉を開ける。ばたんと扉を閉めた先、そこにもたれてふうと大きく息を吐いたところで、不意にポケットの中の携帯が震えだした。
無視を決め込もうかとも思ったが、存外しつこく震え続けるそれに仕方なく指を伸ばす。そして、驚いた。確認した液晶に映っていたのは、普段他人との干渉を酷く面倒くさがり、滅多に自分から連絡なんて寄越したりしない幼馴染の名前。

「もしもし」
「……もしもし?クロ?」
「おー研磨か。どうした、珍しいな」
「どうしたじゃない、いきなりアメリカ行くとか言いだすからこっちはびっくりしたんだよ。月島、ちゃんと見つかった?」
「あー……そうだったな、悪い。連絡し忘れてた。こっちは何も問題ねえよ。山口君と赤葦が言ってた通り、烏野の元セッター君のとこにいたわ」
「そう、良かったね」

そういえば、研磨には行先を告げただけでろくな説明もしないまま飛び出してきてしまったと今更思い出した。いつも一緒にいた反動か、言った気になっていたというのはよくあることで、そのせいで俺たちがすれ違うこともままある。しかしたいていはそれでもどうにかなるので、互いに注意をしつつ、改善しようと心掛けたことは無かった。
耳に馴染むその気だるげな声に、強張っていた肩から力が抜けるのを感じる。詰まっていた呼吸がするりと抜けるような感覚を覚え、俺は大きく深呼吸をした。
悟られないように、きちんと電話を耳から少し離した筈だった。しかし長年培われた幼馴染の絆とは空恐ろしいもので、耳聡い研磨の怪訝な声が耳に届く。

「……大丈夫?クロ」
「おー平気平気。なーんも変わりありませんよー」
「嘘」
「……」

本当に、これだから幼馴染ってやつは。

「……クロはさ、いつか俺のとこに戻ってくるんじゃないかなって、そう思ってた」
「なにそれ」
「さあ、俺もよくわかんない」
「わかんねえのかよ……。まあ、でも、わかる気がする」
「うん」
「だからおまえは、チビちゃんに一歩踏み出さなかったの?」
「……ほんと、クロは嫌な性格してるよね」
「おまえに言われたかねーし、今更だろ、それ」

月島さ、おまえが俺らじゃなくあいつを選んだこと、素直に悔しかったよ。
別に恋人としてなんて、未練がましいことは考えちゃいない。それでも、困った時に頼りになる先輩としてならまだ、おまえの傍にいれると思ってた。実際それも、間違いじゃないんだろう。
でも、今回はダメだった。バレーを捨ててしまった、俺では。
あの時無理をしてでもと、考えたことが無いと言ったら嘘になる。でもたぶん、俺もおまえもわかっていた。たとえずっとバレーをしていたとしても。
俺らに永遠は、きっと似合わない。

「クロー」
「んー何ですかねー研磨さん」
「待ってるから」
「……」
「待ってるからさ、ちゃんと帰っておいでね。クロ」
「……」
「返事」
「ははっ。……おう」

願わくば、この世で最も美しい景色を見せてくれたおまえが、この先ずっと、幸せでありますように。




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