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□月島が影山の家に居候する話
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元クロ月、現兎赤前提第3体育館組。ほのめかす程もない黒研



そうしているうちにもどんどんぐったりしてしまい、今はもう意識も朦朧としている。そろそろ練習に向かわなくてはいけないのだが、日向も山口ももう帰ってしまっていない。このまま一人置いて行って大丈夫なものなのか、それとも病院に連れて行った方がいいのか。おそらく、そんなところだろう。
ひとまずすぐにそちらに向かい、俺たちで月島を引き取るから、影山君は安心して練習に向かってくれて構わないと告げる。するとようやく影山君は安堵したようで、先程までよりも幾分か落ち着いた声ですみません、よろしくお願いしますと、おそらく電話越しながらに頭を下げた。
電話を切るとすぐ、こちらの様子を伺っていたらしい木兎と赤葦にその旨を伝え、木兎が例の知り合いに借りていた車を出してもらい影山君の家に向かう。十分もかからずに着いたそこでは、じっとしていられなかったらしい影山君がそわそわと玄関前で俺達を待ちわびていた。
俺達に気付くとその顔は見るからにほっとしたものになり、またもだいぶ不自由な日本語で月島の様子を説明しながら、家の中へと案内してくれる。導かれた先では確かに、ただでさえ白い肌を更に白くし、呼吸を荒げ汗をかく、一見して具合が悪いと分かる様子の月島がベッドに転がっていた。木兎と協力しつつその見た目よりずっと軽い、昔よりも軽くなったのではないかと思わされる身体を持ち上げる。影山君にお礼と、練習に向かってくれて構わないということを伝えると、月島をよろしくお願いしますと深々と頭を下げられた。
あまり直接的な関わりは無く、月島から本当にあの馬鹿は、あの単細胞はと愚痴を聞かされることの方が多かったが、その様子はどう見ても大切なチームメイトを心から案じる、優しい仲間の姿だ。
こいつはきっと、これからバレーをしに行くのだろう。

ぐったりとする月島を見て影山君並みに慌てる木兎を宥めつつ、ひとまず病院に向かう。下された診断は体調不良とストレスが運悪く重なって風邪が悪化したのだろうとのころで、一つ点滴と薬を処方してもらい、存外すぐに帰宅することが出来た。
家で待たせていた赤葦もそのあまりに力ない姿に驚いたようだったが、こちらはどっかの役立たずミミズクとは違いてきぱきとツッキーのための寝床を作り、冷たいタオルを用意し、すぐに飲めるようにスポドリを、吐いても大丈夫なように桶を備え付けてくれた。
さすが、木兎のお守りを長年続けているだけあって気が利くと感心しながら、俺もお粥を作ったり体温を測ったり、何もしないくせにわあわあと喚く木兎を物理的に黙らせたりと、忙しく動き回る。
ようやく落ち着いた頃にはお昼近くになっていて、俺達は少し回復したらしく安らかな寝息と共にすやすやと眠る月島のベッドの周りでぐったりと座り込んでいた。

「はあ……疲れた」
「うるせえ木兎。てめえは何にもしてねえだろうが」
「むしろ邪魔しかしてませんでしたよね」
「んな事ねえって!ツッキー早くよくなりますように!ってお祈りしてた!」
「それ、月島が聞いてたら完全に『ありがた迷惑です』って言われてるところですよ」
「うぐっ」
「まあ……何はともあれ落ち着いたみたいでよかったです。色々と、疲れが出たんですかね」
「おう。やっぱり相当、まいってたんだろうな」

ベッドに背をもたれかけさせ、俺は身体を捻りながらツッキーの額に浮かぶ汗をタオルで拭ってやる。ふわふわの金髪に軽く指先で触れると、その手触りは昔と少しも変わらなかった。
大人ぶっているくせに、寝顔だけは幼けなくて、もう二十歳も過ぎた大の男だと言うのに、可愛いと思ってしまうことに抵抗が無い。だらしなく緩む口元を隠しもせずにそっと頬に触れていると、すうと月島の瞼が薄く開いた。
起こしてしまったかと若干反省しつつ、俺はツッキーに笑いかけながらぽんぽんと胸の上を軽くたたく。

「おー大丈夫か。何も心配しなくていいから、まだ寝てろ」
「い、え……大丈夫、です。練習、出ます」

掠れた声で呟き、月島は身体を起こそうとするが、力が入らないらしく半分ほど身体を持ち上げたところで再びベッドに沈み込んでしまった。慌てて崩れ落ちる身体を支えたが、それでも月島は身体を起こそうともがく。目は焦点があっていなく、呂律もまわっていない。
どうにも言動がおかしいと戸惑う俺達に、月島はゆらりと定まらない視線を向け、決定的な言葉を告げた。

「遅れると主将に怒られるので……。それにみなさんも、早く部員のところに戻ってあげた方がいいですよ」

どうやら、意識が混濁してしまっているらしい。今の月島はおそらく烏野でバレーをしていたあの頃にいる。そしておそらく、俺達がいることで今自分は合宿にでも来ていると思い込んでいるのだろう。
少し、泣きたいような気持ちになった。のどの奥で熱い塊が膨れ上がるのをぐ、と堪え、俺はできるだけ優しく見えるよう、不安げに揺れる蜂蜜色の瞳に微笑みかける。

「だーいじょうぶ。大丈夫だから……今日は特別に休みだ。だからお前は、ゆっくり寝てればいいんだよ」
「そうだよ、月島。主将さんには、俺達からきちんと伝えておくから」
「ヘイヘイヘーイ!俺達にぜーんぶ任せとけツッキー!なーんにも心配することねえぜ!」
「木兎さんに任せるのは、不安しかないと思いますけど」
「赤葦ぃ!?」

わあわあとついいつものテンションで言い合いを始めてしまって、病人の前だったことを思い出し慌てて月島に向き直る。しかし、普段なら体調が悪いとわかれば早めに自分からしかるべき休息を取っていたはずの月島が、今日はやけにごねた。
練習に出る、バレーをすると意固地になるその姿にはどこか鬼気迫るものがあって、俺は思わず表情を厳しくしながら落ち着くようにとの意味も込めて、その名前を呼んだ。
すると月島はぴたりと黙り込み、ぎゅと身体を包み込んでいた毛布を握りしめる。どこか不安げに引き結ばれた唇は今にも血が滲んでしまうのではないかと思うくらい強く噛みしめられていて、思わず伸ばした指先がそこに触れる前に、月島はぽつりと呟いた。

「……だって、もうあとどれくらい、あなたたちとバレーができるか、わからないのに。休んでいる暇なんて、あるわけないじゃないですか」

あと、どれくらい、あなたたちと。黒尾さんと、いられるか、わからないのに。
そう、今にも消えてしまいそうな声で呟いた月島は、糸が切れたようにふらりと前のめりに倒れこんだ。
その言葉に思わず放心していた俺も、反射的に月島の身体を支える為に腕を伸ばし、間違いなく昔よりもだいぶ細くなった身体をそっと抱きしめる。ゼロの距離で伝わる温もりが心地良くて、離れがたくて。それでも俺は自分自身の理性を総動員し、月島の身体をそっとベッドに横たえた。

「……後悔していますか、月島と別れたこと」

赤葦の、どんな感情も読み取ることが出来ない静かな声に、ほんの少しだけ責めるような色が混じった気がした。その問いに、俺は苦しそうに寄せられた月島の眉間のしわに軽く指を這わせながら、答えるでもなく口を開く。

「ツッキーはさ、別れる時にこう言ったんだよ」

今でも鮮明に思い出せる。終わりだなんて思えないくらい、信じたくないくらい、それはそれは綺麗で、幸福で、満たされた微笑みだった。

「『あなたは僕の、青春でした』って」

その表情は、俺が知る月島の顔の中で、二番目に綺麗なもの。
幼い頃からずっと共に歩んでいた研磨が肘を壊してバレーを止めると言った時、すんなりとじゃあ俺も、という言葉が零れた。言った自分も、そして研磨も驚いていて、でももう一度その言葉を口の中で転がすと、酷くしっくりと自分の中に収まったのだ。
元から、あまり無理をするなと足首の捻挫が癖になり始めた頃から医者に言われていたのもあったのかもしれない。でもたぶん、それがなかったとしても。
二人で始めた事なのだから、俺が手を握りここまで連れてきたのだから、終わる時も二人であるべきなのだと、漠然とそう思ったのだ。
バレーを止めると言った俺に、月島は特に表情も変えず、むしろ当然の事であるかのようにそうですか、と頷いた。そしてそれと全く同じトーンで、さもその話がこの会話の延長線上にあるかのような流れで、それじゃあ、僕らも別れましょうかと言ったのだ。
驚かなかった。なんとなく、予想はしていたから。
声も無く頷いた俺に、ようやく月島は無表情をゆるませた。そして前述したとおりの、とても綺麗な微笑みと共に終わりを口にしたのだ。

「ありがとうございます、黒尾さん。あなたは僕の、青春でした」

頭が真っ白で、言われた言葉の意味をきちんと飲み込めた訳ではなかったけれど、あれはおそらく、俺の為の言葉だった。俺の為であり、そして未来の月島の為のものでもあった。
俺にとって月島は、月島にとって俺は、あのキラキラした時代の象徴のような存在だった。バレーを介して出会い、その楽しさに満ちた日々の中、バレーをするその姿に恋をした。一番綺麗な顔をする月島に、恋をした。
このまま一緒にいれば、きっといつか、どうしようもなく傷つける。求めているものはもうそこにはないのに、手を離せないままでいる限りどうしようもなく焦がれてしまう。そうしていつかきっと、俺もおまえもダメになる。
だから、きれいな思い出であれるうちに。恋人ではなくなるけれど、大切な仲間でいられるうちに、離れた。
月島は、そう、間違いなく。俺にとっての、人生において一番輝いていた、青春だった。

「……月島にとって、俺たちは過去で、だからきっと、辛いんでしょうね」

だからもう、ここに来ては、くれないんでしょうね。
赤葦の声は冷静なようでいて、少し震えている。
木兎と赤葦もまた高校時代から付き合い始め、そして俺たちの仲を知っていて、よく四人でダブルデートだなんてふざけながら、でも本気でそう思いながら共に出かけたりもした。月島が大学生になり上京してからなんて、毎週のように四人で集まってはあちこち飛び回ったり、家で呑んだり。最近の若者はこれだから、なんて言われてしまいそうなことは、たいていこの四人でやった。そんな記憶の中では、あまり表情を変えない月島や赤葦も、いつも楽しそうだったのを、よく覚えている。
その頃の月島の逃げ場所はもっぱら赤葦で、何かある度に逃げ込んでくる月島を、赤葦も、そして共にいた木兎もまたかと呆れながら、しかし嬉しそうに迎え入れていた。そして俺も、姿を消した月島に焦りながらも、二人のところにいるのなら安心だと甘いものと少しいい酒を土産に、少し時間を置いてから迎えにいっていた。
でも月島は、もう赤葦を逃げ場所にはしなかった。俺達が別れてからも、四人で集まる事が無くなったわけじゃない。俺と月島の仲はただ恋人というくくりが無くなっただけの良好なもので、もちろん木兎や赤葦との仲が変わった訳でもなかった。
それでも、月島は俺たちではなく、元チームメイトの影山君を選んだのだ。

小さく肩を揺らす赤葦に、そっと木兎が腕を回した。普段は空気を読めないくせに、こんな時ばかりは殴りたくなるくらい男前だ。
たぶん、俺たちが別れを選んだことが一番理解できなくて、そしてそれに一番悲しんだのは、赤葦なのだろう。もしかしたら、俺たちに自分と木兎を重ねて泣いたことも、あったのかもしれない。
しかしそれでも、俺たちに何かを言うわけでもなく、悲しみを表に出すでもない赤葦のことをちゃんとわかっている木兎は、無言でひたすら抱きしめる。
いいなと、何のてらいもなく思った。今でもまだ胸の内に、月島を愛しく思う気持ちは残っている。嫌いになったわけではなかった、いやむしろ、抱く愛情に少しも変わりは無かった。今だって、本当は苦しそうに胸を上下させる月島の手を握り、抱きしめ、がんばれと囁いてやりたい。
ただ、バレーを失った俺たちの未来が、どうしても想像できなかっただけなのだ。




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