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□月島が影山の家に居候する話
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烏野一年と第3体育館組。ほのめかす程度にクロ月




「だーかーら!お前の呼び方がややこしいのが悪いんだろうが!!」

キーンと鼓膜を貫く高い声に、公園でバレーをしていた俺や山口、黒尾さんたちは一斉に振り返る。ただでさえ響く声だと言うのに、今は苛立ちを含んでいるせいか、いつもより余計に騒々しい。
顔を顰めて分かり切った声の主を探すと、そいつはベンチの傍で自分より頭一つ分ちょっと大きな男相手に、今にも掴みかからんばかりの勢いで怒鳴っていた。

「それくらい文脈で察せるデショ」
「わかんねーから言ってんだろうが!」
「ああ、君レベルの頭じゃ猫でも理解できることも分からないのか」
「っんにゃろ〜!とにかく!まぎらわしいんだよ!いいからなんか別の名前考えろ!」
「じゃあ、今日から君のことはチビって呼ぶね」
「おれじゃなくて!」

昔はよく見た、いがみ合いの光景。当時は俺も渦中の人物になる事が多くて、日向や月島と喧嘩をしてはよく先輩たちに怒られたものだ。そんなしみじみとした懐かしさを感じながら数メートル先からでも容易に聞くことのできる口論に耳を傾けていて、だいたいの状況は察せた
月島は今でも、拾ってきた猫たちをその時名付けた名前のままで呼んでいる。確かに俺と月島だけだった頃はそれでなんら問題は無かったし、むしろそれ以外の名前など思いつかないほど、その猫たちは名の元となった人たちに容姿も性格も瓜二つだった。
しかし今、この場にはその猫たちと全く同じ名を持つ人たちが集まっている。そんな中でこれまで通りあいつらを呼んでいたら、日向が混乱すると主張するのも、まあわからなくはない。

「つ、ツッキー、日向、喧嘩止めなよ……」
「だって月島が!」
「だから、言ってることとかでだいたいわかるでしょ?僕が君に向かって『ヒナタ、おいで』とか言うと思うわけ?」
「ぐ、ぐぬぅ……あ、ありえるかもしれないじゃんか……」
「無いから。気持ち悪い」
「ぐぬぅ!」

慌てて仲裁に走る山口の後ろから、黒尾さん、木兎さん、赤葦さんものんびりと近づいてくる。楽しそうに日向をおちょくる月島に、いいようにおちょくられている日向。そんな二人の間で、あわあわと焦る山口。仲裁役を強いられたあいつを哀れだとは思うが、わざわざ火中の栗を拾いに行く気は誰も無いようだ。

「とにかく、僕は呼び方変える気はないから。どうしても嫌って言うなら君のことはこれからチビって呼ぶ。それでいいでしょ」
「いいわけあるか!」
「じゃあこのままだね」

しかしさすがに一方的に言い負かされている日向がかわいそうになったのだろう。しょうがねーなとでも言いたげな顔で近づいた黒尾さんと赤葦さんが、二人の間に口を挟んだ。

「まあ確かに、ナイスな命名だよなー。俺も初めて見たときはびっくりしたわ、そっくりで」
「そうですね。他の名前、って言われても、正直思いつかないです」
「う、うう……」
「はは、まあでもチビちゃんの言う通り、まぎらわしいってのもわかるよな」
「さすがに間違えはしませんが、たまにドキッとします」
「……じゃあ、どうすればいいんですか」

黒尾さんと赤葦さんが肩を持ったことにより、沈んでいた日向の顔がぱっと明るくなる。その代わりとでも言うように、月島の顔が一瞬で不機嫌になると、わかりやすく唇を尖らせ拗ねた。昔から思っていたことだが、どうにも月島はこの人たちの前だと普段より幼くなる。

月島を探してわざわざ海を渡ったみんなは、てっきりすぐに月島を連れて帰国するのかと思いきや、せっかく来たのだから大学が休みで都合のつく間くらいはこちらにいると言っていた。その言葉を聞いてようやく、月島が大学の無駄に長い夏休みを利用してこちらに来ていたのだということを知ったのだった。三か月のブランクは、ぐちゃぐちゃな月島なりの冷静さがあったからこそ、空いた間だったのだろう。
それぞれ元烏野組は俺の家に、黒尾さんたちは木兎さんの知り合いがこちらにいたらしくて、その人のところで残りの時を過ごすことになった。こんなところで無駄に広い我が家が役に立つことになるとは。
そんな流れで自動的に久しぶりの再会を果たした俺達は、定期的に集まってはアメリカ観光をしたり、食事をしたり、こうしてお遊び程度のバレーをしたりしている。
いつの間に立ち直ったのか、何がきっかけで立ち直ったのかは俺にはよくわからなかったけれど、月島はすっかりいつも通りだった。日向や俺には嫌味を言うし、山口が騒いでいれば容赦ない一括で黙らせる。黒尾さんや木兎さんが絡んで来れば、嫌そうに顔を顰めていた。
虚ろな瞳で、話しかけても碌に返事もしなかったあの頃の姿が、幻だったのかと疑ってしまう程に。
でも、拾ってきた猫たちにだけは時折、本当に時折、どこか寂しそうな微笑みを向けていることを知っている。おそらく誰にも見られていないと安心して、気が緩み切っているときに、ちらりと。
長くて細い腕の中に、しっかりと小さな子猫たちを閉じ込めて。そうしてそっと、ただの捨て猫に対するものだとは思えないほどに愛しさを含んだ甘い声で、その名を呼ぶのだ。
だから、なのだろうか。呼び方にケチをつけられた月島は、いやに不機嫌だった。

「つーかさ、だったらお前も影山みたいに呼べばいいじゃん!」
「王様と一緒とか、なんかやだ」
「そうかもしれないけどー!」
「おい、なんだとコラ」

手の内のボールをいじりながらぼんやりとそんなことを考えていると、何故か突然矛先が俺に向いた。関係なかったはずなのに理不尽な暴言を浴びせかけてくる二人を睨みつけ、それからその足元で山口と同じように騒がしい口論を心配そうに見守っている猫たちに視線を移す。
日向たちが来てからというもの、俺はあいつらをヒナ、ヤマ、クロと言ったように、元の名前から最初の二文字だけを取って呼んでいる。そうすれば猫の名前っぽかったし、単純に毎回毎回ヤマグチ、とかアカアシさん、とか呼ぶのが面倒くさかった。
普通にそれでいいと思うんだけどなーと呑気に言ってのける木兎さんも、俺と同じように呼んでいる側だし、むしろ月島以外は呼び方なんて適当なものだった。黒尾さんなんかおい、とかそこの、とか毎回曖昧に呼びかけているし、ヤマグチは月島も日向も両方立てたいのか、猫のヒナタ、とか猫のカゲヤマ、とかいちいち面倒くさいことこの上ない呼び方をしている。
なんとなく月島と猫たちの周りに集まった俺たちは、あれでもない、これでもないと月島が納得できそうな呼び方を考えた。しかし一度渋い顔をした月島の機嫌は、どれもしっくりこないのかなかなか戻らない。
これはもう、別にこのままでもいいんじゃないかと投げやりな雰囲気がその場を包んできた頃、不意に月島がヒナを見つめたかと思うと、おもむろに口を開く。

「……ショーヨー」

え、と全員が一斉に固まる中、ヒナは自分が呼ばれたという事に気付いたのか、にゃあと元気な返事をし嬉しそうに月島の足元にすり寄る。それを丁寧な手つきで抱え上げた月島は、日向に向き直ると不機嫌さの抜けた顔で首を傾げた。

「これでいい?」
「え、あ、うん」

まさかのそこで来たか、と驚愕のまま俺達が動けないでいる中、一足先に我に返ったのは木兎さんだった。何かをひらめいたようなはっとした顔で丁度足元にいたボクを抱え上げると、それを月島の眼前に突き出し、ならこいつは!と問いかける。

「……コータローさん?」

……それからが大変だった。続いて我に返ったらしい面々がじゃあこいつは、ならこっちはと月島に向かって自分と同じ名を持つ猫を突き出す。わっと騒ぎ出した周囲に月島は驚き数歩後ろに下がっていたが、何故みんなが騒いでいるのか理解できないようで顔を引きつらせながらも「ケージさん」「タダシ」「コータローさん……って何回言わせるんですか」なんてやり取りを繰り広げている。
何やってるんだあいつら、と少し呆れながらそんな様子を遠巻きに眺めていると、ふと一番騒ぎそうな人がいやに静かなまま俺の隣に立っている事に気付いた。
行かなくていいんですか、とでも言うようにそんな黒尾さんに視線を向けると、その人は珍しく複雑そうな顔をして肩を竦める。君こそいいの、ツッキーの貴重な名前呼びだよ〜なんて形ばかりはぐらかした後、黒尾さんは苦笑いをしながらぽつりと呟いた。

「付き合ってた頃もさあ、あいつが俺の名前呼んだこと、結局無かったんだよな」
「……」

月島が高校時代の途中からと、大学の途中までを黒尾さんと付き合っていたことは、二人とある程度親しい人間ならたいていが知っていることだった。山口や木兎さんたちみたいに直接知らされ人たちもいれば、ただでさえパーソナルスペースが広い月島が接近を許していることで、何となく察した人、かなり長い間知らなくて、ふとした折に気付いてたやつらの口からぽろりと出た言葉でようやく知った俺や日向みたいなのもいる。しかしそのことを知った誰もが、気持ち悪いだとかそういったことを思うことは無かったんじゃないかと思う。
二人が互いを見る時の顔は、バレーをしているときと同じ表情をしていたから。

「なんつーか、きっとさ。あの頃からこうなること、わかってたんだろうねえ、ツッキーは」

そう、俺に聞かせるでもなく独り言のように言った黒尾さんは、それまでの様々な感情がないまぜになった顔の上に見事な笑顔を被せ、「ツッキー!じゃあこいつは〜」と嬉々として月島に絡みに行った。
その背中を見送りながら、黒尾さんが呟いた言葉を頭の中で反芻する。一度、二度その言葉を咀嚼し、そしてきっと、あの人も月島を名前で呼ぼうとはしなかったんだろうなと思った。
あの人がバレーを止めたのは確か、彼の心臓が肘を壊して、引退した時。
同じ頃に、月島とも別れたと聞いた。

ひとしきり騒いで満足したのか、ようやく解放されたらしい月島が疲れたような顔で「なんなのもう……ほんとあの人達なんなの……」とぶつぶつ呟きながら俺の元に寄ってきた。ふらふらとした足取りに思わず噴き出しそうになりながら、俺は飲みかけのスポドリのボトルを渡してやる。
どーも、と雑な礼を返した月島は特に躊躇いなくそれに口を付け、二口三口中身を飲み込んだ。ふう、と少し落ち着いたようにため息を落とす月島をなんとなしに見ていると、ふと足元に違和感を覚え視線を落とす。そこではカゲがカリカリと俺のスニーカーに爪を立てていたものだから、コラ、と軽く頭をはたいて叱った後、ふと思いついてそいつを指差した。

「月島、じゃあ、こいつは?」
「カゲヤマ」
「……はあ?なんでこいつだけそのままなんだよ」
「だって人の方が基本王様呼びなんだから、呼び分け必要ないデショ」

平然とそう言ってのける月島に、ぐぬと言葉に詰まった。確かにそうだ、そうなのだけど。別に今更、王様って呼ぶなと意固地になるつもりもないけれど、でも。
釈然としない気持ちを抱えながら嫌がられつつもカゲの耳を弄っていると、日向が俺の名前を呼びながら駆け寄ってきた。話を聞くに木兎さんがばててしまった赤葦さんの代わりに俺にトスを上げてほしいとごねているそうで、確かに現役バレー選手と一般人とでは体力に途方もないくらい差があるだろう。
日ごろのきつい練習に慣れている俺もまだまだ余力があり、俺は日向にわかったと頷くと、立ち上がり木兎さんたちの元に歩き出す。その後ろからカゲもきらきらと目を輝かせながら着いてきていて。

そんな俺達の後姿に、月島が淡く微笑みながら、「……本当に、飛雄はバレー馬鹿だよね」と呟いたと俺が知ることは、おそらく生涯無いのだろう。




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