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□月島が影山の家に居候する話
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そして今日、とうとう月島はヒナタを拾ってきた。
太陽のような毛並みに、本物にも負けないくらいキラキラした瞳を持つ、五匹目の猫。
膝に乗せたそいつの毛並みはふわふわで、そのあまりの気持ちよさに感動していると、月島に気持ち悪いものを見るような目で見られた。
ヒナタは初めから、俺を嫌がらなかった。むしろ月島よりも俺に懐いているようで、すりすりと俺の膝に顔を擦り付けてくる。コミュニケーション能力の塊なあいつらしいと素で考えて、慌ててこいつとあいつは別物なのだと首を振った。
ヤマグチにクロオさんにボクトさんにアカアシさんに、ヒナタ。二、三匹までならこの奇妙な偶然を気持ち悪いと考えていられたが、ここまでくるといっそ運命なのではないかとたいそうな名前を付けたくなる。
珍しく貰った一日休み。ソファの上でなんとなく二人、俺と月島は猫と戯れていた。

「ねえ、王様」
「あー?」
「王様はさ、僕がどうして王様のところに来たのか、わかる?」

核心は、最もそれを恐れていると思っていた奴の手によって何の前触れもなく、突然に突かれた。激しく跳ねた肩にヒナタは驚いたようだったが、隣に座ったまま隙あらば飛びかかってくるクロオさんとボクトさんに手を焼いている月島は気付かない。
一瞬逡巡し、散々悩んでもわからなかった答えが今この場でそう簡単にわかる筈がないと、すっぱり割り切った。割り切りながらも、一番自分の中で答えに近いと思ったことを、口にする。

「お前が俺のこと嫌いで、俺がお前のこと、嫌いだからだろ」
「……それでどうして、わざわざ王様のところに来るのさ」
「まさか俺のところにお前がいるなんて思わないから、見つかりにくいと思ったとか……んなの俺にわかるかよ」

お前の事ことなんて、何もわからない。それでもわかれっていうなら、ちゃんと教えろよ。
ぽろりと零れそうになった言葉を慌てて呑み込んだ俺の横で、不意に小さな笑い声が響く。

「あはは、単細胞な王様らしい」

久しぶりの、あまりに真っ直ぐな嫌味に自分でも驚くくらいのスピードで振り向いた。ばっと視線をやった先ではいつの間にか立ち上がっていた月島がにやりと笑みを浮かべていて。

「王様、バレーしよ」

そう、言った。
向かった先は、公園だった。バレーをすると言っても、二人しかいない上に怪我人と出来るのは、せいぜい対人パスくらいのもの。しかし月島はそれでも満足だったらしく、しばらくの間俺達の間を、緩い弧を描くバレーボールが行き来した。
置いていこうと思っていたのに、勝手についてきた猫たちは俺の心配をよそにどこかに行く気配なんてちらりとも見せず、近くのベンチの足元で俺達の様子を眺めている。その姿がやけに楽しげに見えるだなんて言ったら、月島は笑うだろうか。
とっ、と月島が上げたボールが、少し俺の軌道上から外れた。二、三歩足を動かし落下地点に体を滑り込ませ、またぴったり月島の元にボールを返す。それが月島の腕に触れると同時に、月島は俺を練習に誘って以来引き結んでいた唇を開いた。

「僕が君のところに来た理由。あながち間違いでもないけど、正解でもないよ」
「あ?」

とっ、と、上がったボール。今度はきちんと、俺に返る。

「本当の理由はね、王様がまだ、バレーを続けているから」

独り言のように、月島はするすると言葉を紡ぐ。

「王様に会えば、僕もまたあの頃みたいに、戻れるんじゃないかと思った。烏野に入って、君たちに出会って、先輩たちに見守られて、山口に叱咤されて、そして第3体育館の人達と共に練習して、兄貴に背中を押された、あの頃に。またあの頃のように、バレーが出来るんじゃないかと思ってた。足を壊したなんて、そんなの悪い夢で。あのキラキラした日々が、バレーを楽しいと思えた日々が、何も変わりなく、いつも通りに続いていくんじゃないかって。王様に会えば、何かが変わる気が、してたんだ」

ボールはあれきり、少しもぶれることなく俺と月島の間を、同じ直線を行き来していた。つらつらと、とても静かな声で語る月島の目は真っ直ぐにボールを追うばかりで、そこに浮かぶ感情は読み取れない。
ただ、聞こえてくる声はとてもしっかりしたもので、どこかすっきりした様子だった。

「君はさ、僕に王様って呼ばれるのを嫌がるけど、僕はこの名前、結構気に入って呼んでるんだよ」
「は?」
「僕にとっては……中学のあの試合で、その実力に圧倒されたあの日からずっと、君は僕の中で絶対に越えることのできない、僕の……憧れとして、王者として、君臨し続けてるんだ」

ふわりと、無意識にトスを上げていた。綺麗な、この世で一番美しい放物線を描いたボールに、月島の大きな手が触れる。決してパワーがあるわけではないけれど、ブロッカーやリベロの位置を的確に見分ける目を持つ男から放たれるスパイクが決まる事は、日向や他のスパイカーにトスを上げた時とはまた違う気持ちよさがあって、好きだった。
べしゃりと浅い砂に埋まり勢いが死んだボールは、そのままころりと地面に転がる。それを拾うでもなく、再びパスを続けるでもなく、俺と月島は無言でそのボールを見つめた。
満ちる沈黙を、にゃーという気の抜けた鳴き声が遮る。不意にベンチの方を見やると、お行儀よく五匹並んで座りながらこちらを伺うあいつらと目が合った。するともう一度鳴き声が耳に届き、それが全く逆方向からのものであることに気付く。
声の元を探し、振り向いた先は先程見てた場所と全く同じ。地面に転がるボール、そして、そのボールに飛びつく、黒い塊。さらりとした毛並みを持つ、目つきの悪い猫。

「……王様は、猫になってもバレー馬鹿なんだ」
「あ?」

ボールにじゃれ付くやけに見覚えのあるふてぶてしい顔をした猫をまじまじと見つめていると、向かいの月島がぷ、と吹き出す音がした。と共に告げられた言葉は、真意は汲めないにしろ、何となく馬鹿にされたのだという事はわかる。反射的に月島を睨みつけ、しかしそいつはすとんとその場で腰を落とすと、黒い猫に向かって手を伸ばし、首筋がむず痒くなるくらい柔らかな声音で、それを呼んだ。

「おいで、カゲヤマ」

一心不乱にボールに飛びかかっていたそいつは、月島に呼ばれたことに気付くとぴたりと動きを止め、ほんの少し警戒したような様子を見せた後、おとなしく月島の元に寄り、その腕の中に収まった。たった今自分の名を冠された生き物が、目の前の男の腕の中にいる。そのことに微妙な気持ちになっていると、月島は黒猫を抱えたまま立ち上がり、俺に向き直る。
正面から見据えたはちみつ色の瞳は、しっかりとした光を灯していた。

「勝手な事ばっかりして、言って。僕のこと怒ってる?」

問いかけには答えず、俺は月島の瞳を見つめた。その少し下にある、黒猫の青みがかった夜の色の瞳を見つめた。ベンチの下でこちらに向けられるたくさんの瞳を見つめて、それから最後に、ころんと転がるボールを見つめる

「……バレー」
「え?」
「バレー、できるな」
「何のこと?」

俺の言葉に、月島は意味が分からないとでも言いたげに眉根を寄せた。そんなそいつの瞳を俺はもう一度真っ直ぐ見つめ返し、だから、と続ける。

「六匹いるから、これでバレー、できるな」

ぽかんと、月島はこれ以上ない間抜け面を晒した。そんなそいつをよそに、ああでもこれだとセッター二人で、リベロが一人もいねーのか。ミドルブロッカーが三人もいるし。よし月島、今すぐ西谷さんか東峰さんあたり見つけるぞ!と言いながら辺りを見回す。
しかしまあ、そうそう都合よく見つかる筈もなく、むしろ今までが異常だったのだということを思い出した頃、あはははは!とよく響く笑い声が耳に届いた。
何事かと月島を見れば、腹を抱えて笑っていた。つい先程まできょとんとしていたくせに、カゲヤマと名付けた猫を腕に抱えたまま、腹がよじれるのではないかと思うくらいに笑っている。笑って、笑って、笑いまくって。呼吸もうまくできなくてひいひい言い始めて、それでも笑って。
目じりに浮かんだ涙を拭うことすらせず、ただ笑い、そして心底嬉しそうに、笑った。

「ほんっとに……バレー馬鹿!」

* * *

それからは、隠すことなく月島は俺の練習に付いてくるようになった。毎日共に練習場に行っては、月島はそれを満足するまで見ていく。途中で言葉も無く帰ってしまう日もあれば、最後まで見ていて、月光照らす暗い道を、共に帰ることもあった。
チームメイトにはさんざんからかわれたけれど、俺がバレーをしているのを見る月島の顔は、ちょっとびっくりするくらい生き生きしていて、柔らかい。嫌味な顔や憎たらしい顔、そしてここしばらくの、虚ろな顔ばかりを見てきた俺にはそれは酷く新鮮で、これが見られるのなら少しくらいからかわれるのも悪くないと思った。
朝起きて挨拶をかわし、朝食を食べ。連れ添って練習に行き、同じ道を辿り帰る。そうしたらシャワーを浴びて、夕食を食べる。眠るまでの少しの穏やかな時間を、たいした言葉も無く猫たちと戯れ過ごし、本当にたまに、月島とバレーをする。
一度始まるととどまるところを知らない嫌味は復活したまに辟易するけれど、いがみ合い続けていたチームメイトとは思えないほど、その時間はあまりにも穏やかだった。お互いに今更気なんか遣う必要も無いから、気楽で、今までずっと一緒にいたような気さえしてくる。
あまりにも穏やかで、平和で、しっくりきて。こんな日々が永遠に続くんじゃないかと思ってしまう程だったが、もちろんそんな筈もなく。
ある日、いつも通り練習に向かおうと月島と二人で早朝の道を歩いていると、前方から地鳴りが聞こえてきた。何事かと二人顔を見合わせている間にもその音は大きくなっていって、ついで何かを呼ぶ声が聞こえてくる。
聞き覚えのある声にはっとする頃には、少し靄のかかった道の向こうに、派手なオレンジ色の頭が姿を現していた。前方からすごい勢いでこちらに駆けよってくるその人影は、日向、それに続き、山口で。勢いを殺さないままの日向に飛びつかれた月島は踏ん張りがきかず、そのまま尻もちをついてしまっていた。
ちょっと、痛いんだけど。いきなり飛びつくとか、信じられない。まぬけな姿に漏れそうになった笑いを噛み殺す俺の眼下でそう言いたげに薄く開かれた唇は、日向の謝罪にふさがれた。
ごめん、ごめんな、月島。辛かったよな、苦しかったよな。もっとバレー、やりたかったよなあ。
ぐずぐずと泣きながらそんなことを繰り返ししがみつく日向に、遅れて山口も加わる。わあわあと脇目もふらず泣き出す二人に少し困ったような顔をして、そして更に、その後ろから黒尾さん、木兎さん、赤葦さんが近づいてくるのを見た月島は目を丸くし、それから、「僕の方こそ、ごめん」と小さな声で呟いた。

「ごめんなあ月島―!!」
「ヅッギーィィィ!無事でよがっだー!!」
「ありゃりゃ、もしかして俺らなんか出遅れた?」
「ぷぷ、黒尾ざまあ!」
「ひねくれ者はこういう時に損ですね」
「梟ども……」

そんな声が静かな空気をはた迷惑に切り裂く中、未だに腰を地面に付けたまま二人を首にぶら下げる月島が、少し不機嫌な顔で俺を見上げ、「王様、言ったの?」と問いかけてくる。それに俺は軽く首を振るだけで答えると、わざわざこんなところまで足を伸ばしてきた人たちを順に見やる。皆一様に、ほっとした表情を浮かべていた。

「……お前がさ、何に不安になってるのか、きっと俺には一番わかってやれねえけど」

誰かが言った。バレーは『繋ぐ』スポーツだと。それは嘘ではないし、バレーと言う競技において、一番大切なことだと思う。だけど。

「バレーが無くたって、繋がってられないわけじゃ、ねえだろ」

月島は俺から目を離し、自分を取り囲む彼らを見やった。表現する際にかつての、昔の、高校時代の、なんて言葉が付きまとう人たちだとしても、その繋がりが切れてしまったわけでは、決してない。
そうだね、と呟いた月島は、あの頃と少しも変わらないように見えた。




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