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□月島が影山の家に居候する話
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山口から、月島が大学での部活の最中に膝を痛めたと聞いたのは、今からだいたい三か月ほど前のことになる。
あのひょろひょろ細い体で、あの長身を駆使して動き回る事は、やはり身体に対して相当の無理を強いていたらしい。しかもあいつはだいぶ前から受けていたドクターストップを無視しやせ我慢を続け、騙し騙しバレーをしていたようで、山口がその報告を聞いた時には再起不能、日常生活に支障をきたすレベルにまで、悪化していたそうだ。
もちろんもう、まともにバレーすることはできない。
その話を聞いて、一番初めに自分の口から零れた言葉は、「月島は、大丈夫なのか」だった。自分らしくないと思いつつも、そう尋ねるしかなかった。体調的な意味ではない。そこに込められた複雑な感情に、きっと山口はすぐに気付いただろう。
それは、日向のことがあったから。
その時から一年ほど前に、日向は月島と同じような理由でバレーから足を引くことを余儀なくされていた。人より高い景色を見るために、人より速く、高く飛ぶためにと酷使され続けていた足は、もうぼろぼろだったそうだ。日向の足の件は早々当時の監督にばれたらしく、日常生活に影響が出るようなことにはならなかったが、その代わりと言うように代償は全てその精神に降りかかった。
バレーが出来なくなってからしばらく、日向はおおいに荒れた。あれだけ明るく騒がしかったやつが少しも笑わず、ろくに話もできなくなったのだ。タバコや酒なんて、あいつのイメージとは真逆のものにも手を出し、下宿先を訪れても会えないのだと日向を心配した様々な人から聞いた。
どうにかしてやりたいと思う反面、日向をよく知るやつらはみんな仕方がないと諦めていたように思える。それほど、日向がバレーに心を砕いていたことは周知の事実だったのだ。
どうにかしてやりたい、どうにもできない。そんなもどかしい気持ちに周囲が振り回される中、数か月後にひょっこりと以前と同じ笑顔を浮かべながら姿を見せた日向は、すまなかったと、心配してくれてありがとうと、皆にそう言って回っていた。
もしかして今、月島もその時の日向のような様子なのだろうか。
そんな俺の懸念を、やはり山口はすぐに察してくれたらしく、柔らかな優しい声でその点に関しては大丈夫だと、むしろびっくりするくらい落ち着いていると教えてくれた。
そう聞いてよかったと胸をなでおろすと共に、じわりと、遅れて何とも言い難い寂寥感が胸の内に広がる。
日向が止め、月島が止めた今、あの頃の烏野高校バレー部を背負っていた者達の中で本気でバレーに打ち込んでいるのは、とうとう俺一人になってしまった。
みなそれぞれ、進学、就職、怪我、様々な理由でサークル程度の活動になったり、すっぱり止めてしまったり。結局烏野を卒業して数年、本格的にバレーを続けていたのは、俺と日向、そして、月島だけだった。
日向はともかく、月島が続けていたことに周りは驚いた。しかし一番驚いていたのは俺と、そして月島自身だったようにも思える。それでもやっぱり、さんざんいがみ合ってはいたけれど、月島がバレーを続けているという事は単純に嬉しかった。
しかしもう、それも終わり。これでまた、一人。今の仲間もみんないいやつで、俺の周りには俺のトスを打ってくれるたくさんの人がいるけれど、あの頃の仲間は誰もいない。俺を孤独の玉座から引きずりおろしてくれた、あの仲間たちは。
月島が変わりないという話を聞いて、確かにほっとした。けれどほっとすると同時に、かすかに失望したのだ。やっぱり、所詮お前にとってバレーはその程度のものでしかなかったのかと。月島は日向とは違う。悲しみの発露の仕方は人それぞれである。それがわかっていても尚、胸の内でもやもやと蟠るうすらとした不満は拭えなかった。
油断すると溢れそうになる気持ちを無理やり抑え込み、俺は受話器に語り掛ける。

「わかった、月島によろしく頼む。山口も、あいつのお守り大変だと思うけど、がんばれな」
「あはは、うん。影山も頑張って」

今、アメリカなんだよね。こっちにはいつ、帰ってこれるかな?
山口の、どこか心配そうな、そしてどこか誇らしげな言葉に、俺は声も無く頷き、電話越しではわからないのだということを思い出して、慌てて声に出しておう、と応えた。

俺は今、初めて翼を広げた土地とは違う、大海原を越えた異国にいる。

スポーツ推薦で大学に進んだ先で、俺は本格的にプロを目指した。昼も夜も無くバレーに打ち込み、ようやく勝ち取ったプロチーム入り。そうして数年前、ようやく海外への選抜メンバーに選ばれ、ここ、アメリカへと渡った。
迷いや躊躇い、そして寂しさが無かったと言ったら嘘になる。俺に一人ではないと言ってくれた、そんな人たちが誰もいないところでバレーをするのは、まだ少し怖い。
だけど、それ以上に俺は、バレーが好きだった。それに触れている間は、他には何もいらないと思えた。
だから、迷いや躊躇いはあっても、俺の進む道は変わらない。たとえその先に、あの頃の仲間が誰もいなくても。俺が目指す場所は変わらない。
そんな決心は、随分と前にしていた。がむしゃらにバレーをして、でも夜がきて一人闇に包まれるたびに、幾度も幾度も悩んだ。苦しんだ。いっそあの頃のまま孤独でいたのなら、こんな苦しい思いをすることなんて無かったのではと後悔してしまう程に。けれど、その先で確かに掴んだ答えが、今なのだ。
だからこそ、俺はもう揺らがない。
それでも何故だろう。決して好きではなかったはずのやつなのに。チームメイトとしてそれなりに認めてはいたけれど、結局素直に褒める事すら出来なかったやつなのに。いざそんな俺と月島を繋いでくれていた架け橋が切れた今、その間を埋めるものは何も無いのだと思うと、やけに胸が重かった。この先まず顔を合わせる事すらないのだろうと考えると、わっと叫び出したいような気持ちに襲われた。
それでも、俺には何かを言う権利も、そもそも言いたいこともあるはずがなく、俺はその後山口と一言二言言葉を交わし、すぐに電話を切った。そして切れたそれをそっと額に押し当てながら、目を閉じて大嫌いなチームメイトの顔を思い出す。嫌味ったらしい笑顔、騒ぐ俺達を馬鹿にしたような呆れ顔、しつこく構われた時の嫌そうな顔。そして、ドシャットが決まった時に見せる、味方でもイラッとくるくらいの得意げな顔。
日向と異なり、静かに穏やかに終わりを受け入れたと言うのは、とても月島らしい。あいつが決してバレーをどうでもいいと思っていたわけではないと言うことは分かるし、思い入れに差があるのも仕方がない。あいつにはあいつなりの納得の仕方があり、きちんと終わりを消化することが出来たのなら、それでいいじゃないか。
自分自身にそう言い聞かせ、何かを弔うように受話器を手にしたまま少しの間天を仰いだ。
しかし、そう思っていた俺に、山口から月島が失踪したという予想外の報告が届けられたのが、その電話から三か月後のことだった。

月島に放浪癖があるのだという事を、俺は高校二年の時に初めて知った。他校との練習試合を前に、突然部活に来なくなった月島をどやそうとした俺に、山口が困ったように笑いながら教えてくれたのだ。
小中学生がするようなものだから、家出癖と言った方が正しいのかもしれない。ふらっとどこかに行ってしまい、そのまま数時間帰ってこない。日も暮れて周囲が心配し探しに行ってようやく見つかり、そのまま手を引かれて帰る。そんなことが、昔からたまにあったのだと。
今回はたぶん、明光君……あ、ツッキーのお兄さんのところ、とかかな。
そう言ってほほを掻き、山口は何故かごめんねと謝った。どう考えてもお前が謝る必要は無いだろうにと思いながら、はた迷惑な奴だと零すと、山口はいっそう困ったような顔をする。
俺を見て、そして何か言いたげに視線を彷徨わせ、そして散々逡巡した末、ぽつりと呟いた。

「ツッキーは今きっと、どうしようもなくなっちゃってるから」

心とか、身体とか、そういう色々がぐちゃぐちゃになっていて、自分ではどうにもならなくなってしまっている。そんな時月島は、友達とか先生とか仲間とか、時には家族も全部置いて、一人きりになりに行くのだと。ふらっと、何の前触れもなく、消えてしまうのだと。
バレーとか、勉強とか、人間関係とか、時には、当時付き合っていたらしい恋人とか。そんな色々に押しつぶされそうになるたびに姿を消す月島を、信じてあげて欲しいと言った山口に免じて待ち、時にはみんなで探した。
人騒がせなやつと口では文句を言いつつも、誰もが似たような感情を抱き、自分の形で発散させた経験があるからこそ、決して嫌な顔はしなかった。長くても二、三日。たったそれだけできちんと整理がつき、何食わぬ顔で平然とバレーをする月島が見られるのなら、それでいいと思っていた。

だから、月島を俺の家の前で見つけた時、驚きながらもどこか冷静な自分が、ああ、今度はここだったんだなと納得していた。
どうしてこんなところにまで、どうして俺のところに。聞きたいことは山ほどあったが、おそらく今が時ではない事も、一応曲がりなりにも三年間共に戦ったチームメイトとして察した。

カシャンと月島が皿を棚から取り出した高い音が響き、はと深い思考の渦に呑まれていた意識が覚醒する。もしかしたら少し微睡んでいたのかもしれない。慌ててソファの背もたれから後頭部を上げると同時に、キッチンの中で揺れる金髪が目に入った。
一定のリズムを刻むように前後するそれを眺めていて、ふと隣で丸くなるクロオさんもじっと同じものを見つめている事に気付く。俺と目が合ってもそいつは特に怯えた様子も無くなーおと鳴くものだから、おもむろに手を伸ばしそのさらさらの毛並みに触れた。

「あいつ、ぐちゃぐちゃになってるのかな」

どう思う?俺は、どうしたらいいと思う?なんであいつは、俺のところに来たんだと思う。
そう問いかけるように首を傾げると、クロオさんはふてぶてしく喉を鳴らし、そんなこと自分で考えろとも、俺が聞きたいわそんなこととも、どちらとも取れる顔をした。
月島が作ってくれて、珍しく共に食べたクリームシチューと蒸した若鶏のサラダは、とてもおいしかった。


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