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□月島が影山の家に居候する話
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「うえ、それであいつ、あの時急に話しかけてきたんだ」

前々からなーんか見られてるとは思ってたけど、ほんといい迷惑。
帰宅してふと思い出した話をしてやれば、月島は心底嫌そうに顔を顰めつつ、すりすりとその腹に頬を擦りつけているヤマの頭を撫でた。
表情の割にその手つきはえらく柔らかで、ポーズ上嫌な顔はするものの、そこまで気にも留めていなかったらしい事が読み取れる。実際、俺がその人物の身体的特徴を上げるまで誰かすらも覚えていなかった。
シャワーを浴びて濡れた髪をわしゃわしゃとタオルと共にかき混ぜていると、待ってましたとばかりにソファに下ろした膝の上にカゲとヒナが飛び乗ってくる。クロ、ボク、アカは広いソファの端と端に腰かける俺たちの、丁度真ん中で身を寄せ合い眠っていた。

「まあ……僕や影山みたいな線の細い日本人は、そういう連中にはうけるみたいだね。君も声掛けられた事、一度や二度じゃないデショ?」
「あー……まあ」
「それにしても、影山が大和撫子ねえ……。でも知ってる?撫子の花言葉には大胆、なんてのもあって」
「その話、前も聞いた」
「あれ、そうだっけ?」

正確には俺に向けられた話ではなかったけれど、と思いながらも頷くとそっか、と不思議そうに首を傾げた月島はじゃあこんな話は?と問いかけながらソファの背もたれに肘をかけ、頬を手の甲で支えながら薄く微笑んだ。

「白い撫子の花言葉はね、『才能』」

あと、『器用』とかね、と続けた月島の瞳が、どこか怪しげな、妖艶な揺らめきを帯びた気がして、背筋をゾクリとした何かが駆け抜ける。
見たことのない、表情。

「王様には、ぴったりだと思わない?」

しかし間髪入れず嫌味っぽく笑った月島は、今のが見間違いだったのかと思う程いつも通りで、俺は思わず一瞬の間で詰めてしまったらしい息を吐いた。
白い撫子と言われ、記憶の箪笥を開け閉めしてみるものの、よくよく考えると普通の撫子もろくに知らない。確かこう、なんかもっさーとした感じの小さい花だった気がすると考えて、やめた。当たっているのかいないのかもわからない検証作業にかける時間なんて、不毛にも程がある。
そう思って、今度は教えられた花言葉を口の中で転がしてみた。『才能』と『器用』。
大和撫子、という言葉の響きから連想するには確かに少し離れた言葉だなと思って、ふと、もしかして褒められたのかと、変なところに思い当った。
少し遅れた動揺がぶわっと襲いかかり、言うつもりの無かった言葉が不意に落ちる。

「お、まえにも、似合うと思う、ぞ」
「はい?」
「控えめとかは、確かに全然違うと思うけど。でも大胆で何しでかすかわかんないとこ、とか。器用なとこ、とか。あと、才能、ってのも」

言葉を紡げば紡ぐほど、月島の顔から表情が消える。途中で止めよう止めようと思ったのに、結局どもりながらも最後まで言い切ってしまい、それでも月島からは何の反応も返ってこなかった。
不穏な空気を読み取ったのか、ヒナがみーと不安げに鳴き、眠っていると思っていたクロが片目と片耳を上げ俺たちの様子を探る。
背筋を冷や汗が流れ落ちるころになってやっと、そうかな、と小さく呟いた月島が、目を覚ましたクロの頬を人差し指ですり、と撫でてやりながら続けた。

「昔はね、死んだ子の代わりに撫子にその子の名を付けを愛でることがあったそうだよ。撫でし子、それがその花の名の由来。そんな説もある」
「へえ……」
「王様はさ、僕がいなくなったら花に名前でも付けて愛でてあげてよ」
「なんだそれ。気持ちわりい」
「本気だよ、僕」
「三日でムカついて毟っちまうから無理」
「酷いなあ」

クスクスと笑う月島は、少しも酷いだなんて思っていなそうだった。
その表情に少し安心しながら、いなくなったらって、なんだと胸の内で呟く。高校時代よりいっそう痩せた身体は見るからに軽そうで、うっかり手を緩めると風船みたいにどこかに行ってしまいそうなこいつ。ふらふらふわふわして、掴みどころが無くて。何を考えているのかなんて、何日共に過ごしていても相変わらず俺にはちっともわからない。
今日家に帰ったら、月島はもういないんじゃないか。そんなことを考えることが、ここのところ多くなった。別にいなくなっても構わないと、意地を張る自分がいる。ちゃんと時期が来たら日本に帰ると言った月島を、信じる自分がいる。それでもやはり、時折消えてしまいそうになるその背中に、不安になるどうしようもない自分も、確かにいた。
ふと、しっかり繋いどけよ、と言ったチームメイトの声を思い出す。
烏野での三年間を通して、こいつとは曲がりなりにも、きちんと仲間になれていたと、少なくとも俺はそう思っている。でもあの頃は、それだけだった。それが今、月島が俺の元に来たことを皮切りに、確実に俺たちの間の何かが変化している。
それが何かなんてわからないし、この先どうなるのかだって、少しもわからない。ただ、このまま消えてなくなってしまいそうなこいつを、ほっとけないとだけは思う。
一緒にいたいと思うかなんて言われても素直に頷けないけれど、ここで手を離したら一生俺の前に現れそうにないこいつを繋ぎとめておけるのならば、甘ったるい名称で飾られた関係性を結ぶのも悪くない気もする。バレー以外でもこいつと繋がる事が出来るのなら、それもいいかと思った。

「また、どっか行くつもりかよ」

それでも、それでもきっと。こいつは、バレーで繋がっていたかったんだろう。
だからこそ、あの人にも別れを告げたのだろう。

「……そうだね、それもいいかも」
「どうせまたすぐ迎えが来るぞ」
「どう、だろうね」

今度はいったい、何に悩んでいるのか。不安に、なっているのか。
探しに来てほしくないと思っているくせに、探しに来てほしいと思っている。はた迷惑で人騒がせなかまってちゃん。面倒でやっかいで仕方ないのに、誰もこいつを放っておけない。
だってこいつの良いところも、悪いところも。あの人生で一番楽しかった時に、嫌という程見てしまったから。

「……ブラジル」
「は?」
「ブラジルまで行けば、逃げられるかな」

何から、とは言わない月島に、一つ大きくため息を落とす。本当に、こいつは。

「無理だろ」
「あはは、どうだろ」
「あいつらだぞ」
「うん……でも、地球の反対側だし、お金も時間もかかるし」
「それでも、追いかけてくるだろ」
「……君も?」
「……まあ、暇だったら」
「暇なんて無いくせに」
「おまえを引きずり戻す時間くらいある」

月島は、それきり何も返さなかったけど、馬鹿じゃないの、と唇だけが空気を揺らした気がした。そしてきゅ、とソファの上で体操座りをし、その長い体を縮こまらせる。丁度、俺と月島がこの地で初めて会った時のような恰好。
こいつが何を考えているのかなんてわからないけれど、おそらく、たぶん。こいつがこうしている時は、寂しいと、そう言っている気がする。

「……不安、だったんだ」
「ん」
「バレーが無くなっても、バレーで繋がっていたあの人たちが、僕と本当に、繋がっていてくれるのか」
「馬鹿だな、おまえ」
「うるさい……。それで、さ。迷惑だって、分かってるけど、まだ無くならなくて。でもやっぱり、一人でいるのも、怖い。……だから、さ」
「ああ」
「……王様、ついて来てくれない?」

初めてちゃんとした形で聞くこいつの本音に、そして上げられた顔に浮かぶ泣きそうな笑みに、ぐと胸が詰まった気がした。
断っても、こいつはきっと何も言わない。ただ一人、またふらりとどこかに消えるだけ。
ここで頷けば、きっと俺とこいつはブラジルに行く。二人で行って、きっと二人で、普通に帰ってくる。
そうすればきっと、俺たちの間の何かは変わるのだろう。未だ見いだせない不明瞭なこの関係が、きちんと見えるようになるのかもしれない。
でも、こいつが本当の求めているものは、それじゃないのだろう。

「……んなまだるっこしいことしなくても、こうすりゃいいだろ」

机の上に置きっぱなしだった携帯を手に取る俺を、月島は不思議そうな顔で見ている。それをなるべく気にしないように努め、普段はあまり使わないLINEのアプリを開き、烏野、音駒、梟谷の比較的親しい面々で構成されたグループに一つメッセージを落とした。

影山:月島がブラジル旅行するらしいんすけど、興味ある人いません?

それから数分もしないうちに、ぽこんと気の抜ける通知音が響き始めた。一度始まったそれは途切れることなく、ぽこんぽこんと断続的に鳴り続ける。

菅原:おーブラジルかー!いいな、俺も行ってみたい!
縁下:へえ、月島海外旅行とかするんだ
木兎:なになに?ツッキーアメリカの次はブラジル?
西谷:フットワーク軽いな!(笑)
田中:てかなんで急にブラジル?
日向:ブラジル、ってどこでしたっけ?
孤爪:日本から見て丁度地球の裏側あたり
日向:マジか!すげー!!
黒尾:ツッキーブラジル行くの?マジで?いつ?
赤葦:俺も興味あるな、いつあたりで考えてるの?
澤村:俺も最近どっか海外行こうと思ってたから、丁度いいかもなー

ほらな、と次々と流れるメッセージが映される画面を月島に見せると、その顔は面白いくらい呆然としていた。なに、勝手な事してんの。ほんと、王様信じられない。馬鹿なの?ああ、馬鹿だった、なんて呟く言葉には少しも力が入っていなくて、しばらくの間戸惑うように揺れていた瞳が、一つ深く落とされたため息とともにようやく定まった。
そして自分も携帯を取り出しアプリを開くと、何やら画面を操作し始める。

山口:ツッキーが行くなら俺も当然行くよ!
東峰:俺も予定合えば……
澤村:よし、旭が行けない日取りで決めよう
菅原:そうしよう
東峰:酷くない!?
月島:じゃあ、春休みあたりがいいです。計画は黒尾さんと木兎さんあたりにお任せしますね
山口:ツッキー!!
黒尾:え?は?待ってツッキー、普通こういうのって言い出しっぺがやるもんじゃないの?
木兎:そうだそうだ!
月島:いえいえ、やっぱりここは元主将様達の腕の見せどころかと
赤葦:さすが月島(笑)
田中:変わんねえのな(笑)
木兎:てかなら烏野の主将君は!?
澤村:俺は海外初心者だからなー
黒尾:うわ、こいつずりい!

流れるメッセージを見ては小さく笑い声を漏らす月島を横目で見ながら、自分の行動が間違っていなかったのだと感じ俺はこっそり安堵する。LINEの中では黒尾さんと木兎さんが不満を唱えていて、しかし結局折れてしまうあたり、この人たちは相変わらず月島に甘い。
一度決まればそこはさすが運動部主将。着々とそれぞれの意見をまとめ、検討を付け始めた。
進んでいく計画を目で追いながら、俺もこの先当面の予定を頭に思い浮かべる。そこでふと、大学の春休みっていつだっけと尋ねかけようと月島の方を向こうとして、慌てて首の向きを戻した。
気のせい、かもしれない。結局最後まで見ることが無かったそれは、幻だったのかもしれない。負けても、勝っても、血が出る程唇を噛みしめたとしても、気丈に前を向いていたやつのそれを、まさか、今更。
それでも一瞬視界に映った、吸い込まれるように携帯画面に落ちた水滴が、無性にきれいに脳内で再生されて。
結局画面に戻さざるをえなくなってしまった視線で、まただいぶ流れたメッセージを追う。頭に会話の内容はちっとも入ってこない。ただもしこの計画が実行されたのなら、懐かしい面々がここのトークに負けないくらいの勢いで騒ぎ立てるだろう様子だけは、リアルに想像できる。
そこに月島の呆れたような、でも楽しそうな顔があるのなら、それが何よりいいことのようにに思えた。



バレーでなくとも繋がっていられるのなら、それもいいと思う。
それでもバレーで繋がっていたいこいつに、夢を見せてやれるのが俺だけだと言うのなら。
こいつがふらりと足を向けるところに、最後まで付き合ってやりたいと、そう思った。




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