book1

□空に魚、海に鳥
2ページ/4ページ







「え?結局ベル坊のクリスマスプレゼント、お菓子にしたのか?」
「ああ、魔界に大冒険だけはどうにか逃れたぜ」

今更なクリスマスの話題が出たのは、年が変わってしばらくの、新年初登校の日だった。
新年早々なんやかんやで騒がしくて、しかしそんな喧騒の中でも俺と古市、そしてベル坊だけになってしまえばそこには拍子抜けする程平穏な日常がある。昔からそうだった。本気でヤバそうな奴らに囲まれても、警察の厄介になる寸前の事をやらかしても、あまつさえ俺を呼び出す為の人質やただのストレス発散の為のサンドバッグにされたとしても、古市は変わらない顔でここにいる。バカな事言って笑って、鼻の下伸ばしてにやけて、俺の言動に呆れたり怒ったりしながら、隣に。
古市は、俺にとっての日常だった。子連れ番長やらアバレオーガやらデーモンやらでは無く、一人の男子高校生としての男鹿辰巳の世界は、古市貴之で構成されている。
どれほど人間離れしてしまっても、古市がここにいてくれる限り俺は俺であれる。そんな気がしていた。
だから、ピリピリと肌に痛い緊張感の漂う学校で、不穏な奴らの影をほのめかされても、こうして何事も無かったかのような顔でどうでもいい話が出来る。

「つーかお前、それヒルダさんと二人で買いに行ったんだよな!?なんだよそれ、クリスマスデートかよ、羨ましいなあこの野郎!」
「はあ?スーパーの菓子売り場の何が楽しいんだよ。そんなに行きたいならいくらでも代わってやる。魔界大冒険も含めて」
「いや、さすがに魔界はご遠慮願いたいけど…でもスーパー!それもそれでいいじゃんか!完全夫婦ですねありがとうございます!死ね!」
「意味分からん、お前が死ね」

束の間の雪はサンタが持ってきたものだったらしく、空気はしんと冷え込んでいるものの冬の風物詩の姿は影も形もない。ふわふわと吐き出される白い息で遊びながら、俺はほとんど途中から聞き流していた古市の言葉の中に罵倒を見つけ、とりあえずそこにだけ反応しておいた。
しかしすっかり面倒くさいモードに入ってしまった古市は、あーもうなんでこんな奴ばっかりモテるんだよ世の中間違ってるおかしいぜってー理不尽以下エンドレス、とぶつぶつ呟いていて、俺の返答なんて気にしてもいない。
相手すんのもめんどくせーと、自然と歩調が遅くなり、否応無しに古市の背中が目に入る。強さとの比例関係はともかく、無駄にがたいのいい奴らが多い石矢魔では、ひょろひょろしたもやしみたいな古市は、すぐに折れてしまいそうだった。
刺すような寒さは少しだけ和らいだというのに、当然マフラーもセーターも手放そうとしない。お綺麗でお行儀のいい感じの、古市によく似合うクリーム色のマフラー。
ふとそれが、あのクリスマスの後に、古市がレッドテイルの奴に貰ったものだという事を思い出した。古市の首を包み込み、ふわふわとその背中の上で、古市の歩調に合わせて揺れている。
なんかあれ、振り子みたいだなとぼんやり考えながらその揺れを目で追ってみる。あっちへふらふらこっちへフラフラ、所在無く彷徨う布の端。
そう言えば昔変な動きをする玉がいっぱい紐でぶら下げられているものをテレビで見た事があった、かつんといくつか並んだまあるい玉が他の玉に当たると、逆側の玉が何故か動きだし、それが戻ってきてぶつかるとそのまた逆のが…っての。
ぶつかられても、ぶつかられた奴自身は全く影響が無いみたいに、変わらない姿でそこに佇んでいるけど、その力は確かにどこかに向けられ、加えられたのと同等の影響を与える。
ニュートンのゆりかごとか、そんな感じの名前だった、確か。
取り留めも無くそんな事を考えていて…ぽつりと、つまらなそうに俺の少し前を歩いていた背中に言葉を投げかける。

「…つーかお前、なんでクリスマスのやつ出たんだよ」
「は…?へーへー、彼女もいない奴が出て悪ぅございましたねー」
「そうじゃなくて…お前別にプレゼントが欲しかった訳じゃねーだろ?あんなくそめんどくせえもん、わざわざ出ること無かったじゃねえか。あんな…」

土下座まで、して。
すっかり面倒くさいモードだった古市は、俺が何を言っても捻じ曲げて解釈する。いつもならうざいもういい、で終わるところだったのだが、今日は自分でも少し驚くくらい食い下がっていた。
なんでこんな、ムキになって、とそう考えてみて、あまり考えず零した最後の言葉にああ、とようやく自分が何を不満に思っていたのか納得する。ずっと引っかかっていた一つのもやもや。こいつがあのイベントに出た時から、ずっと。
お前はそんな、安売りしていいような奴じゃないだろ。あんなくだらねえイベントのために女の前で土下座なんか、していいような。
分かったら分かったでその意味に戸惑い、中途半端なスピードで失速した言葉に、ふと不思議そうに俺を振り返っていた古市の顔が急に表情を消した。
何か感じたのだろう、古市は一瞬遠くを見るような顔をすると小さくマフラーを弄った。くいと口元を隠すように持ち上げると、先程までの面倒くさいモードから一転、穏やかで静かな声で話し出す。

「…俺の今のここでの立ち位置って、喧嘩の出来ない男鹿のツレでちょっとすけべなお調子者、ときどき智将、基本はただの賑やかし要員、だと思ってんの。そーゆーの自分でも分かってて、それで別にいいと思ってたんだ。でもこの前の、まあちょっとした出来心からのティッシュ事件?からみんなちょっと、変わって。そうして欲しかったってのもまあ、無くは無いんだけどなんか、違うんだよな」

抑揚の少ない声で紡がれる、自虐ともとれる言葉の羅列には、しかし驚くほど感情が込められていなかった。声と同じペースで前に進み続ける古市が口を挟まれる事を拒むように背中を向けているため、俺も同じ速度で進みながらその言葉を聞く。

「別に嫌だって訳じゃねーんだよ、そういう、弄られキャラみたいなの。ただでさえ力の無い役立たずな俺が、力が全てのここでどんな形であれ受け入れてかまって貰えてんの、すっげーありがたいと思うしさ。だから…前の事も、色々言ってたけどほんとにその場のノリっつーか…後悔はして無いけど。まあだからこそ、帳尻合わせようと思ったっつーか、中和しようと思った、みたいな」

はは、と冬の空気のように乾いた笑いを零して、古市は黙り込む。
たぶん今、失敗したと思ってるんだろう。なんでこんな話したんだろうって思ってて、きっとあと少ししたら、いつもみたいに笑いながら、なんつってなとかなんとか、適当な事言って誤魔化そうとするんだろう。それでいつもみたいにそれに乗っかって笑うふりをする俺に、お前は良かった騙されてると思って、安心するんだろう。
でも本当は、どんなに馬鹿な俺でも少しは分かっている。他でも無い、お前の事だから。

まるでそうしていないと居場所がなくなってしまうんじゃないかって、心の底で怯えながらいつもより少し低い声で語る背中は、冷たい空気に紛れて今にも消えてしまいそうに見えた。
そう、本当は俺にだって分かってる。柄でも無い事ばかりで雁字搦めになって、動けなくなって途方に暮れても、それでもまた自分で鎖を増やす。女好きのお調子者演じて、お勉強に使う筈の頭喧嘩に使って。
そしてそれが、そんな不器用な生き方が、全部俺の隣にいるためだって事も、分かってる。
そうやって無理してまで頑張って、時には命を削ってまで自分の決めた道を貫こうとして、また頑張ってボロボロになって、かと思うと今度はピエロを演じて笑う古市。
どうしてそこまでするのか、一番大切なそこは、馬鹿な俺にはよく分からないけど。
でもそういうのも全部、こいつが俺以上に俺の事を分かってくれているみたいに分かってやって、その上でちゃんと言ってやりたい。
お前はそんな事しなくていい、俺の横は、守るまでも無くお前のものなんだからって。
何を考えてお前が、そこまでして居心地のいい世界を捨て茨の道を選んでくれているのかは分からない。だからこそ、いつかお前が俺に手を差し伸べてくれたみたいに。
別に周りの事なんてどうだっていいじゃないか、お前のいいところは、俺だけが知っていればいいんだから、と笑いかけてやりたい。
俺がその言葉にどれだけ救われたのか、お前はきっと知らないんだろう。
それはあの、小六の夏休みの前の日。今と逆転した世界のその中で、俺は初めてこいつだけは何があっても、絶対に守り抜くと決めたんだ。自分でも知らない俺を、教えてくれたこいつを。

そう、それはようやく夏休みに入ると、珍しく機嫌良く学校に行った日の事だった。

「男鹿君、お誕生日おめでとう!」

半ば強制的に割り振られたのかもしれないが、最近顔を合わせれば手くらいは振る仲になったクラスの女子が、満面の笑みと共に在り来たりな生誕祝いの言葉を口にした。
そのことに少し驚いていると、周囲の奴らも同じ言葉を合唱し、俺の前に透明なクリアファイルが差し出される。いかにも100均で買った風な安っぽいプラスチックの中には、色とりどりの紙がたくさん、収められていた。
あ、ありがとと半ば、昔おふくろに人から物を貰ったらありがとうでしょ、と教えられたままに条件反射でそう返し、おそらく強制ではない「これからもよろしくね、男鹿君」という言葉を聞きながらファイルを受け取る。
俺がそれを手にしたのを見て、他の奴らは次にスポットが当たるべき奴の方へ顔を向けた。しかし俺は目を丸くして呆然と手の中のファイルを見つめたまま立ち尽くす。
すると隣にいた古市が、すでに話題は俺から移り変わって、普段はクラスの輪の中に積極的に溶け込もうとする古市が、それにも関わらず俺の方を向いたまま良かったなと、まだ状況をうまく理解出来ていない俺よりもずっと嬉しそうな顔で、ばんと遠慮無く俺の背中を叩いた。
まあ、かなり早いし、どうせ休み中も散々顔合わせるんだろうけど、誕生日おめでと、男鹿。
そう言われた時、ただ歳をとるだけだろ、祝ったり祝われたりだって、たいした意味なんか無いじゃんかと、子供らしからぬ事を考えていたその日が、現金にも突然ものすごくいいものみたいに思えた。
家族以外の誰かから貰う、あなたが産まれて良かったね、という言葉。それはあまりに広くて、ちっぽけな存在なんてあまりにも簡単に掻き消してしまう世界に、あなたはここにいてもいいんだよと、そう言って貰えたみたいだった。
くすぐったくて、ちょっと居心地が悪くて、でも何より嬉しい。
おー、とおそらくたいていの奴らにはいつも通りに聞こえる、しかし隣のそいつにはおそらく隠しきれていない喜びを滲ませた声で、俺は応えた。

でも今思うと、俺の人生の幸運は、古市と出会った時点ですっからかんになっていたんだろう。






次へ
前へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ