book1

□空に魚、海に鳥
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殺六縁起編突入後、男鹿さんがちょっと天下統一をがんばる理由。

こじつけのような気しかしませんが、男鹿さんお誕生日おめでとう!も含めまして。




それは冬を迎えてしばらく経つ日々の中でも、一際寒い日だった。
どうせここまで冷え込むのならいっそ雪でも降ってしまえば潔いのに、気温が間違っているのではないかと思うくらいに空は綺麗な冬晴れ。降雪量の少ないこの地では街が雪化粧を施されるのは本当に稀な事だ。
なんだかすごく損をしている気がする、と色味だけなら夏と大差ない青空を見上げ、向ける充ても無い不満を零す。

「な、ベル坊も雪遊びしたかったよな」
「ダ」

今日は冷えるからな、坊っちゃまがお風邪を召されては大変だ、とヒルダに半ば無理やり巻き付けられたマフラーが落ち着かないのか、肩の上でごそごそと身じろぎをするベル坊。あんま暴れんなとたしなめる様にわしゃわしゃと緑色の頭を乱暴に撫で、普段とは違う感触にそういえば俺もヒルダにマフラーと手袋を渡されて、邪魔くせえと言ったらぎゃあぎゃあうるさかったから、仕方なくつけてきたんだと思い出す。
確かに指先がかじかまなかったり首元が温かいのはありがたいが、やっぱり邪魔なもんは邪魔だ。だいたい短ランにお行儀のいい青の手袋やらマフラーとか、似合わないにも程があるだろう。
そもそもこういうのは、普段からお前は子供体温だからいいよなと謎の理由で詰られている俺なんかではなく、そう例えば、今現在進行形でさみーさみーとうるさい奴とかに必要なものであって。

「さ〜み〜、うあ〜さみ〜よ〜」
「古市うるせえ。寒いって言うから寒いんだ。んなもん気合いで吹き飛ばせ」
「うっわ出たよ、筋肉馬鹿の極端精神論。んなこと言っても寒いもんは寒いっつーの」
「誰が馬鹿だってぇー古市君?」
「わわっ、ちょっ、マジ勘弁して!寒いと更に痛いんだって!」

馬鹿にされていらっときたのでいっちょ関節技でも決めてやるかと腕を伸ばせば、それを一足先に察したらしい古市がひょいと俺の手の届かない位置に逃げた。相変わらず逃げ足だけは早い奴だと舌打ちをしつつ、しかしわざわざ追いかける程の事でも無いので、上げた手はそのまま下ろす。まあ、冷たいと痛いってのも分かるしな。
何より、マフラーにセーターと完璧な装備でも尚、ガタガタと震え続けている古市は本当に冗談抜きで寒そうだった。
結局、数秒もすれば再開される寒いコールにさすがにそろそろ他の事喋れよと、固より豊富な話題があるわけでも無いが辟易する。登下校路が暑い、寒い、眠い、腹減ったなどの現状報告で埋め尽くされるのはザラだが、いいかげん古市の本気でしんどそうな恨みがましい声を聞くのは飽き飽きだった。
こんな事ならカイロでも持ってきて押し付けてやれば良かった、とそう考えて、ああ、なんだ、ちゃんといいもんがあんじゃないかと我が家のおせっかい焼きに珍しく素直に感謝しつつ、俺はすぽんと手を包み込んでいた手袋を外す。

「古市」
「う〜、なんだよ男鹿ぁ」
「これやるから、お前ちょっと黙っとけ」
「え、何それ貸してくれんの?どういう風の吹きまわし?」
「いらねえならやらん」
「わ、いりますいります!だってそれどうせヒルダさんからだろ?ヒルダさんの温もりつきだろ?こりゃあ手だけじゃなく身も心も温まる至高の一品だよな!」
「…やっぱキモイからやらん」
「うっせー!いいだろこれくらい」

どうせ俺には、お前と違って温もりを分けてくれる可愛い女の子なんていないんだから、とぶつくさ言いながらも、古市は俺から手袋を受け取ると素直に嬉しそうな顔をする。朝からの強張った表情がようやく解けたかと内心ほっとしながら、へへ、あったけーとヒルダの温もりなんかより俺の体温が染み込んだ手袋に幸せそうな顔をする古市を眺めた。

こっそりと胸の内に誓いを刻んだのも、そんなちょっと寒い以外は何にもない、ごく普通の日だった。
だいたい世の中そんなものだろう、特別などと言えるのはせいぜい、刻んだ誓いが成就したその時くらいで、あとは誰かにとってはちょっと特別でも、それはあくまでやはり日常に過ぎない。
古市にそんな事を言えば、すっかり非日常に染まったお前が日常を語るなと怒られそうなものだが。
ただそんな非日常風味の日常の積み重ねが、ふとした瞬間に世界を変えたりするのだ。

古市的に言えば長期に渡る永久凍土の死の行軍を終え、ようやく教室に辿り着いた。不良と言えども寒いものは寒いのか、むしろ無法地帯なのをいい事に本来なら使用制限のある暖房は全力で駆使されている。
もったりと重い空気に古市は歓声を上げつつ、教室に足を踏み入れるやいなや俺にサンキューと軽く礼を言いながらせっかく貸してやった手袋を雑に投げつけ、暖房の元へと走って行った。熱を発する機器の周囲には他にも数人、寒さに耐性の無いらしい不良がたむろしていて、つい街灯に群がる虫を連想してしまう。飛んで火に入る…現時点では冬の虫。
さむいっすねーなんて言いながら平然と不良の輪の中に入って行った古市を横目で見つつ、俺はようやくベル坊と自分のマフラーを解き椅子に腰を下ろす。暖房がガンガン効いた室内は俺からしたら少し暑いくらいだが、昼寝をするにはちょうどいい。
慢性的な眠気に促されるまま、年中無休でぺちゃんこの鞄を枕にうとうとと微睡む。しかし珍しくなかなか寝付けず、まあ別に焦る事でも無いので、ぼんやりと教室内の喧騒を子守唄にしていた。
そうしていてどれくらい経った頃だろう、その不特定多数の雑多な音の中に、ふと判別可能な声が混ざる。

「え、これを俺に、ですか?」
「そ、そうよっ。あっ、勘違いしないでよね、千秋や涼子からも含めてなんだから。クリスマスの時のお礼ってことで…」
「それなんてツンデレのテンプレ的セリフ…わわっ、何でも無いっす!でもクリスマスって、お礼してもらえる様な事しましたっけ?イベントの事ならむしろ俺がお礼する方じゃ…」

かさかさと、何か紙袋のようなものがそれぞれの手の動きに合わせて耳障りな音を奏でると同時に聞こえる、二つの声。一つが古市のものだと言う事はすぐに分かったが、もう一つは誰のものだったか。疑問に思いちらりと薄目を開けて声の方向を見遣ると、派手な赤い頭が見えた。ああ、あの、レッドテイルの奴かと納得しながら、何と無く不思議そうにこてんと首を傾げる古市と、若干顔を赤くし挙動不審なその女を眺める。

「その、なんだかんだでまあ楽しくなかった事も無かったし、その後も奢ってもらっちゃったし、遅くなったけどそのお礼…。い、いらないなら別にいいわよ!受け取らないならあたしが貰っちゃうんだから!」
「わわ、いります、いりますって!ありがたく頂きます!」

殴るとも奪うとも知れない振り上げた手から、古市は手にした薄いピンク色の紙袋を庇う。ちょこんと小さなリボンが付いているあたり、いかにもこういうのに拘りそうな女らしい。どうせ捨てるのに、御大層な事でと思いながら、どうにも訪れない眠気を待つ暇つぶしのように、喜色を滲ませる古市がその紙袋を開ける指先を見つめる。
中から出てきたのは、ふんわりと暖かそうなクリーム色のマフラーだった。



* * *



お前のいいところは、俺だけが知ってればいいよ。
窮屈な世界で、そんな陳腐な言葉に救われることがあると知ったのは、小六の夏だった。

みーんみんみんみんみんと蝉が元気良く大合唱を奏でる中を、濡れて重量を増したプールバッグをぶらぶらと振り回しながら歩く。空は呆れるくらいの晴天で、その鮮やかな色味を裏切ることの無い温度はじわりと額に汗を滲ませた。もちろん、帰路を埋める言葉は暑い、の一択。
じりじりとアスファルトを焼く日差しを見上げ、しかしお前との付き合いも明日までだ、明後日からは文明の利器万歳のパラダイスだぜ、と謎のドヤ顔を決める俺に、そういえばとふと思い出したように古市が暑い以外の言葉を発した。

「明日、今月はお前もだったよな?楽しみだな、何が書かれてるのか」
「何がだ?」
「何がって…あーもーそうだよな、お前ってとことんこういうの興味無いよなー」

先程までげんなりと太陽を仰いでいた顔を一転、突然わくわくと嬉しそうな表情を浮かべる古市が分かって当然とでも言いたげに振った話題に、しかし思い当たる節が全く無い。一応脳内検索をかけてはみるが、該当結果:0件。もしかして:すらないときたもんだ。
仕方なくあまり性能のよくない脳内コンピュータを頼るのは止めて、何故か俺よりも俺の事を把握している某クグる先生みたいなダチに問いかけると、呆れた様な顔をしながらも求める情報を提示してくれた。深い溜息とお小言は使用料という事で甘んじて受け取っておいてやろう。

「うちのクラスさ、その月誕生日の人に月末に誕生日プレゼントって事で、その人の『いいところ』を皆でカードに書いてまとめて渡すの。で、お前は残念な事に夏休みの最終日、八月三十一日。学校は無いから、八月に誕生日の人は代わりに七月の人と一緒に明日、終業式の日に受け取る事になってるってわけ」
「ふーん」

ご丁寧なヒントを頂いたところで念の為もう一度だけ脳内検索をかけてはみるが、やはり該当結果はゼロ。
去年のクラスになってから始まった文化らしいが、おれが知らないのはおそらく俺自身が面倒くさいと一蹴したからか、俺を恐れて声がかけられなかったかのどちらかだろう。
だいたい、クラスの奴のいいところなんて知らないし、クラスの奴らも俺のいいところなんて知るはずも無い。どっちみち、俺には縁遠い文化だ。
そう思って欠片も興味が無い事を示すように、説明の長文の労力とは見合わない気の抜けた返事をすると、古市は困った様に小さく笑い、ぽんと俺の背中をランドセル越しに叩いた。

「今まではろくな事書かれて無かったから覚えて無いかもしれないけど、最近のお前、丸くなったって結構好評なんだぜ?ほら、一緒に花壇に水やったりとかプリント配ったりとか、チャッピー達の世話もしたし。クラスの奴らとも今までのお前じゃ考えられないくらい喋ったし、みんなきっと、お前の事前よりずっと見てるよ」
「…ふーん」

だから、楽しみだな。
そう言ってにかっと歯を見せて笑う古市に、音程だけは先程と変わらない返事を返しつつ、そんなに変わるもんなのかなと内心考え込んだ。
たぶん、今までは書く事が無いと悪意も無くほとんど重みの無いそれを渡され、そして俺もろくに見る事すらせず、学校から配布される邪魔臭い藁半紙と一緒に捨てていたのだろう。そもそも本当に作成されていたのかすら怪しい。
そんな状態から、一年も経たない内にそんなに変わるものなのかと考えて、しかし何故か自分の事のように嬉しそうな顔をする古市がそう言うなら間違いないだろうと結論付ける。
周りの評判とやらがどう変わったのか、なんて事には全く興味はないが、学校生活が格段に楽しくなったのだけは確かだ。
一ヶ月も先の誕生日に先駆けて送られるよくわからないものが、厚かろうが薄かろうが、それも別にどうだっていい。ただ。

「俺もちゃんと書いたんだからな、捨てたりしないでちゃんと大事にしろよ」
「おー」

こいつが、俺の『いいところ』とやらを考えながら書いたのなら、それだけは大事にしようと思った。



* * *





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