book1

□お家に帰るまでが戦争です
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姫川さんでもういっかい









「喧嘩、しようぜ」

お決まりの台詞に悪魔の如き笑みを浮かべる親子。ごくり、と誰のものとも知れぬ唾を飲み込む音がやけに鮮明に聞こえる。考えてみれば、こいつと真っ向から相対するのは、最初にぶっ飛ばされて以来かもしれない。
あの時の無念を今、なんて柄じゃないが、笑われても良い。今なら誰にも負けない、こいつにも、そんな思いが胸の内に確かにあった。
とうとう、大将戦。臆した様子など欠片も見えない不敵な顔に、余裕こいてられんのも今の内だ、今日の俺達は一味違うぜとほくそ笑んで…。

「この馬鹿オーガっ!」
「てっ」

スタートダッシュの合図より先にすぱぁんと気持ちよく鳴り響いた音は、古市が容赦なく男鹿の頭を叩き落とした音だった。
…いや、お前らが戦ってどうするよ。

「お前、あれほど俺がおとなしく待ってろって言ったのに、なんで出てきちまったんだよ馬鹿が!!」
「む、まだ終わって無かったのか?」
「終わってねーっつーの!見りゃ分かんだろうが!!」
「だってお前、負けてたじゃんか。アホアホよわ市め」
「今の俺に弱いとか言うな、ヘカドスさんに失礼だろうが!だいたいまだ負けてねえ!あそこから俺の怒涛の巻き返しがだな…」
「無いだろ」
「うるせーっ!!ああくそっ、せっかくお前をラスボスに仕立ててかっこよく決めようと思ってたのによー。お前のせいで俺様の完璧な作戦が台無しじゃボケ!」

呼びだしたのはそっちのくせに、二人そろえばこちらの事なんかそっちのけでぽんぽんと気持ちのいい応酬が始まる。ようやくそろったコントラストに拍子抜けしつつ、俺達はおとなしく懐かしいやり取りを見守った。
アバレオーガだのデーモンだの呼ばれていても、古市の前じゃそこらのガキみたいなあどけない表情を浮かべる男鹿も、黙っていればそこそこ見れる容姿の筈なのに、男鹿の前では全力でツッコミやはり変わっていなかった残念な所を隠そうともしない古市も。
ついでにそのやり取りを心底楽しそうに眺めているベル坊も。
まるであの頃をそのまま切り取って、アルバムの中に張り付けたように変わりない。それは七年前の象徴の様な光景だった。

「あーうっせえうっせえ、ぐだぐだ言うな古市。もういいだろ?」
「あ?何がだよ」
「喧嘩、させてくれるっつったのはお前だろ。…暴れて、良いんだよな?」
「…おーいいぜ。好きなだけやってこいよ」

ぎゃあぎゃあと喚く古市の言葉を耳を塞ぎ右から左へと受け流していた男鹿が、どこか挑発的な笑みを浮かべながら古市に尋ねる。すると一瞬きょとんとしていた古市も、それに応える様ににやりと笑うと頷いた。
古市が軽く拳を握り上げ、それに男鹿がこつんと自分の拳をぶつける。二人だけの世界で共通言語を操るそいつらが、視線のみで何を語ったのか俺達に知る術は無いし、知る必要も無い。
ふーと清々しい空気で胸を見たし、そして吐けば、異様に熱く感じる吐息が喉を焼いた。眩暈を覚える程の太陽光を見上げ、ふと学校の自販機で売っている安っぽい炭酸飲料の味が恋しくなる。これが終ったら一杯やろう、仕事明けのサラリーマンじゃないが、格別の一杯を。
その一時の為に、生きているのだ。

「そんじゃ…始めますか」

よいしょ、よいしょと緊張感の無い声と共に、男鹿は首にぶらさげていたベル坊を下し手足を伸ばす。ぐいーと手を組んで背筋を伸ばし、準備万端とばかりに俺達に向き直るやいなや、にたぁと悪魔の笑みを浮かべた。
出たよ、あの、人を人とも思わないクソヤローの極悪面。
懐かしいねぇと、俺達も男鹿に笑いかける。流れるのは勿論、和やかで微笑ましい空気などでは無い。

「さあさあ、よってらっしゃい見てらっしゃい!」

その時、男鹿の後ろにいた古市が突然両手を高々と上げて声高らかに何かを叫びだした。とうとうこの暑さで頭がいかれたかとその場の人間が一斉にそちらを見遣ると、本当に楽しそうに笑う古市がひらりと飛び上がり、空中で一回転といらないパフォーマンスをした後フェンスの上に飛び乗る。隣に居るヘカドスも呆れた様な顔をしてはいるが、それでもどこか楽しそうだった。
階下から吹き上がる風が、古市の銀の髪をひらりと巻き上げる。そしてまるで舞台に立つ役者の様によく通る声で、続けた。

「これから始まるのはあの石矢魔の伝説東邦神姫と子連れ番長男鹿辰巳の頂上決戦!天下分け目の最終決戦、いざ見合って見合って…」

唖然としていた面々も、苦笑を浮かべながら我らが智将閣下の気まぐれに付き合ってやることにしたらしい。古市の声と共に男鹿に向き直り、己の旗を胸の内に高く掲げる。
そう、これは戦争だ。自分のプライドを名目上掲げた、ただの楽しい戦争。
この狭い屋上の上に立てる旗を奪い合って、夢中になり過ぎて日が暮れた事にすらも気づかない。そんな若者だけに許された魔法にかけられたあの日々に、始めて終わったあの戦争が。

「尋常に、勝負!!」

今、また始まる。





* * *





「だーっ、ありえねえ!まじありえねぇわー!!」
「うるせーよ神崎、耳元でぎゃんぎゃん騒ぐな」
「うっせーうっせー!!なんだよお前瞬殺とか!マジ意味わかんねーよ空気読めばーかばーか!!」
「お、ヨーグルッチ発見」
「馬鹿お前、それは神崎先輩の分に決まってるだろうが、お前のはこっち」
「む」
「無視すんな男鹿!!」

散々引っ張った割に、頂上決戦はものの数秒で終わった。気づいたら視界が黒に染まっていて、次の瞬間には一面の青、はいこれにておしまい、めでたしめでたし。
最強だなんて妄言も良い所で、結局のところ化け物にはちっとも歯が立たない。何から何まであの頃と変わっていなくて、奇跡みたいに高尚なものも、幸運なんて俗なものも存在しない。あるのはただ、力だけが全てのあの場所。
それに気持ちだけはあの頃のままでも、若くない体は確実に悲鳴を上げていた。ごろんと綺麗な筈も無い屋上の床に寝そべって空を見上げたまま、首を動かすのすらも億劫だ。
見ればすぐ横には東条の馬鹿みたいにでかい身体が転がっていて、その逆側には男鹿と古市に噛み付いている神崎の頭が揺れているのが見える。もう少し頑張って首を伸ばしてみれば、何とも用意が良い事にクーラーボックスからアルミ缶を取出し男鹿に手渡している古市の姿が見えた。

「おい古市、こっちにも寄越せ」
「はーいただいまー」

まるで先程までの大乱闘など無かった事の様に、ほれと手を伸ばせば古市は迷わずに取り出したアルミ缶を俺の手に載せる。ひやりと熱を持つ手に痺れる程の冷気を与えるそれは、つい先程脳内に浮かべたあの炭酸飲料だった。
すげえなお前、エスパーかよと抑えきれなかった笑みと共に零せば、エスパーじゃなくて智将っすよと平然とした声で返されたので、調子に乗るな馬鹿と軽く手を叩き落としてやる。
冗談っすよー叩かなくてもいいじゃないですかーとたいして痛くも無いだろうに大袈裟に手を振って、しかしすぐにぱっと笑みを浮かべると邦枝先輩とヒルダさんもどうぞーとお茶を渡していた。本当に図太いんだかなんなんだか、ある意味男鹿よりもよく分からない後輩だ。

「…そんで、お前らなんで突然こんな事企んだんだよ?」

たいしてうまくもない、ただただ甘くて炭酸がどぎつい飲料を一気に流し込み、ふぅと一息吐いてから尋ねる。すると他の奴らもそう言えばと言った体で、のんびりと少し温度の下がった風に吹かれながらくつろいでいる男鹿と古市を見た。
すると一瞬、古市がどこか困ったように視線を泳がせた後、あー実はですねーと言葉を続けようとして…。

「俺とこいつ、来月からアメリカ行く事になったから」

ぐい、と男鹿が古市の肩に腕を回し、平然とそう言い放った。
ちょっとそこまで、レベルの軽い言い回しにふーんそう、とこちらも同程度のテンションで受け流そうとし…。

「はあああああ!?お前ら二人でか!?」
「おう、…じゃねーな。ベル坊も一緒だ」
「当たり前だろー!俺だけ置いてけぼりとか許さねーからな!!」

ようやく言葉の意味を飲み込み、その場にいる全員の驚愕を代弁するかのように叫んだ。あまりに男鹿とそのガキの様子が普通だからまるでこちらのリアクションがおかしいもののような気すらしてくるが、その隣にいる古市があちゃーと額を押さえている事が辛うじて常識を教えてくれる。

「つーか男鹿…お前それマジで言ってんのか…」
「は、当たり前だろ」
「あーもう、うん、あー、まあ、もーなんでもいーけどさ」

いや良くねえだろ古市。お前ツッコミ放棄すんなよ、お前の存在意義がなくなるぞ。
肩に回された暑苦しい腕はそのままに、古市ははーともう一度大きな溜息を吐くと苦笑を浮かべる。しかし何故だろうか、男鹿の突拍子も無い言動に呆れている筈のその顔は、やけに嬉しそうに見えた。

「まあ、そんな訳で、来月から俺達アメリカです。ほんとは俺だけ仕事の予定で向こうに行く事になってたんですけど…色々あって、男鹿も来ることになりました」
「いや、意味わかんねーって…」
「わかんねーですよねー。大丈夫です、俺も分かってないんで」

ははは、と軽く笑っているがいやまじ意味わかんねーって、ちゃんと説明しろとツッコもうとし…しかしまあいいか、と出かかった言葉を飲み込んだ。
よくよく考えたら、こいつらが離れている方がよっぽど違和感がある。これで古市だけが遠く離れた海外に、なんてのは、自然の成り行きだとしてもおかしいだろう。暑さにやられた頭が、そう結論づけてしまったのを誰が責められようか。
でもいいんだ、こいつらはこれで。常識とかルールとか、そんな色々めんどくせーもんに雁字搦めになっているのが馬鹿馬鹿しく思える位、あの空に漂う雲みたいに自由に流れる事を思いださせてくれる。そんな存在が、どこかに一つくらいあってもいいだろう。
たとえどんなに離れても、たまに忘れそうになってしまっても、つまらない大人になってしまったとしても、こいつらがまた思い出させてくれる。それさえあれば、また変わり映えのしない退屈な明日に伸びる道も、鼻歌交じりに歩いていけるだろう。

「…おい、お前ら。いつまでそんな汚ねーとこに寝転がってんだ」

くく、と喉を慣らし、俺は携帯を片耳に当てながら立ち上がる。ただの位置関係の問題だが、勢揃いの最強と謡われる面々が、きょとんとした顔で俺を見上げているこの光景が少しだけ気持ち良かった。

「今日は姫川様の奢りだ。好きなだけ飲み食いしな」

ヘリコプターのプロペラが回る音が場違いに鳴り響く。校庭に突然降り立った謎の集団に現石矢魔生がざわめき立っているのが聞こえてきて、屋上の奴らも皆外を見た。そしてそこから次々に運び出されるバーベキューの道具にわっと歓声を上げる。
動いて騒げば腹が減る。そしたらうまいもんでも食って寝て、それでまた同じ明日を迎えればいい。

「楽しかったぜ、お前ら」

同じ空の下なんて月並みな言葉を言うつもりは無いが、同じ戦場で戦った記憶を持つ仲間達。
どれだけ金を積まれようが手放せないものが、ここには揃っていた。











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