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□前哨戦はそれとしまして
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かつん、かつんと単調な、そして統一性の無いリズムを刻む靴音が薄暗い踊り場に響く。
一仕事終えてもなお一糸乱れまくりなその音が、やけに俺達らしいと思った。

「思ったより手こずったわね」
「はっ、ふざけんじゃねえ邦枝、余裕に決まってんだろ!」
「フン、強がんなよ神崎、もうボロボロじゃねえか」
「どこに目ぇ付けてんだグラサン野郎。黒すぎて何も見えねーか?」
「ああ?」
「ちょっと、二人共止めなさいよ」

某RPGで言う所のスライム狩りやアイテム集め辺りをすっ飛ばし、ダンジョンごとのボスを倒しとうとう最終決戦。全くもってご都合主義などでは無い。
階下で俺達の行く手を阻んでいた有象無象の現元不良共を容赦なくぶっ飛ばし、俺達は今屋上へと延びる階段を踏みしめていた。
あの頃の『いつも』と変わらないやり取りを交わしながら、どこか感慨深く意図せずとも歩みが鈍る。あと少しでエンディングだと言うのに、それはまるで長い旅の終わりを惜しむ、あのどこか遣る瀬無い感覚と酷似していた。
争う様に先頭を歩む俺と神崎。その後ろから諌める様に声をかける邦枝。そしてその更に後ろから、あの喧嘩馬鹿らしからぬ様子でむっつりと黙り込んだまま付いてくる東条。
と、その時、沈黙を貫いていたと思っていた東条が突然、ふはっと堪えきれなくなった様に笑い声を漏らした。驚き思わず俺達が足を止めると、そこにはまるで獰猛な野生動物の様な、スイッチの入りきった凶暴な表情を浮かべる伝説の男の姿がある。

「そうだぜ、お前ら。俺達が倒すのは…あいつだ」

馬鹿みたいに単純な脳裏に浮かぶのは、おそらくどいつもこいつも共通のあの、悪魔みたいに凶悪な黒い男の影。
楽しくて楽しくて堪らないとでも叫びだしそうなその顔を見ていると、まるで鏡を覗き込んでいるような気分になった。釣られて俺達も笑い、そしてとうとう一番上に、この学校で一番高い場所に辿り着く。とても狭い、数十平方メートルに過ぎない領域。そしてそれは、世界中の何処よりも広く、高い場所だった。

「行くぜ」

ドアノブを握る神崎に、俺達は揃って頷く。力を込めると、ぎ、と錆びた様な音が微かな抵抗を見せるかのように鳴り、そして細い光が差し込んだ。それはみるみる内に視界を眩ませ、広がる。
まるで歓迎するかのように照らすライトに俺達は咄嗟に顔の前に手をかざし、そしてその中でキラキラと光るものを見つけた。果て無く広がる青、ぽかりぽかりとのどかに浮かぶ白。何処から見ても同じだと、繋がっていると気休めになる筈の空は、ここから見ると日常の中に溶け込んだそれとはまるで別物のようだ。
そして広くも無い屋上に、ぽつんと一人佇むその男。
俺達の後輩であり、あの頃、共にそれなりに力を合わせて戦った仲間とも言えなくも無い存在。
石矢魔最強の子連れ番長と恐れられた男、男鹿辰巳…その相棒で親友、古市貴之の姿が、そこにはあった。

「お久しぶりです、先輩方」

キラキラと銀色の髪が風に流れる。肌が焼かれるほど強烈な太陽の下、何故か黒いスーツに身を包んだそいつは、しかしその違和感をも掻き消すほど悠然と微笑んでいた。
へらへらと笑うでも無く、鼻の下を伸ばすでも無く、情けなく喚くでも無いその姿は、やはりこいつも大人になったと言う事だろうか。元より整った造形に、残念と言う装飾語が付かなくなったことがやけに寂しく感じる。
綺麗と形容しても一向に遜色のない微笑みは、この不良の巣窟の頂点にはあまりに場違いだった。しかしそれよりも、何よりも違和感を禁じ得ない事。

「…お前、一人か?」

この場全員の心境を代弁し、俺は少々拍子抜けしながら尋ねる。あいつあるところにこいつあり、こいつあるところにあいつあり。無意識に植え付けられた固定観念が、感動の再会乃至先輩の楽しい洗礼会の開始を邪魔する。
必ず、この扉を開けた瞬間に目にすると思っていたコントラストの不在に首を傾げていると、古市はひょいと軽く首を竦めた。

「すいませんね、俺一人で。でもだいじょーぶですよ、ちゃんとあいつもいますんで」
「…だろうと思ったがな。つーかやっぱりお前らかよ、ふざけた真似しやがって」
「やーさすがは先輩方!お変わり無いようで何よりです」
「お前もな。そんで?俺達を呼びだしてこんな御大層なお出迎えをして下さって、ノコノコ一人で出てくるなんていい度胸じゃねえか。いったいどういうつもりだ?」
「まーまー姫川先輩、そんなに怒らないで下さいよ。先輩方も楽しかったでしょう?久しぶりに昔を思い出した感じで」

にやり、と人をおちょくるような笑みを浮かべた古市に、やっぱり手のひらで踊らされていたのかと面白くない気分になる。分かり切って載せられていた事だと思っても、それすらもおそらく考慮の内だろう。
相変らず、可愛くない後輩だ。

「ま、トップの出番はもうちょっと後って事で。相場が決まってるでしょう?ラスボスは最終ダンジョンで、って」
「くく、てことはなんだ?お前が中ボスか何かか。こんどはお前が、俺達の相手をしてくれるってのか?」

飄々と喰えない笑みを浮かべながら、古市はおどけたようにもう一度首を竦める。意図的であろう小馬鹿にしたような態度に、どうせ乗りかかった船だ、最後までとことん付き合ってやる、と俺は愛用していたバトンを構えた。同時に後ろの奴らも戦闘態勢を取る。
勿論、ただの脅しだ。自身でも石矢魔最弱を公言する後輩に対し、本気で拳を振るうつもりなど毛頭ない。案の定、古市は苦笑を浮かべるとぱたぱたと手を振った。

「いやー、俺ほんと弱々なんで止めときます」

と、戦闘となるといつの間にか物陰に隠れていた後輩の、変わらぬ調子に俺達もすぐに肩の力を抜こうとする。
しかし、次の瞬間そんな気の抜けた空気が一転した。こいつのペースに載せられふにゃあと溶けたアイスクリームの様に和んでいた雰囲気が、ピシリと冷やされる。

「って、言いたいところなんですけど…」

ざわり、清々しい筈の青い空気が、禍々しい黒に揺れる。空の色は変化していないのに、青天の霹靂と言った所か。楽しそうな、智将の目をした男の黒い笑みに鳥肌が背筋を駆け上り、俺達は目を見開いた。

「お前はっ…!?」

つい先程まで、確かに一人だったはずの古市。しかし突然その背後に黒い靄の様なものが蠢いたかと思うと次の瞬間、それは明確な意思を持ち収束し、人の姿を形作った。
奔放に揺れる黒く長い髪、特徴的な耳飾り、身に纏う大仰な師団服。そいつは感情の読めない瞳で俺達を一瞥すると、たいした興味も無いようにすぐに古市に向き直る。

「久しぶりに呼んだと思ったら…こんな事か」
「お久しぶりですヘカドスさん。そう言わず、お願いしますよ」
「無論だ、お前が望むのなら、私は喜んで力を貸そう」
「ありがとうございます」

とてもでないがまともとは言い難い風貌の男を前にしても古市は動じた様子無く、困った様な顔でへらりと笑い、わざとらしく手を合わせる。すると冷たい目をしていた男…ヘカドスも微かに瞳を和ませ、やる気まんまんと言った体で自分を中心に渦巻く黒いものをゆらりと揺らした。
ヒルダとか言う女から悪魔だとか言ったふざけたものの存在を聞いたのと時を同じくして、古市の魔力耐性についても耳には入れていた。熱だのなんだのと言って俺達を負かした時から、悪魔と独自のルートを築き、今でも契約では無くあくまで個人の意思に基づいた協力と言う形で、時折交流を持っているらしい。
あまりに突拍子の無い話はとてもではないが信じがたかったし、実際こいつはほとんど戦闘等において進んで自らの力を行使しようとはしなかった。それに、そんな機会も無かった。
そんな古市が、こうして自分の手札を全て曝け出して俺達の前に立ちふさがっている。
本気なんだと、これは本当に、総力戦なんだと。
俺達の、最後の戦争なんだと、改めて気づいた。

「まあ、そんな訳で。特別ゲストとしてヘカドスさんもお招きした訳ですし、今回は俺もちゃんとザコとかモブでは無く中ボスとして出演させて頂きます。それにほら、先輩方も、あの時のリベンジとかしたいでしょう?」

負けっぱなしは、悔しいですよね?
気弱な後輩とは思えない高慢な笑みと露骨な皮肉に、ぴしと青筋が浮かぶ。それはあの時に、古市にこてんぱんにやられた神崎や東条も同じらしい。それぞれに一歩前へ踏み出すと、ぱんと拳を鳴らしている。

「はっ、おもしれー。悪魔だか何だか知らねえが、そんなもんを使ってもお前じゃ俺達にゃ敵わねーって教えてやるよ」
「覚悟はいいか古市。たっぷり可愛がってやる」

最早手加減など無用、と可愛くない後輩を睨みつけるものの、古市はそんなものどこ吹く風とばかりに涼しい顔をして、明らかに自身よりも屈強な男を控えさせている。相互間に細い糸が張りつめた。
これだ。ずっと求め続けていたもの。あそこでは手に入らないと、欲して止まなかったもの。
お互いのプレッシャーをぶつけ合い、刃を交える。その前の、心地の良い緊張感。
すうと大きく息を吸えば、染み渡る様な空気が肺腑を満たした。今なら誰にも負けない、そんな気さえする。愛しい高揚感。
ゴングは鳴らない。しかし、相対した者達のみが感じるスタートダッシュの合図に、地面を蹴ろうとし…。

「あ、ちょっと待ってください」

思わぬタイミングの制止に今にも飛び掛かろうとしていた俺達は一様にずっこけた。見ると隣のヘカドスでさえ、古市の突拍子も無い言葉に呆れたような顔をしている。
なんだその空気の読めなさは、お前はMK5か!とそいつの専売特許で有る筈のツッコミを入れようとし、これ以上この場をぐだぐだにしてどうすると一応踏み留まった。
こんな俺達の反応さえも計算の内なのか。天然なのか策士なのか判別不可能なのらりくらりとした態度に、曖昧な蜃気楼を躍起になって掴もうとしている様な、そんな滑稽な気分にさせられる。そう言えばこいつは昔からそんな奴だった。

「くっそ…何なんだお前は!言いたい事があるならもっと早く言え!」
「やーすんません忘れてました」
「忘れてましたじゃねえボケ!いいからさっさとしろ!」
「いや、俺紳士なんで、さすがに女性と戦うのはちょっと…。それになんと今日は、ヘカドスさん以外にももう一人、特別ゲストを御呼びしているんですよ」

我慢ならないとばかりに怒鳴る神崎にも平然と対応し、古市は俺達を見てにこにこと笑っている。そして思わせぶりな言葉を告げると同時に屋上の外を見上げ、眩しそうに眼を細めた。
釣られるように俺達も同じ方を見て、そしてやはり直接瞳を指す日光のあまりの眩しさに目を細める。しかしその中に、一点の不似合いな色味を見た気がして、全てを溶かし込む青を見据えた。
仄かに翻る黒。一瞬鳥かとも思ったが、それは確かに意図してこちらに向かってくるようだった。ふわりふわりと風に舞い遊ばれているように見えて、風を総べているかのようにも見えるそれ。異様に太陽が眩しく感じるのは、自ずから発光しているようにも見える金色の所為だと、しばらくしてから気づいた。

「ふん…久しぶりにこちらに来てみれば、面白そうな事をやっているではないか」

とん、と重力を一切感じさせない軽やかな動作で、それは屋上のフェンスの上に舞い降りる。太陽の光にも負けない美しい金色の髪、病的なまでに白い肌を覆い隠すように、対称性を成す黒い服。風を操る様に広げた傘も、見せつける様な豊満な肢体も、人を見下すような高圧的な笑みも、何一つ変わっていない。

「ヒルダさん!?」

演出的な登場に唖然とする中、真っ先に声を上げたのは邦枝だった。あの頃は一応男鹿を取り合い色々と、まあ色々とあった仲だ。俺達の中では最も思う所も多かった相手に違いない。
実際、ヒルダ自身も邦枝以外にはたいした興味も無さそうにうっすらと微笑を浮かべている。

「ありがとうございます、ヒルダさん。来て下さって」
「何、久しぶりに坊ちゃまの顔も見たかったしな。何よりこちらも事務仕事ばかりで退屈していたのだ、丁度いい」

カチンと優美な仕草で傘を仕舞い、古市の声にも記憶の中にあるそれよりは幾分か優しげな音色で対応しているように思える。悪魔と言うものは人間からすると想像もつかない年月を変わらぬ容姿で生きているものだと思っていたが、予想外に男鹿達と同じ年だったらしいこいつも、おそらく同じペースで大人になったのだろう。
くるりと傘を回し、細いヒールでフェンスに佇むその姿は、やはる焦ることなく美しかった。

「邦枝、貴様の相手は私がしよう」
「…望むところよ」

戦う女は美しい、というか怖い。無言で睨み合うやいなや刃を交え始めた二人に、先程まで一向に綻びを見せなかった古市の笑みが若干引きつっている気がする。ブランクなど到底感じさせない動きに、あそこに混ざるのだけは願い下げだと心底思った。
こほんと古市が気を取り直すように咳払いをし、それでは、少し遅くなりましたがこちらも始めましょうか、と俺達に向き直る。すっかり戦意喪失気味だった俺達だが、それと同時にむき出しの殺気をぶつけられれば、身体の根底に染みついた防衛本能が戦闘態勢へと導いてくれた。
武器を持ち直し、構える。睨み合う俺達の視線の間を、一陣の風が吹き去った。

「…行きますよ」

気負いの無い言葉が耳に届くか届かないか。そんな一瞬で、目の前にあった筈の古市の姿が消えていた。何が起きたのか理解できず瞬きをした瞬間に、ぞくりと背筋を悪寒が駆け上がり反射的に地面を蹴る。

「姫川!上だ!!」

ほぼ同時に神崎の声が聞こえてきて、流星のような速度で落ちてきた銀色の星が屋上の床を抉る。惜しい、と歌う様な声に神経を逆撫でされ、古市が体勢を立て直すよりも先にとバトンを振り下ろした。
しかしそれは呆気なく空を切り、がり、と嫌な感触が腕に伝わる。

「はっ…やってくれんじゃねえか」

先程、ほんの一瞬だけ見えた表情。
悪くねえ造形で、黒スーツでこの炎天下の下ぴしっと決めて。だと言うのに、そこに浮かんでいる表情は無邪気な子供そのものだった。思えばあの喧嘩の出来ない後輩は、それでもいつでも戦う俺達の、男鹿の傍に居た。共に戦っている訳では無くても、確かに隣に立っていた。
わくわくして堪らないと、楽しくて今にも叫びだしそうな、そんな馬鹿なガキみたいな顔をして。












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