book1

□舞台から、飛び降りてみましょう
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「おー始まった始まった」

この場所では珍しくも無い爆発音、破壊音を耳にして、自称平和主義者は楽しそうに屋上のフェンスから身を乗り出した。先程まで汚れるだの何だの騒いでいたのはどこ吹く風、きらきらと子供の様な顔で、自分の用意したステージを満足げに眺めている。
光に照らされた銀髪がさらさらと揺れるのを遠目に、俺も懐かしい音に耳を澄ます。罵声、怒声、歓声、悲鳴、どれもこれもたいして良いものではない筈なのに、やけに心に響いた。

「やっぱ変わんねーな先輩方も。皆つえーし、邦枝先輩は相変わらず美しーしな」

眼下で砂ぼこりを上げながら、この炎天下の下何を好き好んで汗だくになるのか。あほらしいと呆れていた筈の男が、懐かしいメンツが拳を振るう姿にとんと見せなかった表情を形作る。それを見ていて改めて、あの頃は特別だったんだと気づいた。
古市の言った通り、本当に東邦神姫の面々はここ、石矢魔に集合した。それだけならまだしも、驚いたのはあの殺六縁起の奴らまで呼んでいた事だ。「やーまさか本当に来てくれるとは思ってなかったんだけどなー。ラッキー」などと平然と言ってのける辺り、本当に肝が据わってるんだか強かなんだか。
高みから悠然と傍観を決め込む姿は、さしずめ盤上の駒を弄るカミサマと言ったところか。俺達がどこまで行っても喧嘩馬鹿なのと同じように、なんだかんだこいつも、根っからの『智将』というやつなのかもしれない。
鼻歌でも歌いそうに青空の下ご満悦に微笑む古市の元に歩み寄り、ちらと地上を一瞥してから暑苦しいスーツに包まれた背中と揺れる銀色に向き直る。

「そんで、古市。そろそろ教えろよ。お前はいったい、何を企んでんだ?」

きゃーっとベル坊の楽しげな声が聞こえてきた。大方、さっき見つけた蝉の抜け殻あたりと戯れているのだろう。図体はでかくなったし一著前に喋る様にもなったが、根幹は面白い位変わっていない。世間一般の親御さん方は、こんな感覚を味わっているのだろうか。
お気楽な奴め、とげんなりしつつ、ゆっくりと振り向く古市を見つめる。先程までの子供の様な表情から一転、そこに浮かぶのは、二倍の速さで流れる風に霧散する雲の様な、儚げにも感じられる笑みだった。

「別に企んでる、って程の事がある訳じゃねーんだけど…」

久しぶりの再会から続いていた強気な態度から一変、古市は困った様に言いよどむ。
儚げな顔とか、お前には似合ってないからやめろ。造形は悪くないのに残念なのがお前のいいところだろーが、と見慣れないその顔に苛立ちを覚えつつ、俺は古市がのんびりと言葉を紡ぐのを辛抱強く待つ。早くしろ、うだうだ言ってねーではっきり言えと急かしたりはしない。大人なのだ、俺は。
大人に、なってしまったのだ。いつの間にか。

「俺さ、もうすぐ事務所の都合でアメリカに発つんだ」
「…は?」

紐の切れた風船のように虚空に舞おうとしていた落ち着きの無い意識が、突拍子も無い話に針を刺される。弾けたように顔を上げれば、古市は何でも無い事の様にぐーと伸びをしながら続けた。

「いつ帰って来れるか分かんないみたいでさー。まあ、向こう治安悪かったりもするし?滅多な事は無いと思うけど、何があるか分からないと思ったら久しぶりに会いたくなってさ」
「なんでそんな事…急に」
「やー忙しくて?なんか言い出すタイミング逃しちゃってさ。気づいたらもう発つまで一か月も無いの。寸前になったらバタバタするだろうし、今の内と思って」

青空をバックに晴れやかに告げる古市に、脳の情報処理が全く追いつかない。アメリカ、飴、理科?あめりか、アメリカ。どこだっけ、チャリで行けるっけ、そこ。徒歩何分?
今までは、どんなに忙しくても、会う機会が無くても、本気を出せば簡単に会いに行けると高を括っていた。押しかければ、古市は呆れて、怒って、でも笑いながら俺を迎え入れてくれる。そう信じて疑わなかった。
でも、今度は違う。俺の脳が麻痺するほど、遥か遠い場所に古市が行ってしまう。手を伸ばしても、足を延ばしても、届かない距離。いつでも繋げてくれる空とは違う、広大に阻む青の向こうに、その当たり前の様に傍にあった銀色は姿を消す。
嫌だと、子供の様に縋りつきたくなった。力ずくで伸して、どうにかなる事だろうかと、一瞬本気で考えた。大人になった、筈なのに。

「な、ら…普通に会えば良かっただろうが。こんな回りくどい事しなくてもよ、馬鹿め、古市馬鹿め」

しかしそんな衝動をねじ伏せ、踏みつぶし、噛み砕く。約束したのだ、折れてしまいそうな程細い小指に、誓ったのだ。自分の浅はかな行動で、古市の合格通知を白紙還元したあの頃とはもう違う。古市には古市の未来があって、それはこんなにも、俺がどんなに縋っても追いつけない程、遠い。
青空を滑る様に飛ぶ紙飛行機の白の様に、追いつけない速度で、古市は歩いていく。縋られていた筈の細い背中は、いとも簡単に俺を置いていく。そして俺は、それを、笑って見送らなくてはいけない。頑張れよと、背中を押してやらなくてはいけない。大人になるってのは、たぶんそういう事なんだ。
掠れる声を絞り出し、俺は乾いた笑みを浮かべ努めて軽口を叩く。この震えに、古市が気付かないといい。こんな事なら、せめてもっと頻繁に、会えるうちに会っておけば良かったと後悔しているなんて、知らないままでいればいい。
胸に揺らめいた感情の名前を、もう俺には付けられそうにない。

「まあ、そうなんだけどよ。あとさ、皆に会いたかったのはほんとだけど、一番はお前に言いたい事があってさ。んで、言うならやっぱ、ここしか無いかなーと思ってな」

あくまで古市は明るく告げる。しかし、何故だろう。その声がほんの少しだけ、震えている気がした。俺と、同じように。
はっとして俯かせていた顔を上げると、古市がほんの少しだけ、泣きそうな顔で笑っていた。弱々のくせに強がりな男の、滅多に見ない情けない顔。不意打ちに動揺して目を泳がせると、古市は大袈裟な程ゆっくりと、一音一音慈しむように口を動かし始めた。

「俺さ、石矢魔卒業して、お前と離れてから、ずっと考えてたことがあるんだ。嘘みたいに順調に流れてく日々の中で、人生ってこんなに簡単なんだって、正直思った。そんで気づいたんだ、俺が今まで散々な目に合ったのは、全部男鹿、お前のせいなんだって」
「…なんだ、文句かよ」
「ちげーって。まあ、あながち違くもないかもだけど…とりあえず最後まで聞け。そんでまあ、思ったわけよ。勉強はそれなりに出来るし、運動神経だって悪い訳じゃない、何よりイケメンで女の子にもモテるし、この上なく充実してるなって」
「…自慢か、死ね」
「ちげーっての。お前は一々口挟むな、馬鹿。だからとにかく…ああもう、最後までしまらねえなあ」

苦笑を浮かべる古市に、ずきりと胸が痛んだ。なんだよ、しめるって、しまんなくていいだろ。だってしまったら、そこで終わりだろ。アホアホの古市が、そんな綺麗に終わらせんなよ。
俺がいない方がお前の人生がうまくいくだなんて、そんなのずっと前から分かってた。ここまで共に在れたのなんて、奇跡みたいなものだろう。だからもう、俺はここでお払い箱か。新天地で、古市は俺を忘れるのか。
今までを思い出にして、これからを描きに、行くのか。
こなけりゃよかったと、今更後悔した。久しぶりの再会に、喧嘩の匂いに浮かれていた自分が馬鹿みたいだ。こんな事なら、せっかくの休みなんだからとクーラーの効いた家の中でベル坊と漫画でも読みながらアイスを齧っていれば良かった。
俺達の間に、しおらしい別れの言葉なんていらないと言ってのけ、まだ終わってないと見えない糸に縋る事すら、古市は許してくれないらしい。

「でもさあ男鹿、なんでだろうなあ。自分でもよく分かんねーけど、思ってたよりも、楽しくないんだよな」

一転した声と言葉に、俺は見えない所で握りしめていた拳を解いた。先程までセミの抜け殻と戯れていたベル坊も、何かを感じたのか心配そうにこちらを窺っている気配がする。
目の前で、まだ手を伸ばせば届く位置にいる古市は、青空を透かしながらフェンスによりかかり、流れる雲を眺めていた。

「ほんと、なんでだろうな。充実してるはずなのに、ちっとも楽しくねーの。そんで、色々考えてたら思い出したんだ、石矢魔の事とか、先輩達の事とか…お前の事とか」

かっと、太陽が一際強く輝いた。まるでスポットライトのように、俺と、楽しげに台詞を諳んじる古市を照らし出す。

「結局さあ、俺の人生、楽しかったなあって思い出す事には、たいていお前が絡んでたんだ。お前に無理やり巻き込まれて危ない目に合ったり、馬鹿な事やくだらない事で騒いだり、めちゃくちゃな思いしたりして、そう言うの全部、すっげー楽しかったなあって。お前と出会ってからずっと、俺の道を照らしてくれてたのはお前だったんだなって、今更気付いてさ…。そんでやっと、分かったんだ」

きらりと笑った古市は、こんなに綺麗だっただろうか。
この世界の、朝日に照らされた薔薇の上の露とか、雨上がりの七色の橋とか、左手の薬指に散らされた輝きとか、そんな綺麗なもの全てをここに集めて、一つにまとめたような。
あまりにも眩しくて、直視する事が酷く難しい。

「好きだよ、男鹿。お前の事が、好き」

流れる雲が、俺達の為に時を止めた気がした。















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