book1

□戦争、始めました
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───さあ、始めよう。これが僕らの、最後の戦争だ。







「よう、男鹿。久しぶり」

それはいつも通り、辟易する程煌々と照りつける太陽の下に舞い降りた、ちょっとした非日常だった。
うざったい光と熱の下、一層うざったい黒いスーツに身を包み、何故か涼しい顔をしている男の姿。
朝、扉を開いてこいつがいない。それが『日常』となったのは、いつからだろう。陽炎の煌めきの中に紛れて、それを思い出せない事すらも忘れていた。
中途半端に日差しを遮る為に翳していた手を所在なく揺らし、突飛な再会に戸惑いながら瞬きばかりを繰り返す。一瞬とうとうこの猛暑のせいで頭が沸騰したために見た幻覚かとも思ったが、鮮明に映る見慣れた呆れ顔が揺らぐことは無い。
呆然としていた俺を我に返したのは、容赦なく腰に体当たりを喰らわせ腕を巻き付けた、小さな身体だった。

「なー男鹿!何してんだよ、早く仕事行かないと親方に怒られるんだろ?」

いつまでも扉を半開きにしたまま微動だにしない俺に焦れたらしい。出会った当初よりも数倍レベルで頭の位置を高くした、緑色の髪の少年、ベル坊がぎゅっと俺の腰にしがみ付きながら急かす。しかしそれでも尚朝っぱらから幽霊を見た様な顔をしている俺に、漸くベル坊も異常事態に気付いたらしい。不思議そうな顔をして、ひょこんと俺の背後から彷徨う視線の先にあるものを視界に入れようと首を伸ばす。
あどけない動作も、縋りつくような力加減も、あの頃と何ら変わりは無い。そして。

「あっ!古市!!」

親譲りなのか何なのか、親友であるそいつを見つけた時の、この反応も。

「おーベル坊!また暫く見ない間に大きくなったなー」
「せーちょーきだもん!というか古市がなかなか遊びに来ないのが悪い!」
「成長期な。ごめんって、俺も色々と忙しくてさ…」

現金なもので、にこりと笑う古市を見つけた瞬間常日頃傍らにいる筈の親代わりはあっさりとお役御免らしい。俺をそっちのけで古市に抱きつくベル坊と、それを満面の笑みで受け止める古市に、置いてけぼりにされた子犬のような、解雇届を突き付けられたサラリーマンのような、複雑な気持ちになる。並列関係に置くには相互間の差異が大きすぎる気もするが、たぶん気のせいだ。
きゃっきゃと楽しそうにじゃれあう銀と緑のコントラストに目を細め、俺はぱたりと未だに握りしめていたドアノブを離し扉を閉める。律儀に鍵をかけて、そしてようやく古市に向き直った。

「…よう」
「お前出てくるの遅いって。いつまでこの俺を待たせるつもりだよ」
「チャイム押せば良かっただろうが、アホ市め」
「うん…まあ、それもそうなんだけど、な」

道路端に屈みこみ、くしゃくしゃとベル坊の髪を掻きまぜる古市が言葉を濁し、曖昧に笑う。微かな違和感を覚えたが、それはすぐにきゃーと楽しそうなベル坊の声にかき消されてしまった。そうなれば、元より右から左がデフォルトな脳みそはすぐに他に思考を流される。

「おいベル坊、くっつき過ぎだ馬鹿」
「なんだよー別にいいだろ!悔しかったら男鹿もくっつけばいいじゃんか」
「暑苦しいんだよ、どうでもいいからさっさと離れやがれ」
「ああ、なんだそっち」
「それ以外に何があるんだ、馬鹿め」
「あーもう、親子喧嘩しない!」

すでにうっすらと額に汗を滲ませているベル坊の服を乱雑に引っ掴み、古市から引き離す。そのままベル坊が言葉を操る様になってから頻繁に行う様になった軽口の応酬を続けていれば、古市が俺とベル坊の間にチョップを入れる様にしてそれを遮った。変らないその反応にほんの少し気を良くしながら、俺とベル坊は口を噤み一時休戦を目と目で告げる。
そして全力のツッコミに息を切らしているらしい古市に、親子共々疑問に思っていた事を尋ねた。

「…それで古市、お前どうしたんだよこんな朝っぱらから。仕事は?」
「これから行くとこ。今日はちょっと遅れるって事務所に連絡入れてきたから問題無し」
「寝る暇もねーくらい忙しいんじゃなかったのかよ?」
「今ちょっと一段落ついてたからな、それとちょっと話したい事があって」
「話したい事?」

石矢魔を卒業したのは、今からもう七年近くも前の事になる。大方の予想通り、古市はとある大学の法学部に進学し、俺は高校在学中に東条の紹介で始めた土木関係のアルバイトのとこの親方に気に入られ、そのままそこに就職した。その後古市はどっかの事務所に入り、今では弁護士の卵として絶賛修行中だそうだ。そのせいで、ここの所はメールすらも滅多に出来ない程多忙だったらしい。
小学校、中学校、高校と、俺と古市はほとんど一緒だった。だから初めは、空いた隣に無意識で声を掛ける事すらもざらだった。その度に肩のベル坊も寂しそうな顔をしていたものだが、いつからだろうか。その事を、一抹の寂しさと共に甘んじて受け入れる様になったのは。
石矢魔を卒業してからだろうか。ベル坊がメインの移動手段を二足歩行に変えた頃だろうか。分からない事が、何故か酷く薄情な事の様に思えた。
浮かんだ苛立ちを照りつける太陽に責任転嫁し、俺はベル坊と共に古市の言葉に首を傾げる。傾けた首の角度まで同じなんだなと、古市が少し目を細め、懐かしそうに笑った。この季節の太陽なんてちっともいいものではないけど、古市の髪が普段よりも数割増しでキラキラと輝いて見えるのだけは、嫌いじゃ無い。
思わず見惚れていると、古市がこくりと頷きああ、と答え、そして笑みの形を変える。

「なあ、男鹿」

その笑みを見て、思わずごくりと生唾を飲み込んだ。隣からも、同じ音が聞こえる。
古市の顔に浮かべられたのは、女どものケツを追いかける時のへらへらした笑みでも、呆れた様な苦笑でも、穏やかで優しげな笑みでも無い。
明らかに何かを企んでいる、智将の笑み。

「久しぶりに喧嘩、したくねーか?」

全くもって容量を得ない言葉なのに、あの頃からの似非テレパシー能力の回線だけは途切れていなかったらしい。頭のどこかで、開戦を告げる銅鑼の音が高らかに鳴り響いたのを、聞いた気がした。








───『こちら、石矢魔陣営』『本日、敵陣営に不穏な動きあれど、今の所異常なし』







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