book1

□梅雨晴れ
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「しっかし、よく降るなー。さすが梅雨」

屋根を透かす様に空を見上げた古市は、相変わらずスラックスが汚れるのを気にした様子も無く、そのまま俺の隣に座り続けた。肩と肩が触れるか触れないかの距離を保ったまま、今度は梅雨ってのは気団がどうの前線がどうのと偉そうに話している。おでんとぜんざいがどうしたと聞き返したら、やっぱり見た目通りの馬鹿かと笑われムカついたので、とりあえず軽く背中を叩いておいた。
ひとしきりぎゃーぎゃー騒ぎ、満足したらしい古市はしばらくすると黙り込み、またぼーっと灰色の空を眺める。雨の音と匂いと感触が包み込み、飽きもせずにそれを享受していると、突然こつんと俺の肩に古市のこめかみが触れた。寝たのかと驚き古市を落とさないようにその顔を覗き込むと、しっかりと開かれた瞳が真っ直ぐ前を見つめている。なんだか気恥ずかしくて、起きてるならどけ、重いと言おうとすると、それを遮る様に古市が問いかけた。

「なあ、男鹿は雨、好き?」

湿った制服が心地いい筈ないのに、古市は微動だにしない。寂れた古本屋の店先で、男子高校生二人がこうして身を寄り添っている姿を想像で鳥瞰してみると、だいぶしょっぱかった。しかし、嫌かと言われると答えに窮するのは何故だろう。別に誰かとベタベタするような付き合いが好きな訳じゃ無い、むしろウザいと思っていた筈なのに。
そして、この雨も。

「あんまり。喧嘩できねーし」
「お前はそればっかりか」
「…でも、最近そうでもないかもな」
「ん?」

歯切れの悪い返答に、古市が軽く頭を動かし俺を見上げる。ごり、と古市の頭蓋骨と俺の肩の骨が当たり鈍い痛みが走ったが、文句を零そうと視線を彷徨わせた瞬間視界に入った柔らかな銀色と長い睫毛にまた言葉に詰まる。なんだこれ、気持ち悪い。訳の分からない感情に苛立ち、それを紛らわす様に小さく笑い…そしてなるべく、軽く聞こえる様に口を開いた。

「雨が降れば、お前に会えるし」

若干、以前恥ずかしい反応を返してしまったお返しだと思って。これで古市が慌てたら何マジな反応してんだよ馬鹿と笑って終わり。冷めた瞳でアホ呼ばわりされたらもう一発殴って終わり。そうあざとく考えながら、舌の先には微かに、本当に微かな熱を載せて。
しかし、当の本人からは何の反応も返ってこない。どうしたのかと思い顔を覗き込もうとするが、それより先に古市は俺から体を離した。遠ざかる熱を一瞬惜しく思った自分を胸の底に押しやり、ごそごそとまた鞄を漁る古市を見つめる。

「おい、ふるい…」

あんな台詞を言わせといたまま放置か、いや、言ったのは俺だけど。もしかして雨の音にかき消されて聞こえていなかったのか。そう思いながら微妙な沈黙にむず痒さが背中をじわじわ侵食する。
仕方なく声を掛けようとして…するといつかのように、顔の真ん前に何かが投げられた。また顔面で受け止めそうになり、慌てて鼻先三センチあたりでそれをキャッチする。またタオルか、と思ったが、予想以上の質量に掴んだ腕が軽く怯んだ。
良く見るとそれは青の折り畳み傘で、脳がその意味を理解するよりも先にすっと古市が立ち上がると、ぽんぽんとスラックスを叩き付着した汚れを落とし、俺を振り返る。いつもは少しばかり見下ろしている筈の頭に見下ろされている事に無意味にムッとして立ち上がろうとしたが、その顔に浮かぶ表情に足に楔を打ち込まれたように動けなくなった。

「頭の怪我、本当に大丈夫か分かんねえから今日はもう帰れ。ちゃんと医者に診て貰えよ」

いつもふにゃふにゃ笑ったり、呆れたり、たまに心配そうな顔をするそいつの、まるで人形のような無表情。告げられる言葉とは裏腹にそこからはどんな感情も読み取ることが出来ず、思わずまじまじと見つめている間に、古市はじゃあなと小さく呟くと、穏やかとは言い難い天候の中に駆け出していった。あ、おい待て!という後追いの言葉は、空いた距離を雨に埋められ消えていく。
雨と光が作りだした幻だったのではないかと不気味な考えが過り、何となく頭に触れた。そこには確かに、自分には不可能な手つきで丁寧に巻かれた包帯がある。その事にほっとした。

「…傘、持ってたのかよ」

ぽつりと呟き、立ち上がる。雨の中開いた傘は、水の粒を拒絶するようにばらばらと耳障りな音を上げた。








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