作品3

□2014☆夏企画
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月明かりに浮かぶモビーディック号
イゾウさんと私

舞台装置も演者も同じだけれど、設定もシナリオも全然違う。



「これ、イゾウさんのご注文ですか?」
「あァ。わざわざご苦労さん。早かったじゃねェか」

逆光で表情は見えなくとも、その姿も声も間違い無くいつもの、今のイゾウさんだ。

「あ、はい。マスターにもサッチさんにも、何だかせっつくみたいに送り出されて…」
「サッチが?余計な事ばかり敏感に察しやがるなアイツは…」

ぶつぶつとボヤきながらタラップを降りて来たイゾウさんは、再び「ご苦労さん」と言いながら私の手から荷物を取った。
ふわっと軽くなった両腕とは反し、心がじわじわと重くなって行くのが分かる。

「じゃあ私はこれで…」

これで配達は完了だ。
私は店に戻り、イゾウさん達は明日出港する。
さっき言えたか分からないお礼とお別れをちゃんと伝えれば、夢みたいだった再会の時間も本当に終わってしまうんだ…

「今日まであり……」
「まァ待ちな。一人で飲むのは味気ねェ。ナツコが付き合ってくれねェか?」
「え?イゾウさんお仕事が有るんじゃ…」
「仕事じゃねェが…まァ俺がする事なんざ無いに越した事はねェんだ」
「でも私お店が…」
「ナツコを借りる事含めて、マスターに話をつけて有る」
「…は?」

あのマスターを言いくるめるなんて、お酒一本に一体幾ら払ったのか…
通りで、一人で店をやれるなんて言い出す訳だ。

「行くぞ」
「え?ちょ…っ」

有無を言わさぬ勢いで私の腕を掴むと、ずんずんとイゾウさんは歩き出した。
初めて足を踏み入れたモビーディック号の、何処まで続くか分からない広い甲板を進む。
そこには当然沢山の人が居て、昼間一緒に街を歩いた時とは比べ物にならない程、強烈で遠慮の無い好奇の視線が向けられてる気がするけれど、引かれた腕が気になってそれどころではない。
幾つか角を曲がって扉の前で止まり、漸くイゾウさんは腕を離してくれた。
今ここから戻れと言われても、絶対に一人じゃ戻れない…

「俺の部屋で悪ィが…取って食ったりしねェから安心しな」
「え、あの…」

何やら聞き捨てならない事をさらっと言いながら、イゾウさんの開いた扉の先は。

「うわ、すごい…本物だ…」

そこにはイゾウさんと出逢った後に本で見たオリエンタルな部屋がそのまま現実に在って、警戒とか動揺とかそんな事は全て忘れて、吸い込まれる様に足を踏み入れてしまう。

「ナツコはこっちの文化に造詣が有るみてェだな」
「あ、はい。昔少し…そちらの人と接する機会が有って、それで」

思い切って、本当に思い切ってそれだけ口にしてみた。
貴方と出逢ったからです、と喉元まで出掛った言葉は飲み込んで。

「へェ…」

「何が有ったんだ」と聞いて貰えたら言えるかもしれない。そんな自分勝手な期待は当然の様に素通りされて、部屋の隅に設えられた座卓に荷物を置いたイゾウさんは、しっかりと梱包されていた包みをがさがさと解き始めた。

「この酒といい…」

包みから出て来たのは、イゾウさんの為にと昼間仕入れた日本酒。
もう飲んで貰う事は出来ないと思っていたのだけれど…

「俺の為に仕入れてくれたモンは、きっちり片付けて行かねェとな」

ツキン、と心に真っ直ぐ針が落ちた。
イゾウさんの為に仕入れた事を見透かされていた照れ臭さ以上に「片付けて行く」と云う言葉が、残された時間の短さを一段と現実のものにする。

私の心の内なんて当然知る筈の無いイゾウさんが出してくれた酒器にお酒を入れ、言葉通りに二つ出された、綺麗な細工の施された小さな色グラスに注いで一つを供した。
慣れた日常の行動がまた、少しだけ心を落ち着かせてくれる。

「本当に明日の朝…出るんですね」
「あァ」
「次はまた…10年後ですか?」
「さァ…こればっかりは風次第だからな。何とも言えねェよ」

くいっとグラスを呷ったイゾウさんを見れば、その目はずっと遠くを見ている様に思えた。
私の見た事の無い、これからも見る事の無い、ずっとずっと遠くを。

「10年は長い、です…」

その歳月は、子供だった私を大人にした。
次にまた同じだけの時間が流れたら、それが私をどう変えるのか、世界がどう変わるのか。
想像すら出来ない。

「女の10年と男の10年は違うからな。お前さんは、綺麗になったな」
「え……」

な、にを…言って……
その口ぶりはまるで、私の事を憶えていたかのような…

「何て顔してんだ。俺が憶えてねェと思ってたか?」
「だって、そんな素振りは一つも…」

無かった…
無かったと思う。

喧しく暴れ出した鼓動が呼吸の邪魔をして、上手く息が吸えない。

「そこはお互い様だろう?」
「私が忘れてるとか…思わなかったんですか…?」

私だってそんな事はおくびにも出さず、この数日間お客さんとして接する様に努めてきたつもりだ。

「思わねェよ。事実、忘れてなかったじゃねェか」

器用に片方の口端だけを上げてニヤリと笑ったイゾウさんは、その意地悪な表情とは裏腹な優しい手付きで私の頭をぽすんとひと撫でしてくれた。
不思議な事にそれだけでするすると気持ちが落ち着き、私は漸く自分のグラスに口を付けた。

「イゾウさんは変わらないです」
「そうか?」
「狡いです。私はこんなに歳を取ったのに…」
「イイじゃねェか。もう一回言ってやろうか?」
「え?何を…ってあ、いいです分かりました、言わないで下さい!」

改めてさっきの言葉を思い出したら、急に恥ずかしくなって耳を塞ぐ。
どうしよう、とんでもない事を言われてたんだ…私…

「酔って…る筈無いですね、この程度で」

お茶の代わりにお酒を飲むような人だ。
そうで無くともこの数日、平然と沢山のお酒を飲むイゾウさんを私は見て来た。
恨めし気に見ればクツリと笑って肯定したイゾウさんのグラスにお酒を注ぐと、そのまま一気に呷ってイゾウさんは口を開いた。

「あの夜の事は、ほんの一瞬の邂逅なのに忘れる事は無かった。次の寄港がこの島だと聞いた時には、会える保証なんてねェのに柄にも無く気持ちが逸って笑っちまったよ。あの店を選んだのは偶然だが、入った瞬間あの時の女だと分かった。それでも憶えてねェならそれまでかと思っていたが…出された酒でそれは杞憂だと確信したよ。そしてぼんやりと曖昧だった感情に、この数日で色と答えが付いた」
「ちょ…ちょっと待って下さい」

次から次へと繰り出される言葉で頭の中が大渋滞を起こして、感情に思考が追いつかない。
とりあえず間が欲しくて、私もイゾウさんに倣って残りのお酒を一気に呷る。

「つまり、だから…ダメだ、頭の中がごちゃごちゃになって…」
「あれからずっと気に掛かっていた。そして会って本気でナツコに惚れた、って言ってんだ」
「……っは…?」

色気もムードも有ったもんじゃない。
でもそんな事に気を配る余裕なんて、私に有る筈がなかった。

向けられた言葉を、その意味を
頭の中で理解して心に届ける事で精一杯で…

ぽすんとか、ぷすぷすとか、とにかく私からは何かの音がしてたと思う。
じわじわ醒ましながらじっくり時間をかけて漸く理解した私は、この気持ちをどうやって伝えたら良いのか分からなくなっていた。

嬉しさと、それ以上の寂しさが溢れてしまっていたから。

「次の10年、も…待ってていいですか?」
「次もまた10年とは限らねェよ。長いか短いか、それこそ風次第だ」

そうだ、イゾウさんは海賊で。
白ひげ海賊団の皆さんは明るくて楽しいから忘れていたけれど、世間では嫌われてたり危険だったり、海軍にだって追われるだろうし…そういう意味でも、次と云う言葉は脆くて儚い約束になるんだ…

「いつ戻るかも知れねェ日をまた待つか?それとも…一緒に来るか?」
「一緒…に?」

そんな事は考えもしなかった。
また逢えたら―――
その願いが叶えられた事で、その先なんて無いに等しかったから。

「海賊になれって勧めてる訳じゃねェが…この船にはナースやコック、いろんな奴が居る。時間はねェが…考えてみるか?」

無理にでも、と言わない事に、イゾウさんの本気と優しさを感じた。
私が嫌だと言うのなら、その時は「じゃあ待ってろ」と言ってくれるのだろう。

「…イゾウさんは、お仕事が有るから今日は船に居るんですよね?」
「あァ、それがどうかしたか?」

イゾウさんの真似をしてニイっと笑って、空になっていた二つのグラスにお酒を注ぐ。

「私…この部屋までの道順覚えてないから、一人で船を降りれません」

僅かに目を見開いたイゾウさんが、心底可笑しそうに笑いながら差し出して来たグラスに自分のグラスを併せる。
上質なグラスの、澄んだ綺麗な音が部屋に響き、刻まれた細工が仄明るい照明を受けてキラキラと輝いた。

fin.
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