作品3

□2014☆夏企画
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リクエスト内容
〔甘甘で「お前ェさんが泣くのは俺の側だけにしろ」と言われたい〕





海に出て良かったと思う事の一つに、無粋な人工の光が届かない星空をこうしてゆっくりと眺められる事が有る。

特に冬島海域に入ったばかりの少し冷えた空気はとても澄み渡っていて、遠くで瞬く星々の輝きを、より一層濃くして届けてくれる。

後部デッキの片隅、夜間には滅多に人の来ないこの場所が、見張り台に次いでわたしのお気に入りの天体観測ポイントだった。

贅沢な時間だ、と思う。
海賊なんて殺伐とした肩書を持つわたしが言うのは可笑しいけれど、こういう安らぎの時間と云うのは、本当に大切だと思う。



天体の本を片手に、新月の夜空を何も考えずただ眺め続けて、どのくらいの時間が経ったのだろう。
近付く人の気配に、意識を船上に戻される。

(誰だろ…こんな時間に…)

とは云えここはモビーだ。
誰であれ家族なので、特に警戒するで無くそのまま眺め続けて居たら、どかりと隣に腰を下ろされて聞こえた声に背筋が伸びる。

「そんなに真剣に…何見てんだ?」
「何も…ただ、星を見てるだけですよ?」

声の主はイゾウさんで、でも見慣れないその姿に、手にしていた本を抱え直す。

「イゾウさんこそ、珍しいですね。浴衣でこんな所に」

お風呂上がりなのだろう、洗いざらしの髪に浴衣姿のイゾウさんからは、ほんのりと良い香りがする。
イゾウさんがその姿で船内を歩き回る事は滅多に無い。わたしも数回しか見た事が無く、目のやり場に困って再び夜空に視線を戻す。

「あァ、普段なら出ねェが…ナツコが見えたからな」

その返答はわたしの想定の斜め上過ぎて、返す言葉が見つからない。
時間を追うにつれ冬を濃くする大気にじわじわと冷やされていた身体は一瞬で熱くなり、星の瞬きより速く鼓動が鳴り響く。

「イ、ゾウさん…湯冷めしますよ?」
「これっぽっちで寝込む程、俺は柔じゃねェよ。却って気持ちいい位だ」

クツリと笑いながらそう言われてしまえば、もう何も言えなくて。
はらりと落ちた髪を掻き上げ空を見上げるイゾウさんの見慣れない仕草と横顔に、益々熱くなる頬を冷やすように風が頬を撫でる。


贅沢な時間なんてものじゃない。
何物にも変え難いこの時間が、どうかもっと長く続きますようにと、時折流れる星に願う。


「子供の頃に…毎晩空を見て星を覚えたんです」

煙管を取り出すイゾウさんの手元に視線を落としながら、独り言の様に呟く。

「大人になって海に出て、その頃には見えなかった星を沢山知って…」

そっと伸ばされた手に本を取られ、その拍子に触れたまだ少し温かい指先に、三たびどきりとする。

「ナツコは、北の方だったな」
「です。イゾウさんも、見てました?」
「いや、俺は記憶にねェな。ガキの頃は稽古事に追われて、夜は疲れて寝ちまってたからな」
「うわ、大変だ…」

初めて聞くイゾウさんの子供の頃の話に、好奇心が掻き立てられた。
その所為か急に子供の気分を思い出して、あれは何座、あっちが何座で向こうにあるのが星雲で…と、夜空を指しながらつい夢中になって次々と説明する。

「今日は北の空だから、それを見なくても分かります。不思議ですよね、もうかなり昔の事なのに、ちゃんと覚えてるなんて」
「あァ、確かに。ガキの頃に覚えた事は忘れねェよな」

何故か若干苦々しくそう言ったイゾウさんの顔に思わずクスクスと笑いながら、パラパラと頁を手繰り始めたその横顔を見詰める。

「懐かしいな。兄といつも一緒に見て……」

不意にそれを口にしたのはきっと、イゾウさんの浴衣の色が、兄がよく着ていた浴衣の色と似ていたから。
ピタリと止まったイゾウさんの手にハッとなれば、目元が僅かに滲んでいた事に気付く。
ゆっくりとわたしに視線を移したイゾウさんと、いつの間にか正面から向き合っていて動けない。

「そんな顔すんな」

パタンと本を閉じながらそう言ったイゾウさんは、本を横に置くと固まったままのわたしを引き寄せた。

「いい思い出じゃねェか。ナツコは幸せに育ったんだな」

そっと頭を抱えられて抱き込まれ、押し付けられた胸元は温かく、ふわりと石鹸の香りがした。
体温も匂いも、普段とは違うイゾウさんに、わたしの気持ちもいつもより少しだけ柔らかくなる。

「は、い…。でも、今は多分、それ以上に幸せです」

色々な意味を込めたその言葉が正しくイゾウさんに伝わりますようにと、袂に触れていた指先に少しだけ力を込める。

「そうだな…それならせめて、ナツコが泣くのは俺の前だけにしろよ?」

瞬きをしたら一粒だけ零れてしまった滴をそっと指先で掬ってくれたイゾウさんの肩越しに夜空を見上げると、また一つ、キラリと星が流れて消えた。


fin.
※ヒロイン過去話→胸に降る雨、胸に咲く花
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