作品3

□2014☆夏企画
12ページ/26ページ






「…ナツコ?」
「あ…」



あまりにも集中し過ぎて、
足元の空き瓶に気付かなかったなんて。
物音に、イゾウはピタリと舞を止め、
私の名前を小さく呼んだ。

たったこれだけで、
彼に名前を呼ばれるだけで
私の体は歓喜に打ち震えると言うのに。
彼の中に私はいない。なんて滑稽。



「覗きたぁ、イイ趣味してやがる」
「そんなつもりじゃなかったんだけどね」


実際、声を掛けようとしたのだけど、イゾウの舞に見惚れてしまって言葉なんて喉の奥で消え去った。結果的には覗き見になっていたのには間違いないんだ。


「…あの人を想って舞っていたの?」
「いきなりどうした」
「だって…、」



『あれ、保名でしょう?』
そう告げれば
僅かに見開かれるイゾウの目。


「なんでぇ…ナツコ。知ってンのかい」
「ワノ国に行った時にね、舞踊の虜になったの」
「ヘェ…だからか」
「うん、すぐわかった」


動きを止めたイゾウに近寄って
向き合う様に船縁へと腰掛ける。
いつもはしないような行動に、またもイゾウの目がピクリと動いた。こんな些細な彼の表情の変化に気づくのも、愛してしまったが故なのかも知れない。

紫煙を燻らせながら、
ポツリポツリとイゾウが呟く。



「…忘れようったって、忘れられるモンじゃあねぇよ」
「…うん、」
「こうしてコレを舞ってる事でアイツの弔いになりゃぁいいと思ってるんだがよ」
「うん」
「舞えば舞うほど、アイツが鮮明に蘇る」


キュッと胸元を掴むイゾウは
まるで泣いてるみたいだった。


「ね、イゾウ…」
「あん?」
「貴方の心は…あの人で一杯なの…?」
「…アイツの最期が焼き付いて離れねぇんだよ」
「どうしたら貴方は私を見てくれる?」


私を見ているようで、イゾウの目は私を捉えていない事はとうにわかっている。私を通してあの人の幻を追っているんだ。

今にも零れそうな涙を堪えて
必死にイゾウに言葉を投げかける。

どうすれば私を見てくれる?
どうすれば私を捉えてくれる?
どうすればあの人の幻から解き放たれるの?

一気に捲し立てるように言葉を紡ぐ私に、少しばかり面食らったようなイゾウは、薄く…本当に薄くだけど、口角を吊り上げたように見えた。
そのまま、私の首筋を指でツゥと辿る。



「…っ、」
「そうさねぇ…お前さんが、ココから飛び降りようモンなら一生焼き付いて離れねぇだろうよ」



イゾウは、意地悪だ。
その証拠に彼の目は『どうせ出来ねぇ癖に』と語っているし、そもそも彼は私が泳げない事も知っている。泳げない私が、高さを誇るこのモビーの船縁から落ちたならどうなるか。

わからないほど私は馬鹿ではないし、
イゾウだって同じな筈だ。

それでもイゾウはそれを囁く。

おれの心に残りたいんだろう、
強く刻まれたいんだろう、
それならば、さあ飛んでみろ
ナツコと言う女の生き様を、
一世一代の舞を見せてみろ。

彼の目が、囁くんだ。



「…出来ないと、思ってるんでしょう」
「そんな事ァ、ねぇさ」
「嘘。そんな意気地もない癖にって思ってる」
「なァ…あまり困らせてくれるなよ」



然程困ったようにも見えないけど。

そんな意地悪を言うのなら、
それで本当に刻まれるなら、
いっそのこと、
その指に力を込めてくれないだろうか。

ほら、ちょっぴり力を込めるだけで
不安定な私の体は宙に投げ出されるのに。



「…私、そんなに臆病じゃないんだよ」
「…っ、おい!」



ニッコリと、
私の顔が焼き付く様に。

一世一代の舞じゃあないけれど、一世一代の笑顔を見せて、縁を掴んでいた手を離し少しばかり後方へ体重を乗せれば。たったそれだけで私の体はグラりと傾く。


その瞬間、私は確かに見たんだ。
イゾウの顔が驚愕に染まるのを。

ポーカーフェイス敗れたり、かな、なんて。

まるで時の流れに逆らっているみたいに、ゆったりとした動きのまま落ちていく私の思考はこんな時でもやっぱりイゾウの事しか考えられなかった。

けれど、一拍も置かない内に、
私の体は力強い腕によって
落下を止めて引き戻される。



「馬鹿野郎…!何してやがるんだ!!」
「…っ貴方が、飛んでみろって、言ったのよ」
「だからって…!」



本当に飛ぶ奴があるか、と。
私を引き上げた勢いで尻餅をついたまま、私を腕に閉じ込めたままの状態で荒々しく声を上げる。
こんな時だと言うのに、
初めて聞くイゾウの怒号に心臓が暴れ出す。

どうにか顔を見上げれば、
見た事もないようなイゾウの顔。

決して怒りに染まるでもなく、
ただただ苦しそうに、哀しそうに。
今までみたいな、何処かとかなんとなくとかじゃなく、本当に辛そうに歪められた表情に、私の心臓も思考も限界を迎える。

 

「…そんな顔…させたかったわけじゃないの……」



ごめんなさい、そう告げれば苦々しく眉間に皺を寄せるイゾウは消え入りそうな声で言葉を紡ぐ。



「お前さんはいつもそうさ…」
「イ、ゾウ…?」
「どんだけおれが線を引いたところで、そんなのお構いなしってくれぇに土足で入り込んで来やがる」
「…ごめ、」
「何時しか、それを待ち侘びているおれもいるがな…」



なァ、ナツコ。



優しく、優しく。
イゾウが私の名前を呼ぶ。



「おれの中のアイツが、消える事はねぇだろう。けれど、おれの中にお前さんもいるってのじゃ、やっぱりダメかい?」
「ダメなわけ…ないでしょ」



何年イゾウを想って来たと思ってるの?
あの人を忘れて欲しいなんて思わない。
そんな簡単に忘れてしまえるくらいなら、
私だって躍起にならないし、イゾウだって毎夜舞わなくたっていい筈なのだから。

だから。

貴方の心の、ほんの片隅で構わない。
私という存在を焼き付けて下さい。




「お前さんって女は…」
「ねぇ、それじゃ、ダメかな…?」
「…もう、わかってんだろう?」



そう言ったイゾウは
小さく笑って私の頬を支えると
瞼に触れるだけの
優しい優しいキスをした。

この時のイゾウの表情は、
触れた唇と同じくらいに
とてもとても、柔らかかった。




[月夜に溶けゆる凍てつく心]
次へ
前へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ