作品3
□2014☆夏企画
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それから連日、イゾウさんはお店に来てくれた。
「またな。ナツコ」
「は…い、あ、ありがとうございました!」
二日目の帰り際、教えた覚えは無いのに名前を呼ばれ固まった。
翌日尋ねたら「聞いて無かったか?」なんて惚けられ、あわあわとみっともない位に狼狽えてしまったけれど、それをきっかけに自然な会話が出来る様になった。
お酒はずっと、あの東洋のお酒。日本酒と言うのだと教えてくれたのは、勿論イゾウさん。
イゾウさんが隊長さんだという事も教えて貰った。サッチさんと、帽子のお兄さんも。
隊長さん達が贔屓にしてくれるお蔭でマスターの機嫌が良く、財布の紐が緩いのをこれ幸いと、今日も追加の日本酒を仕入れに行く。
明日出港だと云うのに島の熱気は増す一方で、子供たちの間では“白ひげごっこ”が流行り始めたらしい。
モビーディック号の姿を見れば、そんな気持ちになるのもよく分かる。
私も似たようなモノだったから。
初めて浜辺で会ったあの日以降、私はイゾウさんの事を少しでも知りたいと、色々と調べていた。
見慣れない服装は、キモノという民族服だと知った。あの時弄んでいた物はキセルという、パイプと同じ様な喫煙具だと知った。
そしてその地域独特のお酒が有る事も知った。
最初はきっと、物語の主人公が王子様に憧れる様な気持ち。
成人しても揺るがない事に気付いた時、遂にそれを恋だと認め、年月がその想いを強固にした。
強固で無く頑固なんじゃないか、とか
思い出が美化されてるだけなんじゃないか、とか。
不安も有った。
けれど、再び会って確信した。
憧れなんかでは無く、本当に私はこの人が好きだ。
あの瞬間から、ずっと。
例え私の事を覚えていなくても、これが初めての出会いだと思えば、始まりは上々だ。
「何処行こうとしてんだ?」
「へ…っあ?イゾウさん!?」
脳内に居たはずの人に現実から呼ばれ、世界の境界線が一瞬、曖昧になる。
お蔭でまた間抜けな声を出してしまう…恥ずかしいな、もう。
「何処って、お店に帰るんですけど…あれ?」
曲がるべき角をいくつも華麗にスルーし、ここは既に街外れ。
クツリと喉で笑われるも反論の余地は無く、平静を装って踵を返すと、何故かイゾウさんも付いて来た。
「貸しな、持ってやる」
「ダメです、お客さんにそんな…!」
「ここは店じゃねェだろ?早く寄越しな」
有無を言わせぬその言い方に負けたのが半分。
気遣ってくれた事が嬉しくて、素直に甘えたかったのがもう半分。
「はい…じゃあよろしくお願いします」
荷物を預け、来た道をイゾウさんと戻る道すがら、擦れ違う隊員さん達の好奇の視線が刺さる。
そんなんじゃないです、偶然会ったんです、仕事中なんです。
心の中で言い訳しつつ、漸く帰り着いた店。
わざと勢い良く扉を開けた音に隠して、はぁぁ…と大きく溜息を吐いてしまった。
「あれ…マスター居ないや。荷物、ありがとうございました。ここどうぞ」
スツールを一つ引き、イゾウさんから荷物を受け取るとカウンターの中へと入る。
「何か飲まれますか?って言ってもお茶…な筈は無いですよね」
「よく分かってるじゃねェか」
口元だけで笑いキセルを取り出したイゾウさんに灰皿を出し、ピカピカに磨いておいたいつものグラスにお酒を注ぐ。
「これは運んで貰ったお礼です。マスターには内緒にして下さいね」
精一杯の笑顔と共にグラスを供した時、僅かに指先が触れ、どきりと大きく心臓が揺れた。
平静を装って営業用の笑顔を保ちつつ、開店準備をする事で自分の気持ちから気を逸らす。
「明日出港…ですよね?追加を仕入れたので、夜もお待ちしてますね」
「悪ィ、言って無かったな。今夜は船番で来れねェんだ。最後の晩だってのに、ツイてねェ」
「え…?そう、なんですか?」
「あァ。他の奴らはまた来るだろうが…何度来てもいい店だ、ここは」
「ありがとう…ございます」
いい店だ――嬉しい筈の、何度目かのその台詞が染み入る余地は、心の何処にも無かった。
それから少しの間言葉を交わしたけれど、何を話したのかよく思い出せなかった。
船に戻るイゾウさんを、ちゃんと笑って送れてただろうか?
心にぽっかり穴が空いて、頭も身体も上手く回らない。
「ナツコちゃん、こっちにも頼むー」
「はーい!少々お待ちください!」
それでも身体は動く。
島から島へ、それがイゾウさん達海賊で、ここでこうして働くのが、私の日常だ。
今日までも、明日からも。
「…おい、ナツコ!」
「あ、はい?」
「ちぃと配達に行ってくんねぇか?」
「こんな時に?でもお店は…」
「心配要らねぇ。そこの包み持って、白ひげの本船までひとっ走り行って来い!」
「船…まで?」
船には、イゾウさんが居る…
惚けて居れば、バシッと背中を叩かれ我に返る。
慌ててエプロンを外し包みを抱えると「ナツコちゃんいってらっしゃーい!」とか何とか聞こえたサッチさんの能天気な声を遮る様に、後ろ手で扉を閉めた。
寄港した時にはまだ少し欠けていた月は満ちていて、出港を控えたモビーディック号を美しく照らしていた。
あの日浜辺から見た景色みたいだ。
そう思いながら、僅かな期待と重い心と足を引きずって港へ向かうと
「イゾウ…さん?」
港と船を繋ぐタラップにもたれ佇む人物の、逆光に浮かぶそのシルエットは、確かにイゾウさんのモノだった。