AO-EX

□舞い散る金は祝福の蝶
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 奥村雪男の表向きというか、本来の身分は学生なので、テストが近い今週は仕事は少し減らしてもらった。
 
 なので最近の僕にしては早い時間に寮へ戻って来れた。
 それなのに何だか体の力が抜けたようで少し怠い。せっかく勉強の為の時間が取れたというのに。

 自室のドアを開けたとたん、ふわっと良い香りが鼻に届いて少し驚いた。
けれども、これはどこかで嗅いだことのある、花の匂いだ。
 何だろうと室内を見渡せば、それはすぐに自分の机の上に見付かった。
 金色の細かい花が一塊になってついた一枝が、コップに差して置いてある。
 ええと、これの名前はなんだっけ。
 う〜ん?と記憶を探ろうとしてふと兄の事を思い出した。 忘れていた。
机にもベッドにも彼の姿はなかった。言い訳ではないけどそもそも最初から気配が無かったのだ。
 ただ、机には教科書があり、机の上に書き置きらしきものはあった。
 「おかえり」という兄さんの字。そしてなぜか次からの字がぐしゃと塗り潰されていた。
「なにこれ…?」
 にわかに不安になってノートを覗き込んだ。兄は何を書こうとしたのか。すると横から、
「にゃん」
 お留守番ですと言いたげなクロがおすわりして見上げていた。
「クロ、いたんだね。気が付かなくてごめん。兄さんはどこにいるの?(なにかあった?)」
「にゃーあぁ」
 良いお返事(ねこ語だけど)してくれたクロは椅子から下りてトコトコ歩き出した。
 時折振り返っているのでちゃんとついてこいと言っているのだろう。


 寮を出てしばらくすると、じれったくなったのかピョコピョコ跳ねるような動きでどんどん先へ行ってしまう。
 ただ、クロに慌てたり必死な様子はないので、兄さんはただ出掛けているだけなのだろうか。

 クロが途中で塀垣に登ってしまったので僕は困った。
(おいおい、猫専用の道は勘弁してくれ。)
 足を速めてついていくと、どうやらクロは人間用の階段が嫌だったらしい。
 僕は猫まねをする必要はなかったが、スーパーへの道ではなさそうだ。


 長い階段を降り、公園につながる遊歩道へでた。
どこかノスタルジックな銀杏並木。
 普段何気なく通るそこに、僕は心当たりを思い出した。

 あまり視力のよくない僕が判別できる距離ではないのに、
 それでも視線が吸い寄せられるように、樹の元にいる姿を見付けてしまう。

「何をやってるんだ、あのひとは…」

 風が吹いて、ざあと葉が舞って、

 まるでこちらの呟きが聞こえたように、
 樹の元に立つひとは笑ってお一いと手を振った。

 世界はきらきら黄金に。

 立ち並ぶ銀杏の大きな樹は、扇状の金色の葉をいっぱいにつけて、宝石のように枝から実を揺らしている。
 さながら秋の王様のように、景色を染めあげていた。
 くすっ、と知らずに笑みがもれる。魔王のご落胤とやらは今、せっせとのんきに銀杏拾いなんかしている。
 左手のコンビニの袋はけっこう中身が詰まっているようだ。
 茶碗蒸し、かな。
 兄さんの得意料理の中でも、卵を使うそれは定番のものだ。
 男所帯だからなにしろ質より量、腹にたまるもの優先なメニューではあったが、口当たりの良いそれも割と人気だった。
 中でも自分は、寝込んだときお粥やうどんの次に出てくるメニューでよく覚えている。


 このひとは15年間自分の兄で、これからもずっとそれを止める気はないのだろう。
 いま何故だかそんなことを思った。

 光に燦めき、一面に舞いおちる金の葉は、降りそそぐ祝福のよう。

 悪魔の血を持つ僕らに、神とやらの福音はない。
 異界より来て漂う異形の者どもの姿も、
 人々の、怖れも蔑みも冷たさもとうに知ったけれど、

 それでも兄が見る世界はまだ美しい。

 一時の安堵かも知れないけれど。僕らはまだ、二人で生きて行ける。


「迎えに来てくれたのか」
 最近では珍しく、急いでいるふうもなく歩いて来た雪男はこの黄色の種が好物だったはずだ。
「兄さんが中途半端な書き置き残すから。…クロがちゃんと案内してくれたよ」
 燐は収穫に満足してほくほくと足元の鞄とコンビニ袋を持ち上げた。
 果肉の臭いが難物なそれだが、ビニール手袋で剥けば土に埋めずとも食べられる。
「まず茶碗蒸しな。煮物にも入れてやるけど、そのままレンジでチンしておやつもいいよな」
 クロも足元に擦り寄って来た。
《りんはどこ?っていうから、ゆきお、つれてきたぞ》
 よしよしと頭を撫でてやれば、《でもここ、くさい!》と、どこかに行ってしまった。

 「どうせならもうちょっと早く来てくれればあと一袋は拾えたのに」
 つるべ落しの秋の太陽は、もうすぐ建物の向こうになって明るさを失おうとしている。寮に着く頃には空は群青色に近くなっているだろう。
「欲張るのは良くないよ、兄さん。ていうか臭いし…道に落ちてるの拾いたくない」
「……」
 なんだか雪男が甘えた口調になっている。
 すごく珍しいけど、たまに弟はこんなふうな口調になる。
 普段の丁寧な優等生っぽい喋り方。苛々してツンツンした喋り方。そのどちらでもなく。

 …これ本人判ってるんだろうか。

「早く帰ろ。…もう…あんまり勝手に出歩かないでよ…兄さんほんとは一人で行動しちゃ駄目なんだからね」
 言葉の上面は小言で、顔なんかぶすーっとしてるんだけど。なんだか妙にくすぐったい喋り方だ。

 そんなふうに並んで歩き出すと、小さい頃みたいに、手を繋ぎたくなった。恥ずかしいし、そもそも今は絶対無理だけども。
 でも、ふと横をみたら雪男と目が合った。
(…ふははっ実は同じ事を考えていたりして?)


 寮につくと台所ですぐに作業にかかった。
 臭いから外でやりたいが、外には明かりがないので仕方が無い。
「あれ?兄さん、エプロンの紐、捻れて引っ掛かってる。」
「あ、さんきゅ」
 道理で首元がきついと思った。
「待って。結んであげる」
 雪男が後ろでエプロンの紐を結び始めた。キュッと結ばれた感覚がしたので離れようとするとまた引っ張られて解かれる。
 悪戯かと思ったら「動かないでっ!」と言われた。
 どうやら思うような形に結べなかったらしい。
 「???」弟は背後で首を傾げている。
 たぶん縦結びになったんだろう。紐に対して縦、横の向きにリボンを作るにはコツがあるのだが、自分は手先の感覚なので説明はしにくい。
 最初に絡める紐の向きが違うんだよ、とだけ言ってみた。
 意味はお前の優秀な頭で理解してくれ。
「むぅ…」
 雪男は意地になったらしい。人にまかせたまま立ちっぱなしは結構疲れるんだけど。
「雪男くーん。兄ちゃん動けない」
 自分でやったほうが早いとは絶対言ってはいけないのだ。せっかく雪男の機嫌が良い?のだし。
「もうちょっと」

 ようやくきれいなリボンにした雪男が満足そうに息をついた。
 で、続いた言葉が、
「兄さん臭い」
「銀杏が、って言えよ!つーか離れろ」
 ところが雪男はぽふっ、と肩に顎を乗せてきた。
「寒い。夜はもう冷えるね〜」
 そういうわりに雪男の手や身体はほわりと温かい。なにこれ。まずいなぁ。かわいいじゃないか。

 やっぱり、甘えてるときって自覚あるのか、よくわかんね一なぁ。
 なんかすごく抱き返してやりたいけど、兄ちゃんの手は今ふさがってるんだよ。
「もうちょっと待ってろって。茶碗蒸し、食いたいだろ」
 返事の代わりにかぷっと首筋に噛み付かれた。次いで耳の先にも。
 ビクッと身体が震えた。首より耳のほうが慣れなくて感じる。
 まずい。これはまずい流れなので一旦、左手の手袋を脱ぎ、背中をぽんぽんしてやる。
「んじゃー兄ちゃんにちゅーしなさい!」
 雪男は素直に目を閉じて顔を寄せて来た。しかし、眉間にシワを寄せて
「やっぱり臭い」
 と、むくれて言った。
「あ〜、ごめん。だから後で、な?」
 燐とて珍しく弟ムードな雪男を構ってやりたい気持ちなので、自然と燐の尻尾が動いて雪男の太腿の辺りにやんわりと絡み付く。
 それを見た雪男は渋々頷いた。
 この尻尾の動きはよっぽど、愛情を示したい時にする珍しい動作なのだ。
 普通に親愛を表す時は高く上げたり振ったり、もっと元気な動きをするから。
 しかし、尻尾はそうして雪男に触れているのにまた燐は前を向いてしまった。
 燐の瞳がこっちを向いていないのはさみしい。
 さりとてこの匂いの元凶である銀杏には絶対触りたくないので雪男は手伝おうとは思えないのだけど。
「雪男、卵とお皿出してくれるか?」
 どうやら甘えモードも本気らしく離れる気配のない弟に、燐は振り向いて笑い掛けた。
 今日はもう必要な分だけで銀杏剥きを切り上げて、夕食を作ることにする。
「座っててもいいぞ。すぐ出来るから」
 よし、煮物はやめて焼き魚にしよう。
 急遽変更したメニューなので冷凍品だけれども。

 臭い銀杏はとりあえず袋をキッチリ縛って玄関の外に放り出して、急いで魚をレンジに突っ込む。
 茶碗蒸しの型に具を入れて、昨日潰しておいたポテトでサラダを作って、
 解凍した魚を焼き始めると、回る換気扇から漂い始めた匂いにさっそく、クロが帰ってきた。
『りん、きょうはさかなか?』
 尻尾を高く上げてうれしげだ。
「おう。もうちょっと待ってな!」
 クロは雪男がもう席に着いているのがちょっと珍しいなと思った。
 いつもは燐が呼ぶまで降りてこないのに。

《ゆきお。きょうはいそがしくないのか?》
 膝に乗ると喉を撫でてくれた。
 残念だけど雪男はクロのの言葉がわからない。後で遊んでくれるといいな、と期待したのだけど。


 燐に促されていつも食事の定位置である椅子にかけた雪男は、そのままずっと燐を見ていた。
 いつもの自分なら、食事が出来たと呼ばれるまでは部屋にいて仕事か勉強しているのが普通だ。
 でも、今日は。 何となく離れがたくて、部屋に戻る気になれなかった。

 手元にPCもなんにも無く、ただ、料理をする兄の姿を見ていると、彼は料理を一つ一つ作っているのではなく、全て同時に作業しているようだから驚きだ。


「ほら!出来たぞ」
 兄さんが振り返り、微笑む青の瞳がやっとこっちを向いた。とたん、お腹がくうっと鳴ってしまった。
 うう…僕だっておいしい匂いには弱いのだ…。

 焼き魚、茶碗蒸し、ポテトサラダを並べ、なめこ味噌汁とご飯をよそえば夕飯は出来上がり。
 皆揃って「いただきます」の時間だ。

「うん、美味しい」
 つるりとのどごし優しい茶碗蒸しも具はいっぱい入っている。それなのにまだ、
「ほら、ぎんなん」
 兄さんが食べろよ♪と無邪気にあーん、のスプーンを差し出したりするので。
 僕もなるべく照れを隠しつつ食べさせてもらった。

「おかえし」
 同じように鳥肉を乗せて差し出してやると、兄さんもちょっと照れて食べた。大きく開いた青の瞳がパチパチしたのが可愛い。

 クロがウニャウニャ言いながら食べるのでそれもまた笑みを誘う。
 内側から染みてゆく温かさは、緩やかに心身をほどいて、少し眠気を誘うくらい。
 たまには。うん、たまには…
(甘えてもいいだろう…ね)

 雪男の顔がずいぶん柔らかくなっている。と燐がひっそりと笑ったのに雪男は気が付かなかった。


「ごちそうさまでした」
 きれいに空にした食器の前でポンと手を合わせると、兄さんは満足そうにニンマリ笑った。
 これが、料理をする人の、喜び方なのだろう。

 食器を片付けるため、立ち上がった兄さんを止めて、
「片付け、後で僕がやるよ。だから…」
 もう部屋にいこう?
 引き寄せて、唇の動きだけで囁くと兄さんはぽわっと赤くなった。
「そんなのいいって。俺やるから。べんきょー、しないとだろ?」
「兄さんが勉強、だって」
 珍しいね、と
 くすっと笑みがもれる。
「もちろん勉強もするよ。でも兄さんのが優先」
 こうやって優しく構われると、かわしたりできない兄さんが、頬を赤くして、くすぐられたような表情をするのがおもしろくて、
 つい捕まえてまた構う。

 指の先にキスしたら、ふるるっと尻尾の先まで揺れるのが面白い。
 もういらないでしょうとエプロンの紐を引っ張って解いてやる。
 ついでにさっきの続きとばかりに耳をかじってやった。
「こら…」
 兄さんは困った顔をしているけど拒むつもりなどないことくらい解るんだよ。
 すると、じゃれている僕らを見たクロが、
「にゃあん」
 構ってよ、というふうに僕と兄さんの間に入って来たので、小声でささやく。
「…だぁめ(今日くらい燐を一人占めさせて。)」

 クロはちょっと目を丸くしたが、賢いかれは意を汲んでくれたようだ。
「にゃん」
 行ってくる、と言うように一声鳴いて出て行った。

 ほんとは今日の自分はちょっとどうかしているな。と思ってはいるのだけども、通常に戻そうという気は起きなかった。
 だって。明日、小言を言う自分に戻ったって兄は怒りはしないのだ。


 互いに触れていた唇を離すと兄さんはおおげさに息をした。つい息を止める癖はまだ直らないらしい。
「そういえば、部屋のあれ、花だけど…」
「あれ?しえみがくれた。 朝逢ってさ、なんか良い匂いするなーって言ったら、庭にたくさん咲いたからあげるって」
 僕は思わずふんふんと子犬みたいに匂いを嗅ぐ兄さんを想像してしまった。

 ドアを開けるとやはりふわっと香る。
 金木犀だ、と今頃ぽろっと思い出した。秋になると風に乗ってどこかの家から漂ってくる花の香り。
「良い匂いだからお前んとこ置いといた」
 兄さんが自分の机に寄って無造作に置かれていた教科書を開いた。
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