AO-EX

□勿忘草色情景
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 <勿忘草色情景>


「ただいま」
「?! …っおかえりっ」
 声と一緒にピクッと小さく肩が跳ねた。
 先に部屋に居た兄はちょっと恥ずかしそうに手に持っていた雑誌を背後に置いた。僕が表紙を見たのは一瞬だけど、こちらも年頃なのでそれでも検討がつく。
「また神父さんのとこから持ってきたね?」
 ほんの少し笑みを含んで言うと、兄はバツが悪そうにお尻をもぞもぞした。その仕草に、
(かわいい)
 と頭のどっかが呟いたので(違うだろ!)とツッこんでおいた。


「今日は早ぇーな」
「うん。今日はうちでやろうかなと思って」
 僕が定時に家に帰ってくるのは実は一週間ぶりだった。図書館だの勉強会だのと理由をつけていたが、祓魔師としての位の昇格が間近で忙しかったのだ。
 兄さんには秘密の事だけど、神父さんは少しくらいはお祝いできるから。と言っていた。
 たかが一階級上がっただけで、僕が望むものはまだ遥かに遠い。浮かれるには早過ぎる現実も判っているけど、でも、努力したことの結果か出るのは嬉しかった。

 けれども、
 兄さんは一瞬考え込んで、
「俺、出掛けてくる」
 と言った。
「なんで?(せっかく)…」
 僕にとっては予想外の言葉に軽いショックを受けた。
「邪魔しねーほうがいいだろ? メシ前には戻ってくる」
「にいさ…」
 引き止める声は間に合わなかった。これも返してくる、と雑誌を拾ってさっさと出ていってしまった。

(この時間に二人揃うなんて久しぶりだったのに)

「僕は…二人部屋なのに、一人がいいなんて、思ったこと無いよ…」

 すでに聞く人のいない呟き。

 僅かな喜びが、僅かなすれ違いで消えていくのが淋しかった。人がいた気配がまだ残っているのがなおさら淋しかった。

 なんとなく落ち込んだ気分のまま、鞄を置いて部屋を出た。独りの部屋で机に向かう気にはなれなかった。



 廊下に出ると、ガタンゴトンと物音がした。何か物を動かしているようだ。
「神父さん? …何か探し物?」
「ああ…」
 部屋の中で幾つか段ボールを脇に除けていた神父さんは苦笑した。
「お前にさ、やろうと思った物があったんだよなー。このへんに仕舞ったと思ったんだが〜…、やっぱりすぐには見つからんなぁ」
 額の汗を拭うと、やれやれと腰に手をやる。
「せっかくだから祝いらしく渡してやりたかったんだが、探すヒマがなくってな。悪りぃな〜」
「そんなこと…でも、嬉しいよ。どんなのだったの?」
「そうか…えっとな、これくらいの…」
 一緒にごそごそ探し始めると、すこし、胸の淋しさが和らいだ。


「あ。あった! これだな」
 神父さんが引っ張り出したのは両手に乗るくらいの小箱だった。
 何かと覗き込もうとした時、ガタンと音がした。
「あぶねっ!」
 神父さんがとっさに庇って身を引いてくれたので、落ちて来た本の類は当たらずに済んだ。
「あーあ…」
「こりゃ片付けの方が大ごとになっちまったな」
 神父さんは肩を落とした。
「あとで兄さんに手伝ってもらおうよ。力持ちだもの」
「そーすっか」
 足元に散らばった冊子を拾いあげると、それは。
「あ。アルバムだ」
「おぉ。そうだな、懐かしいだろ」
 神父さんは口元をヘロリと緩めて笑った。
 小さい自分を見たいとは思わなかったが、天真爛漫に笑っている兄さんを見るのは気持ちが和らいだ。
 周囲の人には少し怖がられているけれど、弟の僕から見ればどこへ行っても元気で良く笑う人なのだった。人見知りで臆病だった自分と違って。

「あれ? これなに?」
 ページの間に挟んであったそっけない封筒にも、写真が数枚入っている。
「おー? ああ、それも記念だよー俺のムスコは健全に成長してるぜ記念!」
 妙に意味ありげなニヤリ笑いをされた。これは見ないわけにはいくまい。
「?」
 どうやら最近のものらしい被写体はポーズは取っていない。というか、兄さんは明らかにビックリ顔だったり真っ赤だったり様々で。
 …要するに隠し撮りとか、無防備なとこを突然パシャッとかやったヤツなわけだ。
「なに撮ってんのオトウサン……」
「だから成長記録です」
「僕のもあるし! …っか何時撮ったのこれ!」
「お前敏感だから苦労したぜ〜普段はぜったいお澄まし顔しか撮らせてくんないし」
「〜〜…」
 僕のジト目なんか微塵も気にせず、
「キメ顔ばっかじゃつまんねぇじゃん。ハハハハ」
 陽気に笑い飛ばされてしまった。神父さんは昔からこんなだけど僕はいまだにサッと切り返しが出来ない。
 うまい返しを勉強したいけど世の教科書にそんな項目は載ってないのだ…。
「なーなー、たまには親子で銭湯とか行こうぜぇー?」
「いまのやりとりで〜?! 行きたくありませんっ」
 下ネタでいじる気満々のひとと行けるほどさばけた性格じゃないよ判ってるだろ神父さんん〜。
「息子がつぅ〜れな〜い〜♪」
 けっこう必死にお断りを入れる僕を見て、妙な節を付けておどける神父さん。仕方なく苦笑で返す。
(兄さんとはちょっと行ってみたい)(けっこう鍛えてるからびっくりするかも)
 と頭の隅で思ったので押し込めておいた。余計な事考えるなよ自分。

 アルバムを丁寧に棚に戻した。これは大切なものだ。
 自分が何者であるか知らない兄さんはもちろん、僕だとて、自分たちの出自に納得がいっているわけではない。
 それでも。
 愛された記憶が、そこには残っている。
(それがあのひとの救いになるならば)

 赤くなったり豊かな表情の兄に知らずに微笑みでもしていたのかもしれない。
「あーあ、お前ってば。こーんな美乳のネェちゃん放っといて兄貴の写真かよ。せっかくお前らにもオススメのやつばっか厳選して置いといたのに〜」
 後ろでさも呆れたように神父さんがおどけていた。
(やっぱり公認エロ本だったのかよ…)
 兄さんが時々神父さんの所から持ち出して見ているそれらの雑誌はわざと持ち出しやすい所に置かれてあり、しかも内容は比較的大人しめのグラビアやちょっと際どいお色気マンガばかりだった。あきらかに本番の、様々プレイしているようなものは無い。神父さんはそれらだって大量に所持しているのを知っている。
 いちおう思春期の男の子供二人に対する親心、なんだろうか。くそ真面目と言われる僕自身だとて、見れば反応するし生理現象はいかんともしがたいけれども。
(兄さんのほうが可愛いけど……いやいやオカシイだろ無し無し!)
 セルフツッコミが自分でもイタい……。

 いつの間にか本は全て棚に戻っていた。神父さんはおどけながらもテキパキしている。
「なんでもない日記念、だよ。」
 ふと神父さんが呟いた。
「すげぇな。子供ってあっという間に大きくなるんだな」
 大人になるにはまだ遠く、しかし子供であることを随分前に捨てた僕はいまさら戻れない。けれど神父さんの言葉に真摯な感嘆を感じ取った。

 軽く埃を払って部屋を出た。
 小箱の中身は高価な万年筆だった。海外任務のときに買っておいたらしい。

「おまえらと酒が飲めるまで、もうちょっとだな」
「そうだね」


(ねぇ、兄さんも早く帰って来て)

(あなたはまだ、人であるのだから)


(伝えられない事がたくさん。きっとこの先も増えていくのだろうけれども)
「兄さんは……」
 呟いたとき、ちょうど「ただいま」の声がした。




 神父さんの居ない間に(兄の)写真を何枚かこっそりコピーしたのだが、知られてないとは言い切れない……かもしれない。


   <終わり>


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