バサラ

□おまじない
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 胸がきゅっと苦しくなって、鉛を抱えているような心持ちになるんだ。その時に周りの景色を眺めると凄く綺麗で、でも何だか哀しくなる。そんな中でも心の臓が忙しなく動くんだ。しつこいくらい、その人の事を思い出す度に。

「なぁ、幸村もそんな気持ちになった事があるかい?」

 恋とはどのようなものか――その疑問に答えた男は、目の前で聞き入る幸村の顔を覗き込んだ。何処か深く思慮をしている様な、またはやはり分からぬと、そう言い出しそうな表情が男の眼前に広がる。

 男は軽く息を吐きながら、幸村の頭を撫でた。哀れみの感情だろうか…。それを幸村が感じ取ったのかは分からないが、幸村は唐突に胸の辺りを掴み、口を開いた。

「その気持ちならば、某も感じておりまする。心の臓がどくり、どくりと何かに締め付けられる様で……あの御方を思い出すだけで、とても苦しい。けれどあの御方も見たであろう景色が、とても美しく見える」

 ぎゅっと、さらに強く胸に手をあてた幸村は、ゆるりと周りの景色に目を向けた。きらきらと、その硝子細工の様に光る眼球を見つめながら、男は自身の目で幸村の見る先を追ってみた。けれど、すぐに止めた。

「幸村はちゃんと恋をしてるんだね」

 そう言って男は、幸村に背を向けた。隠すようにして、自身もまた胸に手をあてる。苦しい、心の臓が今まで以上に、まるで鎖に押し潰されるようだった。


――


 男は、激しい動悸を胸に抱えながら懸命に走っていた。自身の長刀が途方もなく重い。けれど、男は息を荒げながらも足を止めない。ずきりと痛む肺を戒めながら、やっとそこに辿り着いた。

「幸村ッ!!」

 名を声の限り叫んだ先、ずるりと全てが剥ぎ取られたような大地に、旗やら人間であったものが流れつく腐れた川、折れたまま突き刺さった刃に分断された屍。鼻孔を焼くような臭いが散らかる戦場に、紅の焔を纏ったその人が居た。
 男は弾かれたようにその人に駆け寄ったが、目の前に広がっていた光景に思わず息を飲んだ。幸村の前には人間が倒れていたのだ。首が引き千切れかけた、無惨な屍が。

「前田殿」

 よく見れば、それは独眼竜であった。幸村の見ていたもの、欲していた者。自身にはどうやっても成り得ない、唯一。その哀れな様を笑ってやりたかった。

「前田殿」

「幸村」

 やっと、幸村の呼び掛けに答えた男は、屍に再び目を落としまるで慰める様に口を開いた。

「終わったんだね」

 幸村はきっと、涙を堪えているだろうと。けれどそれが見たくなくて、男は空に目を向けた。見れば、渇いた大地に反して太陽と蒼い空が此方を遥か彼方から見下ろしている。ぶつかる様に倒れ込んできた幸村を受け止めながら、男は自身の着物が濡れていく事から目を逸らした。

 ――胸がどうしようもなく痛むのだ。どうやってもこの苦しみは取れずに此方が泣きたいくらい、だった。けれど、それを押し込んで懸命に殺して、男は情けを屍にかけようと、その哀れな者の横に膝をついた。途中で諦められた様に、完全に分断されていない首がぎゅるりと微かに睨んでいる。

「ちゃんと、奪ってあげなよ」

 だが、幸村はその言葉が鳴ると共に、屍から槍の刃先をずらして男の喉笛に向けた。男は、突然此方を向いたそれを避けながら、幸村を見た。しかし、泣いているだろうと想像していた顔は、笑っていた。

「某はそこの屍を想うだけで、胸が苦しかった。ですが、その命が途切れた途端に、どうでもよいと……もはやその首に興味など湧かぬ。なれど、今この瞬間、貴殿を想う気持ちが苦しゅうて堪らぬのです」

 涙をぽろり、ぽろりと流しながら幸村は嗚咽混じりに問い掛けた。

「これが、これこそが恋で御座ろうか?」

 男は背に負っていた長刀を手に取ると、その切っ先を幸村の心の臓へと向けた。歯を食いしばり、けれど少しだけ男は笑って答えた。

「違うよ」

 今もなお、胸の痛みはぎちりと襲い来るのだが、それも無きものであるように男は長刀を振るった。先程まで鼻孔を刺激していた臭いも、今はもう分からない。

「俺がきっと、両想いにしてあげるから」

 目が眩んで前が見えない。けれど始めから、首が引き千切れかけた屍と、目の前の屍が、互いを見つめ合っていた事くらい――知らない筈がないだろう。二人があの世でどうなるかなんて、知らない筈がないだろう。
 お幸せに、そう屍に呟いて男は胸に手をあてた。指の一本にまで伝わる鉛のような鼓動が、どうにも腹立たしかった。



END
 

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