トリコ

□支配されし我が背信
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 人間というものは、ことごとく滑稽な生き物だ。幾ら愛する者であろうともそれが屍になった途端、ただ口をあんぐりと開けて、逃れるように後ずさる。そして、本当に死んだのかと近寄り、愛する者の死相を見るのだ。十中八九、かな切り声を挙げて逃げ出す。そんなにも、命の消えた身体は恐ろしいものなのだろうか。まさか、突然起き上がり人を喰うわけでもあるまい。屍はただそこにあるのみだ。(ああ、もしくはそれが恐ろしいのか)
 全く、なまじ正常な思考を持った人間ほど滑稽で哀れな事はない。いっそ何処かが弾けたならば、その屍さえも変わらず愛せただろうに。だが、愛する者の屍を愛するという行為は、まだ正常な思考が成すものだろう。その肉体が愛する者であったという前提があるからだ。そう、何もおかしくはない。

 自身にとっては普通の事でも、他者からみれば異常な事。その行為をする者が、少数派であるならば尚更だ。しかし、よく考えて欲しい。その行為を支持する人数が反転した場合、果たしてどうなるのか。そんな軽々しいもので正常が決まってしまう事ほど、恐ろしい事はない。勝手に異常と決めつけられてしまう。ああ、馬鹿らしい。



 ただ、人とは前提が違うだけだ。愛している事には変わりない筈だ。しかし大多数の人間は不快感を示し、恐れ、蔑んだ。どうしてだろうか。屍になったからこそ、愛する。それの何が異常なのか?
 よく生きた肉体に欲情できるものだ。あの生半可な温かさが、胸部が微かに上下する呼吸が、煩わしくて仕方がない。口はこちらが欲していない汚い言葉を吐き出し、腕や脚は非道にもこちらを排除しようとする。全く、よくもまあこんな肉体を愛せるものだ。汚ならしい。
 あの微動だにしない肉体。凍てつくような肌の温度。硬直の始まったまるで芸術品のような指先。まるで人形のように、ただそこに在るのみ。そうだ、そこに存在しているだけで愛す事が出来る。これは本当に背信か?屍となった愛する者を焼き、土に埋め、亡きものとする事こそが背信ではないのか!…いや、問題は自身が屍以外は愛せないという事だ。生者を愛する者でも、屍を抱くものもいるのだから。

 心の底から出づる欲求は、自分では選ぶ事が出来ない。生まれたその時から存在し、発現する瞬間を待っているのだ。そして、発現してしまった。ただ、それだけの事。別にそうあろうとした訳ではない、初めからそうであったのだ。本当にこれは背信か?
 ほら、見てみろ。胸部を上下させていた呼吸が止みつつある。表情筋は死相を形作るべく強張る。血の流動が疎かになる。指先はもう氷のようだ。……なんて美しい!今すぐその唇を、肉体を、全てを愛撫したい。命という正常か異常かを勝手に判断するものを亡くした肉体は、何と慈愛に満ちているのだろう。そう、屍ならばどんな思考を持っていても受け止めてくれる。どんなに蔑まれた行為さえ、甘受してくれる。

 それを、簡易的ではあるが抉りとった眼球でその欲求を満たしていたのだ。その内に、眼球そのものに欲情を抱く思考がふいに発現した。
 しかし、だ。眼球だけでなく再び全身を愛したいと思えるような人間を見付けた。あの肉体が屍になり、自身に愛されるのだと思うと身体の震えが止まらない。待ち遠しい、待ちきれない。愛したい、愛したい!



 どうか、あいつに安らかなる死が訪れますように。頭の中だけで願った。すると、あいつとふいに目が合ったから笑ってやった。

「ちゃんと帰って来いよ」

 あいつは、驚いたように顔を反らした。全く、愚かしい反応だ。ささっと屍になって帰って来い。何処かで野垂れ死んだとしても、迎えに行ってあげるから。

 それを背信というのだろうけれど、支配された身体ではそれが正常なのだ。それすらも、あいつはきっと愛してくれるだろう。



END
 

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