バサラ2
□ノスタルジア
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風に吹かれ届いた、甘い金木犀の香り。空を切って飛ぶ、飛行機雲が青を遮る。つららから垂れた滴の、肌を刺す冷たさ。桜の花びらを手に収めようと、子供は上を見上げている。頭に浮かぶそれらの景色。
温かい湯気が立ち上る、食卓を覆う料理。実はあの人が昔から苦手な野菜を目立たぬように細かくして隠している。ふいにテレビから懐かしい曲が流れれば、それを聴いていた当時の思いすら蘇る。肩まで浸かる風呂は、溜め息をつく程に心地よい。そうして最後に体を横たえる布団は、すぐに眠気を誘う。
できる事は一人で全てやってきた。
あの人と暮らし始めてからは、全て二人でやってきた。美味しい美味しいと料理を頬張ってくれるのが嬉しかった。喧嘩をしてもやはり離れなかったのは、ただ繰り返しの日常でも些細なことが幸せだったから。
あの人が悲しまないように出来るだけ長生きはしたかったのだけれど、本当は長寿など願ってはいなかった。
温かい料理は食卓ではなく、ベッドのすぐ目の前に広がっていた。あの人がスプーンで掬い運んでくれるが、咀嚼しようにも口から溢れていく。情けなかった。
「ごめんね、ごめんね」
謝ろうにも声は上手く出なかった。
こんな姿など本当は見せたくなかった。それでも笑ってあの人はまた料理を一口掬う。ようやく飲み込めば満足そうな表情をした。
「美味いか?」
「美味しいよ」
懸命に伝える。あの人が頷いて応えてくれた。涙が出そうだった。
今の自分は負担にしかならないと分かっていた。いっその事と考える時すらある。長寿など人欠片も願ってすらいなかった。本当はあの人が死ぬ瞬間まで立っていたいと、到底馬鹿げた不老不死のような願いだった。
「美味しいよ、ごめんね美味しいよ」
情けなかった。どうしようもなく申し訳なかった。けれどやはり生きていたいと思ってしまうのは、あの人の傍にいたいからだ。こんなしゃがれた姿になっても、走馬灯の時はまた隣に立てるだろうから。
ふとあの人も自らの口に運び、美味いと声を挙げた。ぼやけた視界でようやく気付いたのだが、料理には堂々と隠れることもなく、あの人の苦手なものがのっていた。この年でようやく食べれるようになったと、皺だらけの顔で笑っていた。
END